第209話 絵師三番勝負、決着
「第二番だ!」
舞台は戻って再びアサクサの奥山、ジュザブローが声を張り上げた。相変わらずしとしとと雨が降り続いているが、観客の数は第一番より遥かに多い。
「お陰さんで江戸中の話題になってらぁ! 第一番も増刷増刷の大入りだぜ、ありがとうな! そして本日は第二番、風景画勝負ってわけだ! それじゃ、早速発表するぜ。第一番で先勝してるオウイだ!」
布がさっ、と解かれて浮世絵が現れる。おお、と歓声。
富嶽であった。
「ほー、あやつめ、いつのまにここまで」
審査員の画狂卍が感嘆した。
「ふん、いつまでもホクサイの影にゃいられないからね!」
それはアサクサの五重の塔を視点に、はるか遠くの富嶽を効果的に配置したアサクサの街並みである。確かに見るものを圧倒する構図であった。
「こいつはたまげたぜ、卍の爺さんが褒めるなんて滅多にないぞ! こいつはオウイで決まりかもしれねぇな! とはいえ、こっちも力作だぜ。テオの風景画だ!」
ジュザブローが布を取る。
見学に来ていたおタツがそれを凝視した。
「テオ、あれって」
「ああ、おタツだよ」
「で、でも、風景画なんだろ? あんな小さなお社じゃ…」
「だから良いんだよ、見てな」
テオが不敵に笑う。
卍がじぃーっ、とテオの絵を見て、そしてかかか、と大声で笑い出した。
「こりゃ愉快! なるほど確かに風景じゃ、オウイが大江戸とすれば、テオは江戸の片隅じゃな。うん、面白い、面白い! 人に焦点を当てているようで、視線を焦らしよる。全部が主張しとるのに、ちゃんと一枚に纏まっとるわ! 紫陽花の色使いも見事じゃ、実に素晴らしいぞい!」
「おーっと、卍の爺さんが絶賛だぜ! だが勝負はおめえさんたちの眼力次第だ! さぁ、買ってくれ、買ってくれ! 一人一枚ずつだぜ!」
そして、結果は。
「テオが逆襲だ! これは面白くなって来たぜ! 今のところ一勝一敗、泣いても笑っても次の第三番で決着だ! 卍の爺さん、お題はどうする?」
「そうじゃのぉ」
卍が顎髭ちょいちょい、と撫でた。
「物語じゃ。一枚の絵に物語を入れてみい!」
「だそうだ、期限は同じく二週間! 次回も乞うご期待だぜ!」
◇◇◇
雷鳴を伴う大降りの雨が二、三日続いたと思ったら、途端に空が嘘みたいに晴れ上がって、澄み切った空が江戸に広がった。
なるほど、とテオは思う。
オウイが描きたかったのはこの風景だね。
得心して、いつもの倉屋に赴くと先客がいた。
「おや、珍しいこともあるもんだねぇ」
オウイである。
「邪魔してるよ、テオ。にしても、ここの茶は美味いねぇ。暑気払いに丁度いいや」
「井戸水で冷やしてるからね」
はい、とテオにも茶が差し出された。切子の硝子である。
「へぇ、涼しげだねぇ。丁度汗をかいていたんだよ」
「どこに行ってたのさ」
「ちょいとコトトイの渡しにね」
ふん、とオウイが鼻を鳴らした。
「気づいたんかい?」
「ああ、想像で描いた、ってね。ずっと雨だったろ?」
「そうさ、江戸の風景といや富嶽だからね。あいにく梅雨の時期だったから、富嶽は確かに想像で描いた。いつも見慣れてると思ったんだが…ちょいと手が足りなかったみたいだね」
「今ならわからなかったねぇ」
「そうだねぇ、ま、風景はあたしの得手ではないね。ところで、あの少女はこの子かい?」
オウイがおタツを見た。
「そうだよ、見たまんまだ」
「良い娘だね。次もおタツでいくのかい?」
「さぁね、どうしたもんかね」
そうかい、と言ってオウイが立ち上がった。
「おタツちゃんよ、お勘定」
「はーい」
勘定を終えたオウイが去った後で。
「なにしに来たんだろ?」
「さぁて、あたいの手の内でも覗きに来たのかもね」
答えながら、左の乳房に触れる。
違和感は失せるどころか、増していた。
なんだろうねぇ、とテオは思う。
なんか、しこりみたいなのがある気がするんだよねぇ…。
◇◇◇
「ふーむ」
原画の締切まであと二日。
限られた時間ではあったが、テオはツクダの海岸に立っていた。アサクサからは距離があるのだが、おタツの勧めで川船を利用したのだ。行きは下りだから、とにかく速い。一時間もかかっちゃいないんじゃないだろうか。帰りは倍以上時間が掛かるようだが。
砂浜には複数の町民がいた。尋ねてみたら潮干狩りらしい。試しにちょいと掘ってみたが、面白いぐらいに二枚貝がザクザク現れた。あいにく桶も何も持っていなかったから、そのままに。不満そうに水管を伸ばしてぴゅーっ、と潮を吹いて、砂の中に隠れてしまう。
手のひらについた砂を、打ち寄せる波で軽く洗う。シャルルはヨコハマと同じく港湾都市だから、こういう砂浜は見当たらない。エヴィル港の方が近いかね。そう思いながら、潮干狩りの姿をラフスケッチする。白い砂浜、青い海、透き通って晴れやかな空、ふわふわと浮かぶ雲。
悪くないんだが。
「やっぱり、描きたいものを描くべきだねぇ」
流石に三回連続は、とテオも思ってはいたのだが。
「大丈夫なのかい、あたしばっかり描いて」
倉屋に戻って、スケッチを開始。おタツに心配されたけれど。
「あたいもそう思う。けど、描きたいやつを描いた方が後悔しないと思ってね」
そうして、テオは描いた。
渾身の一作である。
◇◇◇
そして、第三番の当日。
「なるほど、そう来おったか」
卍が唸った。
夏晴れのアサクサが、気温以上の熱気に包まれる。
「卍の爺さん、判定はあるかい?」
ジュザブローが尋ねた。
すでに二人の浮世絵は公開されている。
野次馬らが一目見ようと押し合いの状況であった。汗臭さが微妙に漂う。
「そうじゃの…オウイよ、お主の物語を教えよ」
オウイがめんどくさそうに顔をしかめた。
「そういうのは野暮ってやつだろ。見たやつが物語を作りゃいい」
「そうじゃの、そういう作品じゃ。だが、敢えてお主の口に出してみい」
はー、とオウイが諦めたようにため息をつく。
「男がいて、女が袖を掴む。それだけだよ。表情をどう捉えるのか、それは見たやつ次第さ。仲睦まじく出かけるところなのか、勇気を出して袖を掴んだのか。それとも別れなのか。あたいは物語を作りゃしない。物語は見たやつが作るんだよ」
おお、とどよめき。ふむ、と卍が頷く。
「成長したの、オウイよ」
「別に…。ただ、これが一番だって思っただけだ」
「それでは、テオに聞く。これは倉屋のおタツじゃな?」
「ああ、その通りだ」
「敢えての三度目、あるいは?」
「敢えて、の方だよ。あたいが描きたいものを描いた」
「なら、この物語を口にせよ」
「オウイと同意見だよ、野暮ってやつだが…あたいが描きたかったのは、人生だ」
「ほう?」
「色んな人を描いた。おタツを偶像に据えてね。赤子がいて、親子がいて、恋人がいて、夫婦がいて、爺さんと婆さんがいる。エドの人間も、エドじゃない人間もいる。人生は一度しか味わえないが、倉屋には色んな人が交錯する。旅人向けの茶屋で、アサクサの茶屋だからかな。本当に、色んな人を見た。希望や夢を持つ人も、全てを捨てて故郷へ戻る人も。あたいはそれを、全部描きたかった。その中心に、変わらないものを…倉屋とおタツを描いた。それだけだよ」
「つまり」
卍が口元を緩めた。
二人が絵師として、段を上げた事を慶ぶように。
「オウイはひと組の男女で物語を想像させた。テオは一つの絵に人生という物語を押し込んだ。そういう事じゃな」
オウイとテオが顔を見合わせた。
「そうだけど、そうじゃないね」
「あたいも同じだよ。そうなんだけど、そうじゃないんだよ」
「ええい、これだから絵師というもんは…。ジュザブローよ、此度は審査を降りるぞ。甲乙つけ難しじゃ!」
「いいね、卍の爺さん。俺もそう思ってたぜ。じゃ、判断はお前らに託す! 一人一枚、さぁさ買っとくれ、買っとくれ!」
今回の動きは本当に遅かった。
誰も彼も、散々に悩んだのである。
そして、結果が出た。
「はははははは!」
ジュザブローが爆笑した。
「同着だ、同着! 完売御礼だ! いやしかし驚いた! 千枚刷れば足りると思ったんだが…! 負けた負けた! 俺はなんだか酒が飲みたい気分だぜ! おい、この売上、全部酒に変えてこい!」
おおおお、とエドっ子らがどよめいた。
アサクサ奥山、リョウゴクの川開きよりも人を集めたその騒ぎは、夜どころか翌朝まで続いたのだ。流石の幕府も治安維持に出動する始末だったのだが。
「誰にも迷惑かけてねぇだろ!」
「ささ、お堅いのは忘れて、飲んだ飲んだ!」
ついつい、酒を押し付けられて。
つい、一杯やってしまったのである。
◇◇◇
そんな中。
ふー、とテオは一息ついて、空いていた椅子に腰を下ろした。
なんだろうね。
左の乳房に触れる。
しこりが、気になって仕方ない。
「あんた、もしかして…」
ちびりちびりと酒を飲むオウイが言った。
「岩じゃないのかい、乳房の」
「岩…?」
首を傾げる。聞き慣れない言葉だった。
「ああ、放っておくとあんた」
ぐい、とオウイが酒を飲み干した。
「死ぬよ」




