第210話 アルバ・フェリス
シルバ教国。
アルバ・フェリスにて。
盛夏に焼けた土はまるで岩のように硬い。
鍬を打ち付ける。刃先で少し掘る。変わらない。もう一つ。ようやく黒い土が現れた。
手に取る。ミミズ一匹見当たらない。
腕で額の汗を拭う。
もう一度鍬を振る。
変わらない。水が足りないのか、土が悪いのか。
この土地はいつもそうだ。小麦なんて育ちようがない。蕎麦ならいくばくか、取れたりもするんだが。
はー、と壮年の男が天を見上げた。
カラカラに乾いた空が恨めしい。
元聖光燦然騎士団、輜重隊隊長のレニエであった。フィヨルド動乱の後、逃亡兵らを聖都セレスティアへ送り届けたのちに、軍を除隊し故郷のアルバ・フェリスに帰郷したのである。
無論、楽な道ではなかったが。
「レニエ隊長」
人影が現れた。
「もう隊長じゃねぇって、言ってるだろ」
「いいえ、私にとってはいつまでも隊長ですよ。隊長がいなければ、僕はフィヨルドの大地で転がっていたでしょうから」
◇◇◇
アルマン・ヴァネール。近隣を治めるヴァネール家の次男坊である。彼はグルンクルス会戦で本陣の防衛についていた。その後、マクシミリアンの全軍突撃の際はやや前方にいたのだが、それが幸いしたのだ。ガストーネの黒鋼疾風騎士団の初撃を避けられる位置におり、その後の崩壊後も軍団の流れに沿って逃亡に成功したのだから。
だが、それからが地獄だった。
ガストーネ軍の執拗な追撃に共に逃げた兵らは次々と討たれた。糧食も心許なく、三日三晩、飲まず食わずが続いた。あまりの渇きに朝露を舐め、木に彫りを入れて樹液を舐めた。
まるで渇きは癒されなかったが。
追撃が収まると、今度は野盗、強盗、山賊が襲いかかってきた。気力を振り絞り、魔法を放って反撃した。そしてふらつく足を引きずって、ひたすらに逃げた。
だが、五日目の朝。
もう、楽になろう。
身体を投げ出し、心も身体も尽き果てて、せめて名誉ある自害を。
そう決意した時だった。
「あ、あの! 大丈夫ですか!」
レニエの指揮下にいた、ハンスだった。
アルマンは助かった。
だが、他の者は全員、死んでいた。
どうして生き残れたのか、わからない。
わからないが。
「私には何か…神に与えられた使命があるのでしょう。であれば、神に仕えるべきでしょうね」
そうして、彼もまた軍を除隊し、司祭となった。
まだ見習いの身分ではあるが、アルバ・フェリスを切望したのは他でもない。
レニエ隊長について行こうと思ったのだ。
◇◇◇
「で、どうしたんだよ。神父さまがよ」
「まだ助祭の身ですよ。それよりも」
アルマンが土を見た。
「今年の冬を越せるものか、皆不安がっています」
「だろうな」
レニエが唾を吐いた。土に紛れたそれは、乾いた土に吸い込まれて瞬時に消えてしまった。相変わらず、パラパラと崩れる砂のような土しかない。
「フィヨルドからの輸入は、まぁ厳しいな」
「はい。聖都へは聖倉の解放を求める請願を出しましたが」
「無理だろうよ。小麦が足りないのはどこも同じだ。だいたい、去年の段階で怪しかったんだぜ。フィヨルド不作の影響でよ」
「なにか、手を打たねば」
「ああ、なにか…」
「たとえば…アリアの瓶詰めなど」
「お前、神父だろ?」
瓶詰めを開発した、フランソワなるアリアの令嬢が教会法に触れ、国外追放されたことはレニエの耳にも入っていた。
神の摂理を捻じ曲げたる邪教の品。
それが公式の見解である。
「あくまで噂ですが、セレスティアでは瓶詰めが流通しているようです。厳格な輸送管理に置かれているようですが」
「そうなのか?」
「はい」
「じゃ、こっちのも回してくれよ…いや待て。数が少ない、ということか?」
アルマンが静かに頷いた。
「推察するに、聖都を満たすのが限度かと」
「俺らは切り捨てか」
「はい。ですが、レニエ隊長であれば、と」
「どういうことだよ」
「ハンス殿に救援を」
「あり、っちゃありだな」
ハンスがアリアの王立学院にいることは知っている。だが、それよりも。
「ちょいと小っ恥ずかしいが、あいつを頼るか」
「あいつ?」
「セドリック・ハクスリー。あのフランソワとかいう嬢ちゃんの恩師でよ、ついでに…」
視界の先にある、大きなクスノキを見る。
「俺の幼馴染さ」




