第206話 エドの美人、世界の美人
宿としてラベルが紹介してくれたのは、商店が広がるアキツバシという場所から徒歩で一時間ほど離れた、アサクサという場所だった。
「ひゃあ、賑やかだねぇ。こりゃ飽きなそうだ」
「だろ? んじゃオレは商売があるからよ、しばらく外すぜ。三番勝負には戻ってくらぁ」
ジュザブロー曰く、準備に一週間ほどかかるらしい。
「ああ、ありがとな。あたいも絵描きの魂が震えるってもんだ! ちゃんと準備しておかないとな」
ラベルが部屋を出ていき、画材を準備。
そ、と左乳房に手を添える。
何となく、少し前から違和感があったのだ。
「ま、旅の疲れだろうよ。それよりデッサンだ、デッサン! ここのとこ、海と男ばっか描いてたからな」
意気揚々と宿を出る。小ぶりながら清掃が行き届いていて、居心地の良い場所であった。アリアの安宿じゃこうはいかないね、と満足しつつ。ふらりふらり。アキツバシは上品そうな夫人に恰幅のいい旦那、それに『サムライ』とかいう騎士階層が羽振りをきかせていたが、こっちは庶民の街、って感じだね。着崩した商売女やら昼間から酒を煽る爺さん、威勢よく駆け足で通り過ぎる職人ら。
活きてる街だ。
スケッチブックを取り出して、地べたに座り込んで筆を走らせる。
すると。
「あんた、南蛮かい?」
ナンバン、というのはエドで外国人を指す言葉だ、とはラベルから聞いていた。見上げると、まだ幼さが残る、整った顔立ちの女子がいた。
「そうだよ、アリアから来た」
「邪魔なんだよねぇ。店、開けられないだろ」
振り返る。真後ろで木戸を開けているところだった。
「こいつはすまないね。場所を変えるよ」
「あんた、絵描き?」
「ああ、そうだ」
「なら、座ってきなよ。お茶代いただけりゃ、使っていいからさ」
「そりゃありがたい。ちょいと腰が痛かったんだ」
「そりゃそうだろ。十文だよ」
十文、って言うと…。ラベルが両替した銅銭を取り出す。
「二枚だよな」
「毎度」
少女が銭を受け取り、奥に引っ込んだ。長椅子に腰掛ける。しばらくして、少女が緑色の茶を置いた。アリアの茶より鮮烈な爽やかさが鼻腔をくすぐる。テーブルは無いみたいで、少女が置いたのはテオが腰掛ける長椅子の脇だった。団子がひと串。
そのまま無言でスケッチ。風景ごと街ゆく人をキャンパスに閉じ込める。
小一時間ほどで下絵が終わった。
「へぇ、いい絵だね」
少女が覗き込んだ。
「まぁね。おかげで集中できた。また来ていいかい?」
「いいよ、好きにしなよ。あたしはおタツって言うんだ」
「あたいはテオだ。じゃ、また」
昼飯を挟んで、午後は川べりで。夕方に宿に戻って、行灯で清書。なんとなく気に入ったから、翌日以降もおタツの店に顔を出して、それからアサクサ中をデッサンし続けた。
そして、三番勝負の当日を迎える。
◇◇◇
「さぁさ、寄ってらっしゃい見てらっしゃい! 世紀の大勝負が始まるよ! なんと美人絵師同士の絵描き対決だ! これを見逃してエドっ子は名乗れないね! さぁさ、さぁさ!」
威勢の良い呼び込みが続く。ジュザブローが手配した興行師らである。エド中に広告を打っておいたから、反応はすこぶる良い。
火事と喧嘩が大好物、見世物興行どんと来い、のエドっ子らが続々と集合したのである。
舞台はセンソウジ。
アサクサの一角を占める、広々とした寺院である。秘仏ご開帳に匹敵する人の入りに、坊主らもほくほく顔であった。当然場所代は坊主らの懐に入るわけである。
「みんなよく集まってくれた! この世紀の大一番、今日は映えある初日だ! 早速勝負について説明するぜ。まずは我らが江戸美人画の代表、オウイ!」
オウイが手を挙げた。歓声。
「おめえの春画には世話になってるぞー!」
下世話な声には鼻で笑う。
「そして南蛮からの挑戦者だ! 海の反対側、アリアから訪れた自称アリア一の絵描き、テオだ!」
なんだか面食らうね。
テオは思った。こんな大衆に囲まれるなんて初めてだ。聖女フランソワさまもこんな気分だったんだろうか。
「誰だー」
「いいケツしてるぞー」
「別嬪だー」
助平しかいないのかい、アキツってのは。
思わず呆れた。
「そして審査員は画狂卍の爺さんだ!」
「ほっほー」
あの爺さん、本当はすごいやつなんじゃ?
テオが首を傾げた。
「それじゃ、お題を発表するぞ。一番目は…」
勿体ぶって、卍が間を開けた。
「美人画じゃ!」
おお、と歓声。
「悪いね、テオ」
ニヤリ、とオウイが笑った。
「あたしが一番得意なお題だ」
「バカ言っちゃいけねぇよ」
テオも言い返す。
「あたいは世界で一番、聖女フランソワさまを描いてきたんだ、負けるわけにはいかないね」
◇◇◇
期限は一週間。モデルの交渉も含めた時間である。期限の五日前に元絵(下書き絵らしい)を蔦屋に渡せば、完成した浮世絵としてセンソウジで発売されるらしい。
その売れ行きと、画狂卍の総合判断で勝負が決まる、という塩梅だ。
美人に制限はないが、一つだけ指定が出た。つまり、「実際に見て描く事」である。つまり、テオが描き慣れた聖女フランソワ像は使えないのだ。
となると、思いつくのは一人しかいない。なにしろ執筆に使えるのはたったの二日だ。
「あたいに描かせてくれねぇかい?」
茶屋の娘、おタツである。
「あたし?」
おタツが首を傾げた。
「あんまり、美人じゃ無いと思うけど」
「何言ってるんだい、そのくりくりとした愛らしい瞳、少し日焼けしてるのも健康的でいいじゃ無いか! 自然な髪のウェーブもいいね!」
「テオって、変な人だね。全部器量なしの条件じゃんか。気にしてるのに」
「どういう事だい?」
「きつね目に白粉みたいな白い肌、髪は真っ直ぐ艶やかに。これが美人の条件だよ」
「それはエドの話かい?」
「そうだけど」
「なら安心しな。あたいは世界の話をしているからね。さぁさ、描かせておくれ」
「変な人だねぇ。でも、わかった。どうすればいい?」
「そこに座って…いや、違うなぁ」
「見返りでもしてみるかい?」
「いや、そのままで」
「そのまま?」
「ああ、普通に接客しててくれねぇかい?」
「本当に変な人だねぇ、テオって」
◇◇◇
一方、オウイである。
「また、描かせてもらうよ」
オウイが訪れたのは浪速屋という。センソウジの二天門脇、馬道通りに面した一角に店を構える茶屋であった。
「嬉しいねぇ、たんと美人に描いておくれよ」
茶屋には、多くの男性客がいた。誰も彼も、彼女を目当てに訪れたのだ。
名を、おキタという。
エド三大美人の一角にして筆頭と言われる美女であった。




