第207話 浮世絵の工程
「ほーん、おめえさん中々いい絵だな。この子は誰だ?」
下絵を完成させて、ジュザブローに手渡した所だった。
「おタツって言うんだ」
「聞いた事ねぇな。店はどこだ?」
「倉屋だよ」
「倉屋…エゾ街道沿いか。街はずれだな」
「そうなのかい?」
「アサクサの中心はセンソウジだからな。おい、ヨサク。彫りを頼む」
「まだ線画だよ。色はどうするんだい?」
そうだな、とジュサブローが頷いた。
「おめえさん、浮世絵は初めてか」
「ああ。だけど、版画ならやってたよ。墨摺りだけどね」
「なんだ、アリアはまだ単色刷りなのか」
「あいにくね。だからアキツに来たんだよ」
「はは、そりゃいい。エドの印刷は世界一ってことだな。色は主版が完成してからだ。ホント言うと、主版の彫りだけで五日は欲しいところなんだが、背景なしの人物画だけだからよ。ヨサク、二日でいけるか?」
「旦那、特急料金ですぜ」
「わかったわかった、期待しとけ。何しろエドっ子は飽きっぽくて仕方ねぇ。背景なしならギリ一週間、エドっ子の我慢の限界までに売り出せる、って寸法よ」
「商売人だねぇ」
「それが版元、要するに俺の役目だからな」
「それに、彫り師ってのは初めて聞いた」
「どうやってんだい、アリアの印刷ってのは」
「あたいが彫るんだよ、銅板をさ。じゃなきゃ線がちゃんと出ないだろ?」
「ほー、そりゃ手間がかかって仕方ねぇ。安心しな、ヨサクはウチじゃ一番の腕前だ。おめえさんの美人画、完璧な主版にしてやるぜ。あと、この原画は一緒に彫られるから、手元には残らねぇ。いいな」
「いいよ、銅版画と一緒だ」
「そうかい、そうかい。それじゃ、二日後にまた来てくれ。色はその時だ」
「わかった」
◇◇◇
宿に戻る。倉屋から歩いても五分とかからない場所なのだが、改めて景色を眺めてみると、ひっきりなしに人が往来するエゾ街道とやらの反対側はどこかのどかな田圃が広がっていた。所々に建物があるから、こんなものか、と気にしていなかったのだけれど。
「寺社客も来るけどさ、ウチ、ホントは街道客向けの茶屋だからね」
すっかり馴染みになった倉屋へ訪れると、おタツは何も言わずに茶と菓子を置いた。テオにしてみれば砂糖なんてちょっとした高級品なのだが、茶と菓子込みでたった十文である。アリアなら倍以上取られちまうね、と思いつつ茶を含む。
茶はいつも同じだが、菓子はその日によって変わるらしい。いつもの餡子ではなく、砂糖の結晶のような。
「これ、なんて言うんだい?」
「和三盆だよ、砂糖を固めたやつ」
「贅沢だねぇ」
「そうかい? 割れもんだよ」
今日は、というか普段から客入りは少ない。テオは良く理解していなかったが、場所がとにかく悪かったのだ。中心地のアキツバシまでは一時間、ゆったり歩いても二時間程度。東に逸れればセンソウジやアサクサの歓楽街まで十分もかからない。
そういや、とテオは思った。
「馬車とか、ないのかい?」
「ないよ、馬なんてお武士様が使うくらいさ。あたしは良く知らないけれど、幕府様が禁止してるんだってね」
「不便だな」
「そうかい? 歩くのも楽しいじゃないか」
「そりゃ、そうだけど」
「それに、馬なんてあったら、倉屋なんてすぐに潰れちゃう。街道客からも素通りされちゃうよ」
「それもそうか。アサクサの方は賑やかなのにな」
「あたしがもう少し、美形なら客も呼べるんだけどね。ほら、知ってる? 浪速屋って」
「なにわや?」
「二天門の…ああ、まだ地名が分からないよね。センソウジの境内を反対側に行ったところに、いっつも混んでる茶屋があるんだけど」
「そう言えば…」
アサクサはスケッチ目的でそこら中歩いたのだ。確かに一つ、行列ができている茶屋があったような。
「あそこのおキタさん、エドで一番の美女って話でね。鼻の下を伸ばした男衆が毎日わんさか来るんだよ。茶と菓子ならウチの方が上だと思うんだけどね」
「はーっ、男はどの国も情けないねぇ」
「ね。だから、あたしも美人だったらもっと賑わうのになぁ、って」
「そうかい、なら安心しな。あたいが証明してやるからさ」
「あたしが美人、って?」
「ああ」
「なら、期待しとく。あたしも勝負、見に行くよ」
◇◇◇
二日後。
「ほー。これが主版かい」
モノクロで仕上がった版画を見て、テオが感嘆の声を上げた。ジュザブローらの工房である。
「ああ、この上に色の指定をしてくんだ」
「どうやって?」
テオが首を傾げる。
「見た方が早いだろ。ヨサク、いいのあるか?」
「へぇ、ちょいお待ち」
ヨサクはそう言うと、さっ、と全く同じ形をした四角い印を取り出した。二つある。
「たとえば、四角の枠を黒、内側を赤とするぞ」
ジュザブローがそう言って、和紙の中央に版を押す。黒色の印が和紙についた。
「ホントの浮世絵は、ズレないように印をつけてるんだが、今日はご愛嬌だ」
続いて、赤いスタンプを。確かに多少ズレたが、黒色の枠の中に、真っ赤な色がついた。
「なんてこったい、同じ版画を何個も用意して、場所ごとに色を変えて印刷してくってことかい!?」
「そう言うことだ。主版で印刷して、彫り師が色の部分だけ残るように彫っていくんだよ。で、最後に摺師が丹精込めて一枚に仕上げるんだ。どの工程が欠けても浮世絵にならねぇんだぜ」
「すげぇ技術…」
「だろ? ま、ともかく色の指定だ。そうしないと何版彫ればいいかわからねぇからな」
「塗ればいいのか?」
「ああ、塗ってもいい。文字で指定を書くやつの方が多いがな」
塗りはあまり得意ではないが…。
おタツの快活な姿を思い起こしながら、色を入れる。
「こんなもんでどうだい?」
「ああ、いいんじゃねぇか。にしても、器量なしをモデルにするとはな。なんとも言えねぇ、なんって言うんだ。愛嬌って言うのか?」
「おタツは美人さんだよ、アリアなら誰もが放っておかないね」
「そうかいそうかい、刷り上がりが楽しみだぜ。次は三日後、アサクサ奥山の繁華街を押さえてる。そこで販売勝負だ」
「あいよ、楽しみにしてる」
◇◇◇
三日後。
「よ、どうだい具合は?」
江戸中を行脚していたラベルが戻ってきた。船に積んでいたアリア品を売り捌いて、代わりにアキツの品をしこたま仕入れたらしい。
「最近は瓶詰めが好評でよ、アレだろ、聖女フランソワ様が開発したんだよな」
「へぇ、さすが聖女さまだ。アキツの人間もわかってるね」
「聖女って?」
おタツが首を傾げた。
「アリアの偉い科学者様だよ」
「尼さんみたいなもんかい?」
「尼さん?」
あー、とラベルが仲裁に入った。
「嬢ちゃん、聖女様ってのは、そうだな…ゲンナイの旦那みたいな人さ」
「あの発明ばっかりしてる? 変な人じゃん」
「いや、ちが…くもないかもしれねぇな。ところでテオ、この嬢ちゃんは?」
ラベルが尋ねた。
「あたいのモデルだよ、おタツって言うんだ」
「ほー、別嬪さんじゃねぇか」
おタツが首を傾げた。
「アリアだと美人なのかい?」
「だからそう言ってるだろ、あたいは世界を見てる、ってさ」
「嬉しいねぇ、南蛮でも褒められる、ってのは」
そんな会話をしていると。
「皆の衆、よく集まってくれた!」
ジュザブローである。手には紙を丸めたもの。アレで声を大きくしているらしい。
その声で、ばらばらと集まっていた町民らが集結する。一部、刀を腰に差した者も。
「お侍さんだよ、偉い人さ。あんまり好きじゃないけどね」
おタツが小声で教えてくれた。
「それじゃ、女絵師対決第一戦だ! まずは南蛮はアリア一の女絵師、テオの美人画だぜ!」
衝立のようなものにかけられていた布がはらり、と落ちる。
おおー、と歓声。
「はー、なんだか照れ臭いねぇ」
おタツが頬の火照りを隠すように両の手のひらをほっぺに当てた。
「続いて、俺たち江戸、美人画を描かせたら天下一! オウイの美人画だ!」
おおおおおお!
明らかに声が大きい。む、とテオが顔を顰めた。
続けて、野次が飛ぶ。
「よ、浪速屋のおキタ! 天下一!」
「美人画のオウイ、江戸っ子をわかってる!」
などなど。
「それじゃ、ここから一刻は販売勝負だ! みんな気になる方を一枚だけ買ってくれ! 安心してくれよ、勝負のあとはもう一枚も買えるからよ!」
わっ、と町人が殺到した。ジュザブローの丁稚らが列を整理。刀を持ったオサムライ、とやらは…。治安維持ではなく、買いに来たらしい。普通に列に並んでいた。変な景色だねぇ、とテオは思う。
「あんた、悪くないね」
振り返る。オウイだった。
「あんたもね」
素直に認める。遠目だが、シナを作って肩と首筋をほんのりみせた姿。そしてまるで生きているかのような艶かしい光。
悔しいけど、今のあたいには出せないね。
そこは認める。
だが。
「線なら、あたいの方が上のはず…」
そのまま、成り行きを見守る。
結果は。




