第216話 エガレ村の子供たち
翌朝は透き通るような秋晴れになったわ。
空気が、美味しい。
あの、暗く沈殿した…泥のようなカビたような、腐るような匂いは少しも無くて、ただ草の香りと爽やかな空の香りだけがするの。
街道脇には白菊や彼岸花、花壇にはパンジー。冬の前、最後の季節を楽しむように。
遠くに見える山は黄色や赤で彩られていて、その景色は私の足元にまで続いているの。
街路樹からはらり、と真っ赤な紅葉がひらひらと。
世界って。
こんなに、色があったっけ。
◇◇◇
「着いたよ」
エガレ村だったわ。馬車から降りた途端、子供たちがわーっ、と駆け寄ってきたの。
「えらりーせんせー!」
「今日は何を教えてくれるの?」
「俺、掛け算できるようになったぜ!」
口々に、一生懸命に。
まるで餌をねだるツバメの雛みたいに、子供たちが一生懸命話していたの。
「はいはい、今日は特別な先生を連れてきたよ。フランソワ先生です!」
そこでエラリーが私を指差したの。
「え…?」
「だれー?」
「フロリーナせんせーはー?」
一番幼い女の子がそう言ったわ。
エラリーが屈んで、彼女と目線を合わせる。
「フロリーナはしばらく、スタヴルポリに出張です」
「どこー?」
「バカ、前に教わっただろ! コンスタンの北の方にある街だよ!」
「そうだよ。この前、大きな戦いがあったのは知ってるよね?」
「しってるー」
「なあにー?」
半々くらいの反応だったわ。
「ビザンの帝国が、コンスタンを攻めてきたんです。すごく大きな国なのよ」
「この前教わった!」
「アリアの方が大きいんじゃないの?」
「はは…どうだろう、今度調べてみてもいいかもね。でも、フロリーナ先生や、ここにいるフランソワ先生のおかげで、悪いビザンをやっつけることができました!」
その途端、一斉に児童らの視線が私に集中したわ。
「わ、私はなにも…」
「すごーい!」
「どうやったのー?」
「こらこら!」
エラリーが間に入ってくれたわ。そしてね。
「フランソワ先生はすごい科学者なんです。私やフロリーナ先生よりすごいんだよ。だから、今日はフランソワ先生に科学の楽しさについて教わりましょう!」
「はーい!」
「たのしみー!」
「え、エラリー、その…」
「はい、ハンカチ」
「え?」
「涙、拭きなよ」
「え、私…泣いて…」
「どうしたのー? おなか、いたいの?」
一番幼い子が、不安そうに見上げたわ。
「大丈夫だよ、ちょっと目にゴミが入っちゃったの」
「エラリー、でも、何すれば…」
「あれ、教えてあげてよ」
エラリーがウインクをしたの。
「炭酸水の作り方! フランソワと一緒に、一番最初に作ったレモンソーダ! 石灰とお酢は用意したからさ」
みてみたのだけど。
「これ、生石灰よ。石灰石はないの?」
「あれ?」
「食堂にあるかしら…」
◇◇◇
その日、私は初めて…先生になったわ。
なんだかヘンテコな気分。まだ、教えてもらう方が多いのにね。
「どうしてあわがでるのー?」
食堂で分けてもらったのはムール貝の貝殻よ。
それを細かく砕いたの。
「貝殻とか、石灰石には簡単にいうと、あわあわの素が入っているの。それがお酢で溶けるのよ」
「なんで溶けるのー?」
「えっと…簡単に言うとね、お酢の中には貝殻とくっつきやすい、小さな粒子があるのよ」
「りゅーし?」
「つぶつぶよ」
「ぶどう?」
「もっと小さいわね」
「わかった! 小麦くらいだ!」
「いえ、もっと小さくて…」
「なんでくっつくのー?」
「化学反応なんだけど、酸性とアルカリ性は…」
「さんせー?」
「はんたい?」
「違くて、その」
「はーい、みんな、フランソワ先生を困らせないの!」
ぱん、とエラリーが手を叩いたわ。
「お酢を飲んだ事、ある人ー!」
「はーい」
当たり前だけど、全員が手を挙げたわ。
「どうだった? 美味しかった?」
「すっぱかったー」
「まずかったー」
「そうよね。貝殻も一緒なの。お酢が入るとびっくりして、あわあわをうわーっ、て出すのよ。でも、小さくて人間の目には見えないの」
「見えないのー?」
「そうよ。世界には目に見えないものがいっぱいあるの。でも、フランソワ先生はそういう、見えないものを見つけるのが、とっても得意なんだよ」
「そうなのー?」
「そう! だから困らせちゃダメ。さ、続きをしよう! フランソワ先生、このあわ、飲めますよね?」
「え、ええ…飲めるわ」
「じゃ、みんなコップを準備! 今から、ソーダ水を飲んじゃおう! お砂糖を入れて甘くするの。とっても美味しいんだよ」
◇◇◇
私、ちゃんと教えられたかしら? エラリーみたいに、上手くできたとは思わないけど。
でも。
「おくちいたーい」
「ふわぁ、ふしぎ!」
「おい、これ美味いな!」
「せんせー、お代わり!」
思い思いにはしゃぐ子供たちをみて思う。
生きてるって、キラキラしてるんだ。
やがて、エラリーが私の隣に来たの。
そして。
「ありがとう、フランソワ」
エラリーが腰を下ろしたわ。
「私じゃないよ、エラリーの教え方が上手かったから」
そうじゃなくて、とエラリーが笑う。
「みんなの笑顔を、守ってくれて」
「笑顔…」
もう一度、児童らの姿を見たの。
誰も彼も、楽しそうで。
好奇心と希望と期待に溢れていて。
わたし、昔のことを思い出していたわ。
魔法が使えないと知って、腐っていた私を助けてくれたのは、ただただ、自然哲理が楽しかったから。
私の知らない世界を、希望に溢れた世界を、見せてくれたから…。
「私、」
ポツリと、つぶやいたわ。
「続けて、いいのかな?」
「いいよ」
エラリーが秋桜みたいに、優しく笑う。
「前に言ったでしょ。あなたを一人にさせない、って」
うん、と頷いて、少し俯いた。
なんだかこそばゆくて、でも、本当に嬉しくて。
「ありがとう、エラリー」
そう、言ったの。




