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第200話 アテネアへ

「おー、すげぇすげぇ。続々集まってるじゃねぇの」

 10月中旬、イズミル近海。

 相変わらず海賊旗を掲げたままのノイエ・エーテル号である。物見台ではセシルが望遠鏡を覗きこんでいた。

「へぇ、旦那。ほぼ全軍でさぁ」

 副官のバルトロメが頷く。望遠鏡の先には兵を満載した大型商船が続々とイズミル港へと入港していた。

「こちらの読み通り、目標はアテネアだな」

 望遠鏡を下ろす。やや強めの北風が吹き続けていた。カバラはイズミルから見て北東に位置している。おそらくビザン帝国軍は北風に乗り、2、3日の短期で到達したのだろう。

「一隻500として…3万以上は移動した計算かな」

「でさぁ、旦那。ちょこちょこ、破損してまさ」

「海賊だろ、あんなでかい商船なんて良い目標だ。軍船はなさそうだな」

 セシルは偵察艦としてエーゲ海のそこら中を航行しまくっていたのだ。ちなみにアレクサンドルで手に入れた、使えない紙幣は相変わらず船倉を圧迫している。

 もう一度風が吹いた。セシルが帽子を押さえる。海軍帽ではなく、海賊帽だが…。


「イズミル艦隊と合流して、西進。アテネア東海岸を狙うと思うんだが。というか、そうしてもらわないと困る」

「提督さんに伝令しやすか」

「そうだな」

 海図を広げる。イズミルからアテネアまでは複数の小島が点在しているから、島伝いに来れば航行の不自由はない。それに、10月下旬からこのあたりは風が落ち着くのだ。航海にもっとも適した季節である。風が弱い分、時間はかかるのだが。

「イズミルを来週出たとして…そうだな、11月の上旬、冬の嵐の前には余裕で着くんじゃないか。アテネア東海岸は広い砂浜だし、大軍の展開には最適だしな」


 ちなみにアリアとの交易拠点になっているアテネア港は西海岸にあたる。移動には半島を大回りする必要があるのだが、その半島と付近の島にはアリア第四艦隊が『商船護衛』という名目で封鎖線を引いていた。

「流石に『大陸最強』のアリア海軍には手を出さないだろ。日数も食うしな。そんな余裕も無いだろうし」

「でさぁ、セシルの旦那」

「これでドロテ嬢の策通り、という事だが…」

「大丈夫なんですかねぇ。豆大砲を何十用意しても、効果があるんですかい?」

「さあね」

「聞けばフランソワのお嬢も前線に出るらしいじゃないですか。万が一破られたら…」

「その時はさ」

 セシルがにや、と笑った。

「ムラト王子殿下には不運にも海賊の襲撃に遭い、戦死していただかないとな。フランソワに危害が及ぶ前にさ」

「ちげぇねぇ、旦那!」

 バルトロメもそこでかか、と笑った。


◇◇◇


 数日後。

 アリア第四艦隊、旗艦ノーブル・ラプソディ号。


「トレヴィル提督、半島より手旗信号です。『エーテルより。ビザン、イズミル入港。三万以上』。以上です」

 ノーブル・ラプソディ号副官のギリアムである。王立学院卒業後、宣言通りに海軍へ入隊した彼は自ら志願し(理由の半分は恋人のエラリーの為だが)、初年度ながらその実績と将来性を評価され、旗艦の副官に抜擢されたのだ。

「ふむ、ドロテ王妃の策通りであるな。ギリアムよ、どう見る?」

「ヨハン閣下より報告のありました、ムラト軍の総兵力と推察いたします。アテネア東海岸へ強襲上陸、側面を打ち破る構想かと」

「我らの使命は心得ておるな」

「はい。南方迂回を断念させ、アテネア要塞へ誘導いたします」

「各艦に指示を…」

「既に手旗信号を共有済みです。時期推察するに11月上旬ごろの到達となる見込みです。また、凪の時期となりますので、活発化する海賊どもの監視も強化するよう指示しております」

「…それで良い」

「はっ。では、艦内の巡察に赴きます」

「任せる」

 優秀だの。

 トレヴィルは心から思う。文句のつけようもない。確かフェンリル・ベルク撤退戦にも参加したのだったか。新任とは思えぬ落ち着きぶりである。

 ただ。

 儂が教えることがないのう。

 それだけが唯一の不満であった。


◇◇◇


 さらに数日後。

 アテネア西方の町テーベ。


「お、きたぞきたぞ!」

 観衆がどよめいた。土煙が立ち上る。軽装の集団が、脇目も振らずにテーベへと向かってきたのだ。

「ホントに来た!」

「がんばれー! ビザンの奴らを倒してくれ!」

「フェンリル・ベルクばんざーい!」

 そう。

 ガストンを先頭にした、フェンリル・ベルクの精兵であった。彼らはカバラにてムラト軍の撤退を確認後、ヨハンとボリス、そしてコンスタン兵4000を残し、一路…陸路で500キロは離れたアテネアに向けて駆け続けていたのである。

 無論、常識はずれの強兵フェンリル・ベルク氷結重装歩兵団といえども、無策で駆け続けられるはずもない。


 ドロテが構築したのは、『人力駅伝制』とでもいうべきものであった。

 まずは早馬が先行し、途中の村々に触れを出す。村人らは彼らのために食事と水、そして塩を用意する。補給を終えたフェンリルベルク兵は更に駆けていく。およそ2時間に一度の休憩を挟みつつ、彼らはこの10日ばかりを走り続けていたのだ。

 もちろん、その装備は全てカバラに残置している。アテネアに新品の装甲を用意してあるのだ。しかもテントや糧食は全て村人らの手配である。彼らが持っていたのは水と塩だけであった。

 だからこそ、通常行軍では20日は優にかかる距離を僅か10日で駆け抜けることができたのである。

 無論、村々は大歓迎である。

 ほんのちょっぴりお調子者らが集うフェンリル・ベルク兵らは声援を受けて益々その速度を上げたのだった。


 テーベに入る。ガストンが片手を上げた。大歓声。

「15分休憩だ!」

 消化に良い挽肉入りの芋ミルク粥が用意されていた。5分でかき込む。

「いくぞ!」

 ガストンが走り出す。

 その後方に。

「さ、流石に限界ですわ…」

 フロリーナと、

「あ、足が痛ぇ…」

 へろへろになったシオンがいた。

 当然走りである。流石に無理があったので、これまで馬を使ってはいたのだが。一つ前の街で馬の用意がなく、やむなく駆けてきたのである。

「あ、あと何キロですの?」

「あと60キロぐらい?」

「無理ですわ!」

「俺も!」

 ちなみに彼らは本日20キロを走っただけである。…いや、20キロをフェンリルベルク兵とほぼ同じ速度で走れただけで、充分に常識はずれであるのだが。

「馬をお借りしますわ」

「だな!」

 フロリーナとシオンが馬を借りている間に。

 ガストンらとフェンリルベルク兵の姿は既に地平線の奥に消えていた。


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