第212話 麻酔手術
入院場所として用意されたのは、広々とした和室の部屋だった。男女別になっているらしい。布団の上には数人の女子。胸を押さえて俯いているもの。痛々しい包帯を巻いたもの。
死と生の半ば。
テオはそう思った。
食事は質素な粥だった。食べた感じがしないほど、薄いものだったけど。
夕食後にリョウアンの診察があった。
「うん、食事も取れていますね。では、明朝お声がけします。今日はゆっくりと休んでください」
布団に横になる。
羽虫の声が遠くに聞こえた。
地の果て、アキツで手術を受ける。
なんだか、不思議な気分だった。医者にかかったなんて、人生でも数回しか無いのにねぇ…。
翌朝、リョウアンが現れた。
「朝食は抜きです。これを」
煎じた薬草みたいなものを手渡された。
「これは?」
「麻酔です。お水で一気に」
「あ、ああ…」
言われるままに飲んだ。
「では、手術室へ」
手術室にはベッドが置いてあった。なんとなく見慣れたものだ。
「アリアから取り寄せたのです。手術に便利でしたので」
それこそラベルが持ってきたのだろうか。あいつは今頃テンジクあたりかね。となりゃ、今エドにいるアリア人はあたいだけなんだろうか。不思議な気持ちだね。
ベッドに横になる。久しぶりだった。アキツではずっと畳に布団だったのだ。
「では、一刻ほど後に」
「ああ」
それにしても。
本当に眠る間に終わっちまうんかね。
そのうちにテオはうとうととして。
やがて、死んだような深い眠りについた。
◇◇◇
目覚めた時には、夜になっていた。
左胸に鈍痛。そして、驚いた。
「ほ、本当に切ってやがる…」
痛みで麻酔とやらが切れるんじゃないか、などと考えていたのだけれど。
あたいは本当に、何もかも気づかなかった。
平らになった左胸に、相変わらず豊かな右胸。不恰好だけど、慣れるしかないね。
ベッドの脇に、少女が一人。
おタツだった。
「よかった、生き返ったんだね」
「生き返った?」
「ああ、手術を終えた後のテオ、顔が真っ青で死んだようだったからさ。待ってなよ、リョウアン先生を呼んでくるからさ」
パタパタとおタツが姿を消す。それにしても、じわじわと痛むねぇ。どんな風になってるんだい。
つい、観察したくなったのだけど。
「テオさん、あまり無理に動かさないで。痛みはいずれ引きます」
リョウアンだった。
「傷は糸で塞いでいるのです」
余計に見たくなったが、ひとまず我慢する。
「ここからが本番です」
「本番?」
「はい。手術では万全を期しておりますが、半数ほどの人が熱を出します」
「熱」
「はい。酷いと、手術跡が膿みます。膿が酷いと、その毒気に侵され、死にます」
「膿む…」
「ですので、体力を高める薬草を…」
「そういや、聖女様が言ってたな」
「聖女様?」
リョウアンが首を傾げた。おタツがああ、と頷く。
「アリアの、フランソワっていう偉い人だね」
「そうさ。なんでも、膿ってのは悪い細菌が作り出すらしいね。ペニシリンとかいう薬で治っちまうらしいんだけど」
「ぺにしりん…?」
リョウアンが固まった。
「どうしたい?」
「そ、その…ぺにしりん、とやらは、膿に効くのですか?」
「らしいよ。顕微鏡でみせてもらったんだよ。なんだかさ、ブドウみたいなちっこいやつが、そのペニシリンを加えると逃げだすっていうか…ああ、絵で描こうか」
「い、いや…でも、手術の後で…」
「右手が空いてるからね。おタツ、紙を押さえてくれないか?」
「いいよ」
筆を取る。少し描きづらいが、できなくはない。
「こんな感じ…だったかな。丸が三つ合わさったみたいな菌で…聖女様はブドウ球菌とか言ってたっけ。で、ペニシリンが入るとこの丸いのがばらばらになってくんだ」
「こ、これは…う、噂では聞いたことがあります。顕微鏡なる、目に見えぬものを見通す器具があると。あ、アリアにはそれがあるのですか? そ、そして…そのぺにしりん、とやらは膿に効くと…」
「ああ、そうだよ。聖女様が言うんだから間違いないね」
「な、なんと…」
リョウアンは絶句した。そして、何かを考え出す。
「あのさ」
おタツが言った。
「まずはテオに、薬じゃないのかい? あたしも手伝おうか?」
「あ、そ、そうでした! とんだ失礼を…で、では、お手伝いいただけますか?」
「うん。何をすればいい?」
「え、ええ。漢方を二つ、調合を…」
◇◇◇
「はい、これで良いかい?」
調薬室でリョウアンは再び驚いた。おタツが瞬時に三日分の漢方を調合してしまったのだ。
薬草は人参、甘草、桂皮をはじめ、十種類に及ぶのだ。無論、必要な分量は薬草によって違う。それを瞬時に取り分けて、適量を計算してしまったのだ。それも、暗算で。リョウアンですら、帳面をつけながら仕分けをすると言うのに。
「おタツ殿はどこかで調薬を?」
「調薬は初めてだけどさ、お茶の道具に似てたからね。あとは四則演算をしただけさ」
「そんなに簡単では無いはずですが…」
「さあて、山王さまのご利益かねぇ。算額は昔からやってるからさ。で、これを煎じれば良いのかい?」
「はい、水は杓で二杯、それを半量まで煮詰めます」
「はいよ」
手慣れた様子でおタツが煎じはじめた。
やがて、こぽこぽと煮立ってくる。
リョウアンは別の漢方を石臼ですっていた。
「ねぇ、リョウアン先生」
「どうしました?」
「あたし、アリアに興味があるよ。聖女さまに会ってみたい」
「それを言うなら、私も。ぺにしりんとやら、確かめてみたい。それに、顕微鏡も」
「何か良い手は無いかねぇ。女ってだけで、関所も越えられないんだもんね」
「手は…」
リョウアンが、石臼の手を止める。
「一つだけ、あるかも知れません。セイシュウ先生のお力が必要ですが…」
「そうかい」
おタツは、視線を湯に置いたままだった。
「本気の覚悟ですか?」
「そうだねぇ、少なくとも親との縁が切れるだろうねぇ」
でもさ、とおタツが顔を上げて、リョウアンの瞳をじっ、と見た。
「冗談なら、こんなことは言わないよ。あたしは、アリアに行きたい。あたしの算額が通用するのか、試してみたい。それに」
ふふ、とおタツが笑った。
「アリアじゃ、あたしは別嬪さんらしいからね」
「わかりました」
リョウアンが頷いた。
「手を、尽くします」




