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第196話 スタヴルポリ水攻め

「今日にはスタヴルポリに入りそうですわ」

 フロリーナが言った。

「へぇ、フローラ姫さま。あと1時間ですかな」

 木こりのヨルゴスである。他に何人か。

 彼らは林道を抜けて、スタヴルポリ手前の山間部、その尾根に潜んでいた。

 そう、()()()()()()()()である。

 無論、眼下にいるダリアン軍からはひっきりなしに偵察を目的とした風魔法が飛んできている。が、音声を拾えるという事は、音声を消すことも可能、ということだ。

 無論、ビザン帝国軍が誇る大魔道士らがその技法を知らぬわけがない。だが、人の魔力と集中力には限界があるもの。仮に音声を消していたとしても、どこかで魔力の切れ目が生じる。

 その隙を見逃さぬために、ひっきりなしに風魔法を飛ばしているのだった。

 ただ、相手がフロリーナという例外であったというだけである。

「皆さんはいつもこの辺りで木こりを?」

「へぇ、姫さま。あっしらは生まれも育ちもスタヴルポリでさぁ。沈んじまうのは悲しいけど…」

「そうなの…そうよね、この戦いが終わったら、私が復興に参りますわ。これまでよりも住み良い街を作りましょう」

「そんなら安心だぁ。ビザンの奴ら、追い返してくだせぇ」

 軽口を叩きながら高度な音声消去魔法を使える、という仰天のスペックは魔導士であれば「あり得ない」と誰もが述べるはずなのだから。

 ただ、あいにく魔力の無いヨルゴスにはその価値が分からなかったのだが。


「では、移動しましょうか」

「へぇ、姫さま」

 少し登り返して、山頂へと到達する。木々が少なく、見晴らしが良いのだ。そして、フロリーナが再び詠唱。

 本来、二重魔法は不可能、あるいは極めて困難とされる。流石のフロリーナも軽口を叩く余裕はない。

 目標は3キロほど離れた、スタヴルポリを挟んで反対側にある山の頂上である。

 そこまで、音声を飛ばすのだ。

 慎重に、風の通り道を作る。

 フロリーナが頷いた。ヨルゴスがフロリーナの手元に口元を寄せる。

「こちらヨルゴスだぁ。ビザンがきたぞぉ」

 少しの間。どうしても音声通信には時間がかかる。

 やがて。

「承知。兵力は?」

「一万くれぇらしい」

「ご苦労」

 フロリーナが魔法を解く。

 ふう、と吐息。ヨルゴスはつい思った。

 姫さまってのはいい匂いがするなぁ、おっかぁと大違いだ、と。

「では、行きましょう」

 フロリーナらが、再び移動する。

 次の作戦である。



◇◇◇


「ボリス将軍、伝令です。フロリーナ殿下より、敵ビザン帝国軍がまもなくスタヴルポリに入城とのこと」

「ん」

 ボリスが頷く。まもなく日没を迎えようとする頃。大地が赤く染まり始めていた。紅葉が始まった山々を、赤く、紅く、燃えるように照らす。

「日没と同時に堰を切る。撤退を急がせろ」

「はっ!」

 ボリスが『湖畔』に立った。

 日没まで、あと1時間。



◇◇◇


 一方、ダリアン軍はやはり一つの襲撃を受けることもなく、スタヴルポリに入城した。

 カラカラと風が鳴る。他には羽虫の声、カラスの遠鳴き。日暮まで、あと半刻というところか。

 物見だけを置いて、兵らを休ませる。甲冑を脱ぎ、思い思いの場所で焚き火が始まった。残された家々にはこれまでの占領地と同じく麦の一粒も残されていなかったが、風雨を凌げるのはありがたい。

 村長宅だろうか。一番大きな建物を接収し、本陣としたのちにダリアンは数名を連れて外に出た。

 日の明るいうちに、地形を確認しておきたかったのだ。

 スタヴルポリは盆地のようであった。

 村の脇を、()()()()()()()()

 はて。

 ダリアンが首を傾げる。

 妙に、水位が低い。

 かなり広い範囲に、黒々とした苔がむしているが、川幅はそれよりも遥かに小さかった。

 

 やがて、日が山の向こうに沈む。配下が松明を焚いた。もう十数分は、薄明でどうにか視界が確保できる。

 周囲を見渡した。

 周りは全て山。黒々と怪しく浮かび上がる。

 小川が流れる先を見た。

 まるで袋を閉じるように、山肌がぎゅっ、と狭まっている。

 俺なら、どうする。

 この地形。

 細い小川に、狭まる山際。

 水攻め。

 上流から堰を切り、水を流す。

 盆地であるスタヴルポリに水が溜まり、視界の先、山際が狭まる箇所がまるで蓋のように水流を抑えて、逆流させる。そうなれば、我が軍は。


 死地であった。

 まるで、アカデミー時代に学んだ軍略の基礎の基礎のような。


「太鼓を鳴らせ!」

 ダリアンが叫んだ。

「は、い、今、なんと…」

「撤退だ! 今すぐ山に戻らせろ!」

「は、はっ!」

 士官はピン、ときていない様子で本陣へと戻ろうとした。

 その時である。


 ゴゴゴゴゴゴ、と大地が唸った。

「各自山を登れ!」

 ダリアンが馬上のまま、駆け巡った。炊事に入っていた兵らも飛び上がる。


 ゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴゴ


 音が迫る、迫る。

 ダリアンの腹の底がぎゅ、と縮む。


「急げ、早く逃げろ! 鎧は捨ておけい!」

 

 川飛沫が見えた。

 一番東寄りに陣を取っていた兵士らが飲み込まれた。


 ダリアンも逃げる。

 だが、水の方が遥かに速い。


「がっ」


 水に、飲み込まれた。必死に手綱を握る。

 真っ黒な水。何も見えない。闇夜が深まる。

 こ、これが地獄か!

 流石にダリアンも観念した。だが、愛馬は極めて優秀だった。

 上手く体を捻り、浮上する。


「がはっ、は、はっ…」


 水面に出て、必死に呼吸を整える。濁流の中を、愛馬は必死に陸地を目指して泳いでいた。


 助かった!


 ダリアンがそう思った時である。

 舞台照明に照らされたかのような、突然の明るさに、思わずダリアンは瞳を細めた。

 周囲の山々が煌々と輝き、茫然としたダリアンと、水に浮かぶビザン帝国兵を照らし上げた。


 そして。


「フォンヂィ・シェンリン、ユィチィ・シェンシィ」


 まるでセイレーンの歌のように蟲惑に包まれた魔女の詠唱が、山彦のように響き渡った。



◇◇◇


「ヤァスゥォ・ダァチィ、フォンスゥォ・コンフォン」


 フロリーナの詠唱が続く。

 まるで女神様みたいだ。

 天国ってのは、こんなところなのかもしれねぇ。


 手にランタンを…そう、『灯油』の光、理の光を手にしたヨルゴスは思った。

 ただでさえ菜種油とは比較にならない光を持つそれは、背面に鏡を施してあった。

 灯台と発想は同じである。光に指向性を持たせるためだ。


 その火は、山の尾根という尾根に連なって、湖面と化した故郷を照らしている。


「フゥアシェン・ジュドゥン、ブゥバァ・ヂィヂェン」


 濁流に呑まれた故郷は、ビザンの奴らが何人も浮かんでいた。

 俺らの生活を台無しにした、悪魔ども。

 食料も手に入らず、餓死も覚悟した原因を作ったやつら。


「ワンウェイ・シュゥジン、パイジィ・ワンディ」


 そいつらを、俺らの女神様は一網打尽にしてくれるんだ…!

 

 女神が、微笑んだ。

 まるで慈悲を与えるように。

 その赦しを与えるように。


蒼天重圧パラスト・ザイフツァー!」


 

◇◇◇


 それは、まさに大気の鉄槌であった。 

 必死に立ち泳ぎをした兵士は瞬時に濁流に戻された。

 運良く立木にしがみついていた兵は、その衝撃に手を離してしまった。

 陸地に登った兵は喉を掻きむしりながら絶命した。


 そう、ダリアンも。

「が、は…」

 肺の奥から鮮血を吐いて、絶命した。


 かつてジギスムント軍に対し使用した蒼天重圧は、確かにジギスムント軍の戦意を喪失させるに充分な威力を発揮した。


 だが。

 彼女はあの時、『手加減をした』のである。

 なにしろ、相手は守るべき者であったのだから。

 反乱軍の前に、無垢なるフィヨルドの民草であったのだから。


「異教の者に、容赦はありませんわ」

 フロリーナが静かに告げた。


 そう、全力の蒼天重圧は…。

 人の肺を破裂させ、瞬時に骸と化す必殺魔法なのである。


「フローラ姫さまぁ」

 ヨルゴスが言った。

「ありがとう、ありがとう…フローラ姫さまは神の使いに違いねぇ…。ありがてぇ、ありがてぇ…」

「あら、ふふ。でも、これからが大変ですわ。水が引いたら、泥を片付けて、お家をきれいにして…。みなさんを、無事にお連れしなければいけないのですもの」

 そこでふふ、とフロリーナが満足げな笑みを見せた。


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