第221話 謎の司祭
翌日、セシルは再び魔導真理学部のロッサム教授の元を訪れた。
どうせ、異端を追放したコンスタンになんの用があるのだ、くらいに言われると思ったのだが…。
「コンスタンか。ビザン帝国が侵攻したという話は聞いておる。ハンスはまだ未熟だが、精密な魔法技術は他の追随を許さぬからな。何か役に立つのだろう」
セシルは思わず首を傾げた。
この反応はまるで想定していなかったのだ。
「どうした?」
「あ、いえ。ありがとうございます、教授」
余計な事を話す仲でもない。許可を得れたのなら僥倖、さっさとお暇をしよう。そう思って回れ右をした時であった。
「フランソワは、変わりないか」
予想外の質問に、セシルが固まる。
お前らが追放したんじゃないか…俺のかわいい妹を。つい、拳を握りしめた。
首謀したロッサム、それに聖典保守党のクラウベン、それからシルバのマクシミリアン。
セシルにとって、その三名はまさしく仇敵であった。決して許すことは無い。
「いや、余計な質問であった。シオンがついておるから、問題はなかろう…」
「…失礼しても?」
これ以上会話するつもりはない。
セシルの瞳に、怒気が浮かぶ。
「構わぬ」
ロッサムがそこで、静かに頷いた。
◇◇◇
わけがわからないままにハンスが連行されて、王立学院を発ったのはその日の午後だった。夕刻までに王都を抜けてエヴィル港へ到着、ノイエ・エーテル号で一晩を明かして、翌朝。
地中海を爆走するノイエ・エーテル号をみて、ラテラ・リトラの漁師、トニオはまたか、と眉を顰めた。
「また、セシルの旦那ですね」
「ああ、たまったもんじゃねぇよ。まーた魚が逃げちまう。最近はそうでなくても、大型船ばっかなのによ」
「勘弁して欲しいですね」
相対する男が、米酒をコップに注いだ。コップの端が三角に欠けている。すまねぇな、とトニオが酒に口をつけた。男は手酌で付き合う。
「でもよぉ。俺ら、難しい事はわかんねぇぜ。毎日のように来てくれるけどよ、なんだっけ…でっけぇ港にするんだっけ?」
「はい。なので、魚が取れなくなるかもしれません」
「で、金をくれるのか」
「渡します。でも、それじゃ解決しませんよね。使っちゃうでしょ?」
「ちげぇねぇ!」
かか、とトニオが笑う。
「村長は、なんて言ってる」
「全員が頷いたら。だそうで」
「そりゃ、難しいんじゃねぇの?」
「はい、なので」
男が、もう一度酒を注いだ。
「こうして、毎日飲みに来てます」
男がにこり、と笑う。
ベアトリスの夫。
ジョン・ラッセル男爵その人であった。
◇◇◇
十二月中旬。
スタヴルポリ。
わたし、何をしているのだっけ。
フロリーナが、足元を見下ろした。
まだ、泥の中から死体が見つかった。
スタヴルポリに来て、二週間。
水攻めで泥だらけになった街道を、スコップでかき出した。
傾いた家屋を解体した。
作業員のために、テントを設営した。ほとんどは兵士だけど、スタヴルポリの住民もいる。
ヨルゴスも、その一人だった。
「姫さまぁ」
ヨルゴスが言った。他に、三人ほど。
「もう、いいんじゃないですかい? ビザンの奴ら、その辺に捨て置けば」
そうかもしれない。
ドロテからは、遺体の扱いが決まっていないから、一カ所に安置してくれと言われていた。
最初は、そうしていた。
だけれど。
山には、鮮血を撒き散らして絶命した兵士らがいた。
街には、汚泥に塗れて所属もわからない死体があった。
もう、何人も何人も、出てきた。
充分、遺体は安置した。
この人を、どこかに捨てたって。
いずれ、土に還るのだから。
足先が白骨化し始めている、『誰か』を見下ろす。
もう、身元なんてわからないわ。
「そうね、ヨルゴス…」
そう、言いかけたとき。
葬送の聖句が聞こえた。
「人の子に祝福あれ。光は迷える魂を導き、闇に沈みし者を御霊の座へ迎えたもう。旅立つ者に祝福あれ、残されし者に赦しあれ……」
黒い、ローブを頭から被った男がいた。
壮年にも老人にも思える、不思議な声だった。
「だ、誰だぁ?」
ヨルゴスの声を、フロリーナが制する。
「ありがとうございます、旅の司祭様。おかげで神の道を踏み外さずに済みましたわ」
「それは良い、良い事じゃ」
ローブの奥で、瞳が怪しく光る。
「ここは、闇の力が強すぎるの。フロリーナよ、お主が惑わされたのも、この闇の力によるものじゃろうて」
「どうして、私の名を…?」
「最強の風魔導士たるフロリーナの名を知らぬものはおらぬよ。じゃが、もう少し力の使い方を学ぶべきじゃな…」
「わたしは」
フロリーナが、視線を再び落とした。
死体と目が合う。
眼窩の名残が、フロリーナを睨んでいた。
「誤ったのでしょうか」
「かもしれぬ。じゃが、まだ救える」
「それは、一体」
「我に付き従うと良い…我はアルセニウス」
フロリーナの瞳から、ふっ、とハイライトが消えた。
「闇を弾き、光を取り戻すのじゃ、フロリーナ。さすれば、罪は許され、光が貴殿を満たすだろう…」
「光を…取り戻す…」
まるで夢遊病者のように。
フロリーナは、力無く頷いた。
◇◇◇
翌日。
ヨハンが一千名の精兵を連れ、山間部を進軍していた。
カバラ関での攻防戦ののち、ヨハンらはコンスタン北部の維持に残された、ビザン兵三千余りの掃討に回っていたのである。それがひと段落したのは先週のことであった。
コンスタン王国軍のボリスに兵の大半を任せ、避難させていた民の帰郷支援を開始したのが三日前。
ヨハンらは別行動し、スタヴルポリの復興支援のために向かっていたのである。
「先にフロリーナ様が現地に入っているとの事です」
副官のユルゲンが告げた。
率いる兵は全てコンスタン兵である。麾下のフェンリルベルク氷壁重装歩兵団はシオンも含め、ガストンらと共にアテネア復興にあたっていた。
「姫さまのことだ、また無茶をしていなければ良いが」
「無茶はなされるかと」
ユルゲンの言葉に苦笑する。
彼らは、翌日にはスタヴルポリに到着する予定であった。
◇◇◇
その、ヨハンらに遅れて半日ほどのところに。
ひと組の男女が、やはり山道を歩いていた。
ハンスと、フロリーナの直属騎士であるウェンディである。
「しかし、ハンス殿!」
「ど、どうしたの…?」
「姫さまはなぜこのような山深い場所に!?」
「コンスタン侵攻で…戦場になったみたい…だよ」
「なるほど! しかしフロリーナさまもお人が悪い! 私に一声かけていただければ、王立学院の講義など投げ捨てて即座に馳せ参じたものを!」
「はは…」
そういうところじゃないかな…。
ハンスはそう思ったが、言わなかった。
ウェンディはハンスの護衛として、半ば強制的についてきたのである。




