第205話 テオ、アキツ上陸
時系列は少し遡る。
皐月の初め、アキツ国ヨコハマ港…。
大型商船にタラップがかけられる。ぞろぞろと旅客が降りていった。
人種、国籍は様々だ。近隣のシン、コウライ、リュウトあたりが目立つが、テンジクやペルシア、そしてアリアではあり得ない事であるが、ビザンの人間も出入りしていた。
アリアからは二名。
一人は貿易商のラベルという。
もう一人は。
「ここがアキツか! おい、あれ! イラストで見たぞ、ラベル! 本当にあんな細っこい船で出港するんだな!?」
そう、アリアの大人気タブロイド、オーロール・クロニクルの専属画家にして天才、テオフィールことテオである。
彼女は共同執筆者のマルティスと二月の後半にお互いの再起を誓い合って別れ、シャルルからひたすら海路でこの東の果て、アキツ国に到達したのである。
「おいおい、落ち着けよ」
「これが落ち着いていられるかい! 聖女フランソワ様のお導きみたいなもんなんだよ、アキツはね!」
念のため補足しておくが、テオがアキツ行きを決意したのはフランソワの研究室で見た浮世絵がきっかけであった。
「にしても、聖女様には感謝しかないね」
積荷の木箱が下ろされていた。
アリア産の瓶詰めである。
「聖女さまが開発した瓶詰めのおかげで、恐ろしい船病にも罹らなくなったんだろ? ありがたいことだね。ビザンの奴らに食わせるのは癪だけどさ」
「おいおい、ここは極東の異国だぜ。ちっこい対立なんて粋じゃないねぇ」
「なんだい、イキって」
「アキツ語でよ、クール、ってことだよ」
「へぇ、気に入った! あたいも使わせてもらうよ、こういうのもイキってやつかい?」
「まぁ、いいんじゃねぇか? ほら、降りるぞ。今日はヨコハマで泊まって、明日はエドに行くからよ」
「ああ、揺れない地面ってのはありがたいね…。おい、ラベル! なんだかイキな店があるぞ!」
「ありゃイキじゃなくてよ、シン料理だが…まぁいいか。飯にするぞ」
「そう来なくっちゃ!」
◇◇◇
ヨコハマからエドまでは徒歩でも一日の距離である。途中にある宿場街で昼食を取った。茶屋で握り飯を頬張る。
「アリアでもコメは食べるけどさ」
ぺろ、とテオが手についた米粒を舐めとった。
「こっちだとなんだか、味が違うような」
「そりゃおめえさん、アリアのコメは『炊いてる』からな」
「炊く、ってなんだい」
「オレもよくしらねぇが、蒸すと茹でるの間くれぇらしい」
「なんだい、そりゃ。コメといえば油を絡めて茹でるもんだろ」
「あれも良いけどな、慣れるとうめぇんだ、炊いたコメってのはよ。塩だけでいくらでもいけらぁ」
「旨いのは認めるよ、中に具が入ってるのも良いね」
「それも旨いけどよ、エドじゃスシってのが名物なんだよ」
「スシ?」
「鯖の箱詰め、あるだろ」
「箱詰め! あたいの好物だよ。箱詰めがアキツにあるんかい?」
「魚とコメってのは一緒だが、ちょいと違うんだよな。ま、着いてからのお楽しみだ」
「そりゃ楽しみだね、それじゃ先を急ぐかい」
「それがいい、お天道様は待ってくれないからな」
◇◇◇
そんな会話をしつつ、旅を続け、エド手前のシナガワなる宿場街で一泊。検問を終えてエドに入ったのはその日の昼前であった。
「で、でかい街だねぇ!」
見渡す限りの人、人、人。そして視界の先まで連なる建物の数々。
「こ、こりゃアリアの王都より大きいんじゃ無いのかい?」
「その通りだぜ、テオ。二倍はあるんじゃ無いか?」
「二倍って、バカ言っちゃいけないよ! そんな大都市がこの世界に存在するって言うのかい?」
「その大都市にいるんだけどよ。でも、世界でも一番じゃねぇのか? ビザンの奴らの話だと、イスティンブルと同じくらいと言うが、まぁいけすかないビザンのいうことだ。オレはエドが世界一だと思ってる」
「で、でもよ。この広い街でこの絵描きを探すんかい? 何日かけりゃ良いんだよ?」
「ああ、それなら心配するな、テオ。目星はある」
「目星?」
◇◇◇
ラベルが案内したのは絵草紙屋であった。
「書店かい?」
「いや、本屋は別にある。これは浮世絵専門店だ」
「うきよえ?」
「おめえさんが後生大事に抱えてる、その色付き印刷のことだよ」
「浮世絵って言うんかい、これ…えっと、十五文っていくらだ? 金貨一枚くらいか?」
「バカ言っちゃいけねぇぜ、小判なんて取れるかよ」
店主が鼻で笑った。かか、とラベルも笑う。
「驚くなよ、テオ。銅貨三枚だ」
「は!?」
流石のテオも驚愕を隠せない。
「ひ、一桁間違っちゃいないかい? あたいの『オーロール・クロニクル』だって銅貨三十枚は頂くってのに…」
しかも、オーロール・クロニクルは一色刷りである。
この、色鮮やかで無数にある『浮世絵』の方が明らかに印刷の質では上だと言うのに。
「これがエドの実力、ってことよ。そういやおやっさん、売れ残りはあるかい?」
「ああ、そろそろくると思ってまとめといた。百文な」
「いつもすまねぇな」
ラベルがそう言って、紙の束を受け取った。
紙というか、イラストの束である。
「どういうことだい?」
「浮世絵は毎日のように刷られるからな。オレが売れ残りを頂いてるんだよ。で、化粧品の包み紙にしてるってわけだ」
「お、おめえさんだったのか!」
そう、テオはアキツの包装紙を見て、あまりの衝撃にアキツ行きを決意したのである。
「かか、そういうことだな。あとそうだ、こいつ、ホクサイに弟子入りしたいらしいんだが」
「そりゃまたどうして」
店主が首を傾げた。
「この絵だよ、『神奈川沖浪裏』、このイラスト一つを頼りにアキツに来たんだとよ。泣けるじゃねぇか」
「ホクサイなら、もういねぇけどな、今は…」
「な、なんだって!? も、もしかして死んじまったのか?」
それは、と店主が口を開こうとした時だった。
「ひゃっ!」
テオが顔に似合わない、華奢な声をあげた。臀部を撫で回されたのだ。
「な、何しやがるんだこのエロじじい!」
咄嗟に振り返ってビンタ。
なのだが。
「ほっほ、いいケツしとるのう。外国の嬢ちゃんか、良いぞ良いぞ」
なんとその男はさらり、と避けてしまったのだ。
「ああ、ほ…」
店主の言葉を、老人が遮った。
「儂ゃ、画狂卍っちゅう、しがない絵描きじゃ。しかしおめぇさん、見るところがあるのう。うん、ホクサイは確かに天才じゃ。その神奈川沖浪裏に目をつけるのも良い、良い。どこが良いかわかるか?」
「お、おめぇさん、ホクサイの知り合いか?」
「そうじゃぞ」
「な、ならわかるだろ? 構図だよ! あたいは船から見たけど、このお山。アレだよな?」
テオが西の方を指差した。
はるか彼方に、冠雪した見事な単独峰がひとつ。
「その通り、それは富嶽じゃ。アキツ一の名山じゃて」
「この山が『遠くに見える』、なのに『一番目立つ』! 何度も見直して、模写もしてみた! 多分視線を分割してるんじゃ無いか? それに、波飛沫の現実感だよ、まるで『一瞬を切り取った』みたいじゃ無いか!」
「わかっとるのう、わかっとるのう。お主、名は?」
「あたいかい? あたいはアリア一の絵描き、テオフィールって言うんだ! テオって呼んでくれ。あたいはこのアキツでホクサイに学んで、世界一の画家になるんだよ! でもよぉ、ホクサイがいないなんて…」
「聞き捨てならないねぇ」
画狂卍の背後から、大柄の女性が顔を突き出した。
「このあたしを置いて、世界一なんてさ」
「だ、誰だい、アンタ」
「あたしこそアキツ一の浮世絵師、オウイだよ! ホクサイなんてもう古いね! 今はあたしの時代なんだよ!」
その時、画狂卍が複雑そうに眉をひそめたのだが、あいにくテオは見ていなかった。
「はーん、アンタがこのホクサイより上って言うんかい? 口ではなんとでも言えるよねぇ?」
「旦那、あたいの新作は?」
店主に声をかけると、ああ、と店主が頷いた。
「あと二枚しかねぇ。すぐに売り切れちまうからな」
テオはその絵を見て、息を呑んだ。
美人画である。
しかも、テオがいつも生命をかけて掘り出す光の加減を。
この浮世絵は、まるで生身の人間が浮き出すような光彩を放っていたのだ。
「な…」
「ふん、言葉も出ないかい? ならさっさと荷物をまとめてアリアに帰るんだね! このエドじゃお呼びじゃないんだよ!」
「ば、バカ言っちゃいけないね! 確かに色使いにすこーし、そう、ほんのすこーし驚いたが、写生ならあたいの方が上だね!」
「ほうほう、お二人さん」
店の奥、障子が開いて、目の奥がギラついた、壮年の男がカランコロンと下駄を響かせた。
「俺はジュザブロー、蔦屋のジュザブローってしがない版元だが…いいねぇいいねぇ、顔立ちも悪くねぇ。卍の爺さん、どうだい、ここは大エド女絵師三番勝負、ってのは!」
「ほっほー、蔦屋よ、そりゃー面白そうじゃ。審査員にはわしも入れろ!」
「筆頭にしときやすぜ、卍さんよ。どうだい、お二人さん。どっちが上か、白黒つくんじゃねぇか?」
「そんな事を言われたらエドの女が廃るね! 乗ったよ!」
当然、テオも。
「あたいも乗った! アリアの女に二言はないよ!」
「かか、威勢が良くていいねぇ、いいねぇ! そんじゃ早速浅草寺の奥山を押さえなきゃぁな! 江戸中の野次馬を集めてやらぁ! こりゃー忙しくなるぜ!」
そう言って蔦屋のジュザブローがかかか、と大声で笑ったのだった。




