第195話 北部迂回
9月27日、夜。
「ダメだ。突破できねぇ」
クアイズが仏頂面でダリアンの元を訪れた。戦闘の詳細はダリアンの元にも届いている。
「噂には聞いてたが、氷結重装歩兵団は無理だ。手に余る」
「そのようだな…となると、関には1000名程度しかいない計算になるが…」
「その1000名が破れねぇんだよ!」
流石のクアイズも焦りを隠し切れていない。損害は今日で5000、つまり一割を超えた。臨界値である。
「これ以上力押ししたら、奴ら逃亡するか反乱だ。もう攻めれねぇ。酒と女と略奪で踊らせるのも限界だ。別の策はねぇのか、スレイムさんに頭下げてよ、グレキア方面からの進軍とかよ」
「できぬことは承知しているだろう?」
「知らねぇよ、お上の権力争いとかよ!」
「落ち着け、クアイズ」
もちろん、ダリアンも限界値であることは把握している。
であれば、別の道を辿らざるを得ない。ここまで莫大な軍と金を動かして、コンスタン北東部の僅かな土地を占拠した、では帰国できないのだ。
「遥か北部に、山岳路があるようだ」
「ほう?」
「少し時間がかかるが…」
ダリアンが地図を指した。
フリスポリからさらに東に戻ると、山際にクサンチというこちらも小規模な町がある。当然、現在はビザン帝国軍の支配下に置かれていた。
「ここから山沿い、スタヴルポリという村を抜けて大回りをするとテッサロニキ平原へ抜けるようだ」
「大分大回りだな。二週間か」
「で、あろう。ここを抜ければカバラを背後から急襲できる」
「いい策だが、誰がやるんだ。傭兵らは無理だぜ。もう動かねぇ」
「だろうよ。このまま二週間、待機せよ」
「金を使う所もねぇってのに?」
「洗濯女を置いていく。酒もありったけだ」
「酒と言えばよ」
クアイズの額に皺が寄った。
「最近、安酒ばかりじゃねぇか? 何かあったのか?」
「食料は不足ないだろう?」
「ねぇけど」
「一隻、海賊の被害にあったようだ」
「ああ…アレクサンドルあたりか」
「その通り。運悪く高級酒を積んだ船でな。補充まで今しばし待たれよ」
無論、セシルの襲撃である。
だが、アレクサンドルに上陸された、とは言わない。それこそ士気に関わるからだ。
「ち、運がねぇな。だが、女が残るならどうにか引きのばせる。あいつらも本気の攻勢はしてこねぇはずだ。何しろまだ四万以上残ってる」
「仮に突破されたとて、失地回復する兵力は無かろうよ」
「で、その迂回軍は誰が率いるんだ?」
「我だ」
「王子サマじゃねぇのかよ」
「ムラト王子にはフリスポリに駐屯頂く。敵将ヨハンが北部迂回路を失念するとは思えぬでな」
「それもそうか」
何しろ、十万の兵を相手に一歩も引かないどころかむしろ有利に戦況を進めているのである。ムラト王子では突破は難しいだろう。
「では、後日カバラで会おう」
そう言って、ダリアンが腰を上げた。
ダリアンが一万の正規軍精兵を連れて北部迂回路へと出立したのは、その翌朝である。
◇◇◇
「あの、ボリス将軍」
フロリーナが不満そうな口をした。
対するはボリス・ニコラエス。コンスタン王国軍、北部方面司令官である。カメンスキーの次席であり、コンスタン王国軍の序列二位である。
「この策、確かに優れていると思いますが…これでは私の出番がないのでは?」
「いやはや、フロリーナ殿下には頭が下がる思いです。ご安心くだされ。この策でも打ち漏らしはございますからな。なに、ヨハン閣下からお話はお伺いしておりますぞ。殿下の必殺魔法、蒼天重圧は狭隘地こそ威力を発揮すると。うってつけの地形ではござらんか?」
「そうですけど」
フロリーナらコンスタン王国軍の残り2500名はダリアンが第一目標として指定したスタヴルポリから更に西に10キロほど離れた、アオギス聖堂に拠点を置いていた。眼下には溢れんばかりに並々と水を溜めた『湖』が広がっている。
「…やはり、この策は私の活躍が無いのでは?」
「いやはや、いやはや」
勘弁してくれ、というのがボリスの本音である。
要するにこれもヨハンの策であった。
『同じく狭隘地のカバラ関に配置したら、やりすぎる危険がある』
のである。このフロリーナという大陸一の風魔導士は。数万の兵を瞬時に崩壊させかねないのだ。
何しろ、あのジギスムントですら手を出すどころか一歩も動けなかったのだから。
「策が嵌りましても、残兵はおりますので、その討伐をお願いしたく」
「いえ、ボリス将軍。やはり正面から、全力の敵軍を打破してこそ戦と言うものは価値があるのでして…」
本当に勘弁してくれ。
ボリスは心からそう思ったのだった。
◇◇◇
山間の道を進む。当初は見通しの良い河原沿い、沢沿いを進んだのだが、やがて沢が枯れ、見通しの悪い、鬱蒼とした山地に入った。
フリスポリを出て、4日目のことである。
ダリアン率いる、ビザン帝国の精兵であった。
軍の動きは遅い。斥候を放ちながらの進軍である。沢沿いはまだ見通しがあったが、左右を山に囲まれたこの場所はどう見ても死地である。襲撃をするに適した地形ではあるが。
ふむ、と見上げる。木々に覆われて、尾根が見えない。逆に言えば、敵からも見づらいということだが、攻撃が一切ないのも不気味であった。
あるいは、本当に気づいていないのか。それとも、ここ以上に襲撃に適した場所があるのか。
「ダリアン様」
斥候が戻ってきた。風魔法の名手である。風魔法は極めて使い勝手の良い魔法である。相当の使い手でなければ難しいが、空気を操作できるという事は音声をいじれるということだ。遠くの音を集約する、あるいはこちらの声を拡大する、など自由自在である。
「何かあったか?」
「はい。これより先、5キロほどのところに街を見つけました。おそらく、第一目標たるスタヴルポリかと」
「ふむ」
手にした地図によると、山道を越えると唐突に視界が広がり、スタヴルポリが良く見渡せるようになるらしい。
「敵は?」
「人っ子一人、いないようです」
これまで占拠してきた他の街と同じである。避難を済ませたという事だろう。つまり、我らがこの道を通ることは把握している、ということだが…。
「本日中にスタヴルポリに入る。兵らを休ませよ」
「御意に」
敵の意図がまるで読めない。だが、スタヴルポリを越えると再び山道になるようだ。あるいはスタヴルポリを捨て、次の登り返しでカバラに匹敵する防衛陣を築いている可能性もあるが…。
ともかく、行くしかない。
こちらには情報が無いのだ。




