第2話 公爵令嬢フランソワ・アリエル・ド・シャルロイド
アリア皇国、王立イスタルシア総合学院にて。
「フランソワ、レモンソーダ追加だって」
「私、ラムネ屋じゃないんだけど」
エラリーに声をかけられて思わず辟易したわ。
私? フランソワって言うわ。フランソワ・アリエル・ド・シャルロイド。
これでも、シャルロイド公爵家の娘なのだけれど。
どうして、レモンソーダを大量生産しているのかしら。
「マルタ、材料足りる?」
「へえ、姫様。酢はあるんでやすが、その、石灰石の在庫が」
マルタが恐縮したわ。彼女、薬屋の娘なのよ。調合は彼女の担当、ってわけ。
「だって、エラリー」
「はーい」
エラリーがそう言って、衝立の奥に消えたの。
しばらくして。
「ご納得頂いたわ」
「言い争ってなかった!?」
「いいじゃんか、私だってソーダ屋やりたいわけじゃないもん」
どか、とエラリーが男爵令嬢らしくない、大げさな素振りで腰を下ろしたわ。
今、昼食の時間なのよ。今日も夏らしく、湿気が多い、蒸し蒸しした気温でね。炭酸でさっぱりしたい気持ちは分かるのだけれど。
「マルタ、ねー、ソーダ残ってない?」
「へぇ、なんとか…ひと瓶くらいは」
マルタがフラスコに石灰石を入れて、お酢を混ぜたわ。すぐにしゅわしゅわと泡だってくるの。これが二酸化炭素よ。もちろん、これを飲むわけじゃないわ。フラスコからガラス管を通じて、気体だけを井戸水に通すの。これが炭酸水ね。
これに砂糖を混ぜて、レモンを絞ったらレモンソーダの完成、ってわけ。
「それにしても、密封性に問題があるわ」
すぐ飲まないと、炭酸が飛んじゃうのよね。瓶に詰めて、きちんと栓ができたら少しは保つのだけど。
「それこそ先生に聞けば、セドリック先生」
「今日のテーマはそれね」
「へぇ、楽しみでやすね」
とりあえず。
「ご飯食べよ。お昼休み終わっちゃう」
学生なのよ、これでも。
どうして衝立の奥の貴族サマの為に、私たちの貴重な昼休みを潰さないといけないのかしら?
◇◇◇
放課後、すぐに直行したわ。
私たちの担当教員で自然哲理学の教授、セドリック先生の研究室よ。
「炭酸水を密封したいの?」
セドリック先生が不思議そうな顔をしたわ。
「そうなんです、もうお昼休みを潰してソーダ水を作りたくないんです!」
「断っても良いんじゃないかしら…? 今のままでも、すぐに密封すれば多少は保存が効くと思うけれど、そうねぇ…」
「一週間分くらい、じゃんじゃか詰めちゃえばいいじゃないの?」
と、エラリー。いいえ、とマルタが首を横に振ったわ。
「夏場でやす、悪くなっちゃいます」
「井戸水よね、使っているの」
先生が仰ったわ。
「その通りでやす」
「なら、一週間は難しいかなぁ。翌日なら、まだ大丈夫だと思うのだけれど」
「でも、ワインって保存できますよね?」
エラリーが尋ねた。確かにそうなのよね。
「アルコールが悪い瘴気を抑える、なんて言われているけれど、保存が悪いとやっぱり悪くなっちゃうわ。熱を通せば保存が効くらしい、とも言われているのだけれど…。問題があるのよね。マルタさんなら分かるかな?」
「へぇ、わかりやす。温度が高くなると殆ど炭酸が溶けやせん」
「その通り。なので極力低温にしたいのよね」
「じゃ、冬に作ろう」
エラリーが言ったわ。
「冬だと飲まなくないかしら?」
私は温かい紅茶の方がいいわ。
「じゃあ、どうするの。このままだと私たちの青春、全部衝立の奥に消えちゃうよ」
「そうだけど…」
「一番手っ取り早いのは、氷魔導士の手を借りることかなぁ」
「魔導士ですか…」
相性悪いのよね、私たち。
そもそも学部が違うのよ。私たちは自然哲理学部、つまり総合科学コース。魔導士は魔導真理学部なの。総合魔導コースってわけ。
「あ、ちょっとまって」
エラリーがぱちん、と指を弾いたわ。
「どうしたのよ」
「アルフォンスの知り合いに、氷魔導士がいたような」
「アルフォンス?」
「商売敵だよ」
エラリーがそう言って、肩を竦めたわ。
◇◇◇
アルフォンスとやらは放課後、大抵校舎裏にいるらしいわ。
どういう子なのよ。
「ただの平民だよ、私と違って」
「ツッコまない方がいい?」
エラリーの家系って三代前に貴族になったのよね。本業は金融なの。お金で男爵位を買った、なんて揶揄されるけれど、本当かどうかは知らないわ。
で、校舎裏。
見知った顔がいたわ。漆黒の髪を持つ男の子。9999の魔力を持つ平民の異端児よ。
「シオンもいたんだ」
「フランソワじゃん。どうしたの」
「アルフォンス、って子に用事があって」
「そこの子だよ」
エラリーが指差したわ。飲んでいた紅茶を丁寧に置いて、彼が立ち上がったの。
「これは、学院の英雄にお越しいただけるとは光栄です、フランソワ様」
「フランソワでいいわ」
この前、シオンと二人でちょーっと、活躍したのよね。
それ以来、ちょこちょこ英雄扱いされるのよ。その割にやってるのはレモンソーダの生産だけれど。
「これは失敬、それで、今日はどのようなご用件で」
アルフォンスが丁寧に頭を下げたわ。
「氷魔導士がいる、って聞いたのだけど」
見渡すと、大人しそうな子がおっかなびっくり、と言う様子で手を上げたの。
「ぼ、僕だけど…」
「あなたは?」
「ハンス…。ハンス・ベルク…」
「ハンス、ね。私たちの研究、ちょっと手伝ってほしくて」
「い、いいけど…」
「なあ、ちょっとええか? わい、ニコラスちゅーんやけど」
バリバリのギルテニア弁だわ。職人の街で、方言が独特なの。
「なんか面白そうなこと、してるって聞いたで」
「今のところレモンソーダを作ってるだけよ?」
「いや、この前のやつや。コロシアムに溢れかえった魔力、避雷針みたいなやつと、シオンはんの魔法で上空に逃がしたやろ」
「よく分かったわね?」
「そりゃな、わいも科学者やし」
「というか、同級生よね!?」
むしろ同じクラスなんだけど。
「せやで、いやぁ、いつか話しかけようおもっとったんやけど、なかなか公爵様に声をかけるのは根性いるからなぁ」
「でも、発想はニコラスの言う通りよ。槍に空き瓶を括りつけて、魔力を逃がす導線にしたの。案の定魔力が槍に向かって集まったから、あとはシオンの消去魔法で大気に空間を作って、空に飛ばした、ってこと」
「そうなのか?」
シオンが首を傾げたわ。あなたね?
「分からないでやってたの?」
「分かると思う?」
「シオン…授業、いつも寝てるし…ロッサム教授が…かなり怒ってた…」
ハンスが言ったわ。
「そこまで来たらむしろ尊敬するわ」
「ロッサム教授って、あのロッサム教授だよね。がちがちに頭固い人」
エラリーが眉をひそめたわ。
「そ、私たちの講義で神と精霊について三時間語った人」
魔導学の講義だったはずなんだけど、蓋を開けてみたら神学講義だったわ。
「そういえば…」
ハンスがぽつり、と言ったわ。
「この前…こっちの講義で言ってたよ…魔導の原理を…自然哲理の原理で覆すのは…あってはならない、って…」
「時代錯誤じゃないかしら」
つい、毒づいていたわ。
あんまり好きじゃないのよ、ロッサム教授。
◇◇◇
同じころ。
学院敷地内、コロシアムにて
「ふむ」
剃髪し、簡素な法衣に身を包んだ男が眉をひそめた。ロッサム教授こと、ヨハネス=クリストフ・フォン・ロッサム・グリムワルドである。
先日崩壊した、魔法制御器具の調査であった。
「申し訳ございません、教授。私の制御が効かぬばかりに」
頭を下げたのは学院の生徒会長である、プロヴァンス侯爵家長男のギリアムであった。
「なに、構わぬ…。シオンとやらの魔力が異常値であったせいだろう」
あの、講義はいつも爆睡している男。
魔力9999、かつ漆黒の属性などという異常値でなければとっくに学院から放りだしているところである。
そして、なにより。
「この、棒切れはなんなのだ、一体」
フランソワが投擲した、不思議な槍はまだ突き刺さったままである。
「フランソワの話では、暴走した魔力を一点に集約する効果があると…。魔法と言えども、自然哲理の原則に逆らえない、と申しておりましたが」
「自然哲理は信用が置けぬ。学院長はセドリック教授を高く評価しておるが」
この世界は、神と精霊により正しく成立しているのである。
自然哲理など、邪道、否、邪教にも等しい。
「そろそろ、釘を差す必要があろうな」
「釘、と申しますと…」
ギリアムが尋ねた。
「自然哲理が魔導にもの申すときは、手順が決まっておる」
「公開討論でしょうか」
「流石はギリアムだ。すでに教会本部の枢機卿へ請願を出しておる」
「では、相手は」
「フランソワになろう」
そこでロッサムが、不敵な笑みを見せた。
「期待しておるぞ」
「ご期待に沿えるよう、尽力いたします」
そう言って、ギリアムが深々と頭を下げた。




