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第208話 山王さまの紫陽花

「卍の爺さん、票を頼む」

 ふん、と審査員の画狂卍が鼻を鳴らした。

「オウイの勝ちじゃ。確かにテオの線と構図はオウイより上。じゃがの」

 卍がオウイの浮世絵を一枚、手に取った。

「江戸っ子は自然の美より、女らしい色香を求めるんじゃ。のう、そこのお侍もな」

 侍がさっ、と買い求めたばかりの浮世絵を隠す。

「い、いや、これは…その、風紀を乱すものでないかの確認であって」

「検閲なら通ってるぜ、判子押してるだろ」

 ジュザブローの言葉に、町人らが爆笑。

「こ、こほん…良いではないか! 吉原通いより健全じゃ!」

 開き直った。おかしな国だねぇ、とテオは思う。アリアで騎士様を笑いのネタにするなんてあり得ないからね。

 ともかく。

「すまないね、おタツ」

 テオの敗北である。おタツが首を横に振る。

「ううん、あたしは嬉しいよ。こーんなに美人さんに描いてくれてさ! あ、一枚お店に飾っていいかな?」

 おタツの笑顔にホッとする。

「ああ、飾りな。でも、早速後がないね…次の画題はなんだろうね」

 そこで、ジュザブローが宣言した。

「次は大江戸風景画だ! 今度は時間を取るぜ、二週間後にまた集まってくれ!」


◇◇◇


 ラベルは次の便でアリアに戻るらしい。仕入れは終えたから、早く帰国して売り捌くのだそうだ。

「あと、ちょいとお国様とツテができそうなんでな。最近ベアトリスって商売仲間が貴族入りしたらしくてよ。アキツ貿易用に専用船をおひとつ、ってな」

 そのうち、俺は大商会を作ってやるぜ、と夢を語ってからアリアへと去っていった。


 一方、テオである。

「最近、賑やかだねぇ」

 倉屋である。店の奥にはテオの描いた肖像画が一枚。

「お陰さんで、絵師対決から寄ってくれる人が増えてねぇ。これもテオのおかげだよ」

「そうかい、モデル代にはなったかい?」

「充分さ。それより…ちょいとお待ちを、今持ってくからね!」

 客に呼ばれて、ぱたぱたと給仕。若い男性が二人組。一言二言話かけられて、愛想よくニコニコと接客をしてから、テオの元に戻ってきた。

「それで、題材は決まったのかい?」

「いや、まだだ。時間はあるし、江戸を回ってみようと思うんだけど」

「それなら…あら」

 ぽつぽつと雨が落ちた。

 そして、ざあっ、と本降りに。遠くで雷鳴。

「この時期は雨が多いんだよね。そろそろ水無月だもんな」

「雨…」

 そういえば、持ってきた浮世絵はもう一つあった。

「おタツ、ここはどこなんだい?」

 懐に忍ばせていた浮世絵を見せる。

 雨が降る最中、巨大な橋を傘を差した町人らが歩いている。

「えっと…大はし…?」

「嬢ちゃん、そりゃハマチョウの新大橋だぜぇ」

 客の一人が教えてくれた。

「ありがとよ、ここにはどう行くんだ?」

「隅田川をまっすぐ下れば着くぜ」

「あ、それならさ」

 おタツが手を叩いた。

「あたし、明日のお休みにアキツバシのお宮に行こうと思ってたんだよね。一緒にどうだい?」

「いいねぇ、江戸散歩だ。案内、頼むよ」

「ふふ、なら目いっぱいおめかししないとねぇ」

 おタツがそこで、楽しげな笑みをみせた。


◇◇◇

 

「今日は山王さまの縁日なんだよね」

 隅田川の河川敷を歩く。しとしとと雨。雨傘は倉屋でお借りしたものだ。

「山王さま?」

 テオが尋ねる。

「神様の名前だよ」

「お社みたいなもんか」

 アリアにも世俗宗教、自然崇拝の意識が強い。ヤーヴェ教会の他に所々、その土地の神を祀ったお社があるのだが。

「山王さまは色んなところにあるねぇ。他にも稲荷さまが有名かな」

「神様が色んなところにいるんかい?」

「そりゃそうだろ」

「それじゃ、センソウジも山王さまなのかい?」

「センソウジは観音さまだよ」

「観音さまってのも…なんだ、色んなところにいるのかい?」

「そうだよ、どこにお参りしてもご利益があるなら、近い方がいいしねぇ」

「アキツの神様は分裂するのかい?」

「分裂?」

 おタツが首を傾げて、ふふ、と楽しげに笑った。

「テオって、面白いこと言うねぇ。難しいこと考えるより、そんなもの、って思った方が楽じゃんか」

「そりゃ、そうだけども」

 テオにしてみたら違和感しかない。アリアには『分祠』という概念が存在しないのである。


 ともかく。

「ここが大はしか」

 アサクサより一時間ほど。しとしとと雨の降る隅田川、曲面の美しい木造の橋。

「立派なもんだねぇ。何十人でも一度に渡れそうだ」

「そうだろ、江戸でも自慢の橋さ。ここにするのかい?」

「そうだねぇ…」

 悪くはない、もちろん悪くはないのだが。

 おタツと二人で橋を渡り、振り返って眺める。郊外へと広がる橋から、中心部の栄え具合を見る格好になった。

 だが。

「そうだねぇ、候補の一つ、ってところかな?」

「そうかい。それじゃ、あたしも付き合ってもらおうかな」

「山王さまとやらに行くんだね?」

「そうだよ」


 もう一度大はしを渡り、アキツバシ方面へと戻る。中心部ではなく、少し外れたこぢんまりとした場所だった。真っ赤な鳥居をくぐり、本殿でお参り。この辺りはアリアの土地神と似たような雰囲気だ。違うのは。

「これをね、納めに来たんだよ」

 おタツが巾着から取り出したのは、何かの図形が描かれた、台形の木の板だった。

 足元には紫陽花。雨水に優しく可愛らしく輝くようで、それも溢れるくらいにまんまるい。

 目の前には、文字やら図面やら、色々と描かれた台形が大量に取り付けられた、看板状のもの。

 肩に傘をかけて、少し背伸びをして。

 おタツがそれをえい、と手にした台形を引っ掛けた。

 テオはその仕草に息を呑む。


「どうしたんだい?」

「い、いや…それよりおタツ。これはなんだい?」

「絵馬って言うんだよ。願い事を書くとご利益があるって言われてる」

「おタツもかい?」

「いや、あたしのはね」

 先ほど捧げた絵馬を指した。

「算額が解けたからね。奉納に来たんだよ」

「算額…数学みたいなもんか?」

 そこには三角形が一つと、丸が二つ。それにおタツの文字。『重なる部分の積を求む。答えは三歩二合』とある。

「おタツは数学ができるのかい?」

「できるってもんじゃないね。遊びみたいなもんさ」

 おタツはそう言って、他の絵馬をカランコロンと手に取った。まるで何かを探すみたいに。

「でも、どうして一番上に?」

「ん、願掛けだけどさ」

 おタツが笑う。

「もっと難しい算額、解けるようになってみたいじゃないか。…うん、これにしよう」

 今度は懐紙を取り出して、さっ、とメモを取る。

「何してるんだい?」

「出題だよ。ここには答えを奉納した絵馬と、問いを出す絵馬があるんだよね。で、解けたらまた奉納するんだ」

「面白い事をするねぇ」

「楽しいからねぇ。それでね、ええと…。ああ、あった。朱色でマルがついてるだろ。この前奉納した絵馬だよ。たまにこうして、褒めてくれるんだ。『更に精進する事』だってさ」

「これは誰がマルをつけるんだい?」

「さあ、誰だろうね。出題者かもしれないし、お偉い算額の学者さんかもしれないねぇ。しばらくすると神社で焚き上げられちまうからさ、こうして時々様子を見にくるんだよ」

「見ず知らずの相手とかい」

「そ、知らない人。だから楽しいんだよ、お宝探しみたいでさ」

 おタツがそこでくす、と楽しげに笑った。


◇◇◇


 それから、数日後。

 テオは風景の題材を求めて、アサクサを中心に思いつくままに歩き回ったのだが。

「やっぱり、あそこしか無いねぇ」

 そろそろ、期限である。

 梅雨の晴れ間、外で描くには今日しかない。

「タイトルは…そうだな」

 山王さまの紫陽花

 カンバスの端に、そう書いた。

 中央には、和傘を肩に掛けて、ちょいと背伸びした、少女が一人。


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