第220話 セシル、親の脛を齧る
その、二日後。
王立学院にて。
なんだか毎年、冬場は文字通り走り回っている気がするな。
セシルであった。考えてみれば、二年前はフィヨルド王の亡命作戦に参加、去年はローランとアンナの素のいちゃつきっぷりを見せつけられ、今年はコンスタン侵攻作戦への参加とペニシリンの調達とハンスの出迎え。
いやホント、休む暇がないね。ビザンティオン紙幣の使い道は未だにないし。
はー、と溜息。
今日は一人だった。上陸の時や訪問の時はヨナスかバルトロメを同行させる場合が多いのだが。ヨナスはベアトリスと二人で新大陸の調査に行ってしまったし、バルトロメは学院の雰囲気に会わないし(何しろ二メートル近い筋骨隆々で傷だらけの『ザ・海賊』なのだ)、アレフを誘おうかとも思ったけれど、王都に寄る暇もないから珍しく学院に直行した訳である。
ビアンカなら、アテネア決戦の様子を知りたがるだろうけどな。
それは正式な報告書として、第四艦隊のトレヴィル提督より上申頂く事にしよう。
第一、俺だとナフサ地雷についてどう報告したらいいのか、分からないし。
それよりも、フランソワが心配だ、フランソワが。本当ならこんなところに来ないでずっとついてあげたいんだが…。フランソワの願いなら仕方ない。
ペニシリンがあれば、少しはビザンの奴らも救えるんだろ。
個人的に助ける義務は無いと思うんだが…。フランソワが助けたいなら、兄としてやるだけだよな。ハンスを連れてこい、というのは良く分からないけど。
そもそも、魔導真理学部の学院生だし。つまり、あの人の許可が必要な訳だが。
「ロッサム教授なら、カスパー教授と打ち合わせですよ」
教務室のメイドである。
「カスパー教授? あのミスターカスパー? 古典教師にして全学院生の睡魔を誘発するあの?」
「そこまで言わなくても」
「いやだって、有名だろ、あの人のボソボソしゃべりは。俺の時もアレフ以外全員寝てたぞ。ビアンカなんて鼻提灯つくってさ」
「あの…皇王様についてはコメントし辛いのですが」
「だよなー。にしても、あの二人仲良かったっけ? 話すような間柄じゃなかったような」
「ですよね。私も不思議なんですが、なんでも最近、ロッサム教授が古典とか聖典を漁るように調べているとか、噂になっていて」
「そうなの?」
「はい。ここ三ヶ月くらいかな。そこから、カスパー教授と定期的に話し込んでいるみたいですよ」
「どんな風の吹き回しだよ」
「さあ…。新しい聖典でも見つけたんですかね?」
「あの人なら『異端!』と言って無視しそうだけど?」
「どうでしょう?」
「それじゃ、先に別件を済ませるかな。セドリック教授はいつもの研究室?」
「だと思います。二日前にアキツから客人が来てまして、ずっと入り浸りですよ」
「アキツ? アキツって地の果て海の果て、極東の島国アキツ?」
「はい」
「なんでまた」
「さぁ。なんでも天才的なお医者様と数学者がお越しになっているようで」
「編入でもするのか…? まぁ、とりあえず行ってくるよ」
◇◇◇
「どうもー。セドリック教授、います?」
セシルが顔を覗かせる。いつの間にか増えたな、と思う。アキツからの客人というのはあの二人だろうか。明らかに服装が違う。
「あら、セシルさん。珍しい」
セドリックが顔を上げた。セシルの在学中からセドリックの名は知っていたが、セシルは魔導真理学部。直接話す機会はほどんど無かったのだ。
「いえね、ちょっとフランソワの依頼で。ペニシリンを融通してくれません?」
「ペニシリンを? 何かあったのかしら」
髷を結った男が顔を上げた。誰だろう、あいつ。
「いえ、ちょっとアテネアで大きな戦いがあって。ご存じです?」
「ビザンが攻める、ようなことは聞いたけれど…もしかして、フランソワさんに何か?」
「いえ、フランソワは元気です。いや、元気ではないかもだけれど、怪我とかはしてません。ただ、負傷兵が多くて」
「負傷兵ですか。失礼ですが、どのような症状で」
リョウアンが尋ねた。
「セドリック教授、この方は…?」
「アキツの医師、リョウアン先生ですわ」
「医者か、確かに医者も不足してる。いや、火傷が多いかな。ええと…ざっくり話したほうがいいか?」
「是非に」
リョウアンに請われ、セシルがアテネア決戦のあらましを話した。
「なので、フランソワのナフサ地雷で俺たちは無事だったんですが、ビザン兵がかなり被害を受けていて」
「ナフサ…石油の蒸留物ですね。話によると、古代兵器である『悪魔の火』がナフサを用いたものだったとか…。それを、どの範囲で?」
セドリックが尋ねた。
「えっと…一キロ四方はあったかな…?」
そこで、セドリックが少し考え込んだ。
やがて。
「リョウアン先生、お願いばかりで申し訳ありませんが、コンスタンに向かって頂けますでしょうか? 途中でリンドバーグ先生と合流して頂いて…。すみません、私が向かえればいいのですが、あいにく息子がまだ幼くて」
「はい、構いません。火傷となれば壊疽が心配です。現地のケルナー先生とやらは相当苦労されているのでは」
「ペニシリンはあるだけお持ちください。その間に追加の蒸留を済ませておきますので、不足があればすぐに送るようにします」
「コンスタンに行くのかい? なら、あたしも行かなきゃね。いいよね、テオ」
おタツが顔を上げた。
「ああ、聖女様に会えるならいつでもいいさ。元々道案内のつもりだったしね」
「お願いします、御三方。セシルさん、ご出立はいつ?」
セドリックが尋ねる。
「それが、もう一人連れて行かないと。ハンスって子が必要だとかで。ロッサム教授と会えなかったので、明日以降になりそうです」
「ハンスさん?」
ステファニーが首を傾げた。
「俺もよくわからないが、フロリーナ殿下に必要だとか…」
「余程被害がひどいのかしら…」
セドリックが沈思した。
やがて。
「マルタさん」
「へぇ、あたしも行ってきます。薬学が役に立つはずでさ」
「ありがとう、マルタさん。休暇届はこちらで出しておくわ。必要な試薬は持っていってね。蜂蜜やオオバコはどうかしら?」
「へぇ、ありがたくいただきやす。あとはちょいと実家に寄りたいでやすね。アロエの在庫が少しあるはずでやす」
「あのー」
ステファニーが手を上げた。
「私もついて行っていいですか?」
「へ? いや、助かりやすが…火傷ってぇのは思った以上に悲惨な怪我でやす。慣れてない人はお勧めしないでやすね」
「大丈夫です、覚悟してます! いえ、覚悟はできていないけど、いずれそういう人にも会うと思うんです。なので、連れて行ってください! 薬剤計算や在庫管理ならお役に立てると思います!」
マルタが困り果てて、セドリックを見た。
そうね、とセドリックが頷く。
「戦場は、ステファニーさんが思っている以上に悲惨な環境よ。人が死ぬ瞬間を見ることになるかもしれない。あの瞬間、私はいまだに夢に見ます。それほどの環境よ。余程の覚悟がなければ、許可はできないわ」
「大丈夫です、やらせてください! 私だって子爵家の娘です。いずれ戦場に出ることだってあるはず…。へこたれてるわけには、いきませんから」
「わかったわ。そこまでいうなら止めません。もし辛かったら、すぐに帰ってきてね。逃げたんじゃないの、自分の身を守るために必要な事だから。約束できますか?」
「はい!」
ステファニーが力強く頷いた。
「マルスはどうするんだい?」
テオが尋ねる。マルスは小さく、首を横に振った。
「俺はまだ修学の身だ。聖女さまに会う資格は無いと思う。俺はセドリック研究室でニコラス先輩たちと研究を続けるぜ」
「わかった。聖女さまはあたいに任せな。最高の絵を描いてやるよ」
「しかし…」
リョウアンが不安げな顔をした。
「それほどの規模ですと、麻酔が足りるかどうか…」
「失礼ですがリョウアンの旦那。主成分はなんでやすか?」
「チョウセンアサガオですが…。配合は秘薬につき、お伝えできません」
「へぇ、それなら実家にありやすね。鎮痛剤として保管してやす。毒物でもありやすし、お父の許可がいりやすが」
「なんと! では、融通をお願いしたい」
「実家はシャルルから徒歩で三日ほどのところでやす。少し時間をもらえれば。他に必要な薬草や薬種はありやすか?」
「トリカブトがあれば…。他にいくつか」
リョウアンがメモをとった。
「へぇ、見たことのない薬種もありやすね。あるだけお持ちします」
「かたじけない。礼は必ず」
「なぁ」
セシルが声をかけた。
「マルタ…と言ったっけ。金はどうするんだ?」
「へぇ、あたしが月々で返済するか…」
「なら、こっちで手配する」
「セシルの旦那、いいんですかい? 割と高額になりやすが」
「なぁに」
セシルが鼻で笑った。
「親の脛を齧るんだよ…。なにしろ公爵家だからな。親父もフランソワのため、となりゃいくらでも金を出すさ」




