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第193話 カバラ関攻防戦

 9月22日、ハーベストムーンの夜。

 ビザン帝国軍、フリスポリ陣営。


 至る所に響く嬌声、それに所かまわずまぐわう男女、それにむせかえるような酒と香料の匂い。

 流石のダリアンも顔を顰めつつ、その中でひと際大きい陣幕に足を踏み入れた。

「あ?」

 クアイズが乳房から面を上げる。三名ほど、極上の美女を侍らせていた。

「楽しんでいるかね」

「ああ、まぁまぁだ」

 美女らを下がらせて、居住まいを正した。

「ムラトの坊ちゃまは連れてきてねぇのか」

「まさか。卒倒しかねん」

「ちげぇねぇ。はー、しみったれた男だぜ。バスラのおっさんみたいな器がねぇな」


 バスラ公ガルシアは絶倫としても有名である。ムラトと婚姻したシェーラは正室との生まれ、とされているが妾の子という噂が絶えない。何しろ髪色が正室ともバスラ公とも異なるのだ。妾の数は十数どころか、百を超えるという話すらあった。

「にしても、女が足りねぇな。部下どもは哀れだぜ。醜女も老婆も取り合いだ」

「それもカバラまでだ」

「いい話かよ」

「ああ。カバラには2500ほどが駐屯しているようだ。他は王都に5000。コンスタン総勢一万のうち、残りの2500は不明だが、テッサロニキか、あるいは中部に分散していると思われる。つまり、カバラを抜けばこちらの勝利が確定するという事だ」

「だな」

「ついては、先陣を依頼したい」

 ぐい、とクアイズが瓶ごと酒を飲んだ。

「報酬は」

「追加の金を用意している。だが、むしろこちらの方が好みではないかね」

「ほう」

「乱取り勝手とする」

 ははは! とクアイズが爆笑した。

「いいね、ダリアンさんよ。坊ちゃまよりよっぽど話が分かるな! その話、請けた」

「即断、感謝する。攻撃は明朝より」

「いいね、酒は残っていた方がいい。なに、ちょいとふらつくかも知れねぇがな」

「かまわぬ、兵はいる」

「へ、俺も取り分が増えるってもんよ。じゃ、前祝いだ。ダリアンさんよ、やってくかい? 選りすぐりの女しかここにはいねぇぜ」

「いや」

 ダリアンが肩を竦めた。

「坊ちゃまの世話があってね」

「はは、軍人ってのは苦労するもんだな! ま、精々お世話を頑張ってくれや。そんじゃ、俺はもうひと遊びするからよ」

「好きにしたまえ」

 幕を後にして、溜息。

 傭兵どもを躾けるのも中々面倒だ。無論、ダリアンも男である。

 クアイズの侍らせていた美女どもは確かに一級品であったが。

「これも帝国軍人の務めよな」

 欲望をぐっ、と堪える。

 カバラ攻略までは、気を抜けぬのだ。



◇◇◇


 カバラは港町であった。

 だが、アテネアと異なり、三方を完全に山に囲まれた狭隘地である。東側のビザン帝国から抜けるにはカバラ街道を抜ける必要があるのだが、その街道の一か所、俗にいう『カバラの壁』は交通の難所として有名であった。

 なにしろ、南側には標高こそ低いがうっそうと茂る小山があり、北側には遥かグレキアにまで至る大山脈の一部が迫っているのである。

 ヨハンが防衛拠点として選定するのは当然の理であった。カバラの壁に至れば、たとえ敵が十万だろうが二十万だろうが、陣形が漏斗のように集約するのだから。


 もちろん、古代から防衛拠点として活用された拠点がある。

 それをカバラ関所という。そこに、コンスタンは全軍からかき集めたなけなしの12ポンド砲を全門集結させていたのである。

 たったの5門であるが。

「ヨハン卿」

 武官が告げた。フィヨルド動乱以来、愛用しているフェンリル型望遠鏡を覗く。

「ほう、敵さんは余裕だな。酒でも煽ったか」

「は…酒、でございますか?」

「足元がおぼつかないもの、顔が赤いもの…素面ではあるまいよ。あるいは景気づけに酒でも飲ませたかな」

 蛍石レンズのフェンリル型望遠鏡は遥か先、兵士らの顔色まで見通すことができるのだ。

「ま、やることは変わらぬ。精々歓迎してやれ」

「は!」


 砲手らが陣に就く。

 カバラ関は石垣と煉瓦で積み上げられた、難攻不落の要塞である。弓、鉄砲、熱湯、岩石、石ころ、ありとあらゆる武具を関には用意していた。登ろうとする兵らを打ち落とすのだ。

「彼我距離一キロを切ったな。もう少し…もう少しだ」

 敵兵らが全力で走り出した。砲の射程を理解している。敵将も中々優秀なようだ。

 もっとも、優秀でなければ困るが。

「攻撃開始!」

 ヨハンが扇を振り下ろした。

 ドン、と最初の砲が火を噴いた。四門が続く。敵兵の足がやや怯んだ。だが、後ろからわらわらと、雲霞のごとく沸き起こるビザン帝国軍の勢いは止まらない。

 酒は厄介だ、と思う。

 確かに冷静な判断力を失わせるが、攻城戦のように勢いと命を捨てる覚悟を持たせるにこれほど適した飲み物もない。

 何名か、石垣にとりついた。上から射撃。ばたばたと墜落してく。投げ縄をナイフで切り落とす。滑落した兵らが何名も巻き添えにした。

「怯むな! 全員叩き落とせ!」

 ヨハンが鼓舞する。丸太が落とされた。続いて、廃用にした古い煉瓦も。

「落とすものはいくらでも補充されるぞ! 遠慮なく使え!」

 ガラス瓶が、生ごみが、糞尿が飛ばされた。

 なぜ、いくらでも備蓄があるのか。

 そう、通常の山岳要塞であれば、備蓄が尽きれば抵抗の手段を失うのが相場である。

 だが、ヨハンは遠慮なく、ありとあらゆるモノを武器と変えてビザン帝国軍を撃退し続けたのだ。

 やがて、日が傾く。

 ビザンの撤退を告げる鐘の音が響いた。

 初日の攻防において、コンスタン軍は1名の死者どころか、怪我人すら出さない防衛に成功したのであった。



◇◇◇


 一方、ビザン帝国軍である。

「どうだ、状況は」

 攻撃後、ダリアンが陣に戻ったクアイズを迎え入れた。

「まぁ、こんなもんじゃねぇか?」

「死者は」

「千ぐらいかね。敵さん、だいぶ必死だったが」

「相手はフィヨルド王国のヨハン元辺境伯とのことだ」

「ああ、フェンリル・ベルクの。どおりで手ごたえがある訳だ」

「行けるかね?」

「当たぼうよ」

 へっ、とクアイズが不敵な顔を見せた。

「どんな関門だってよ、いずれ備蓄は尽きるんだ。初日だからか、今日は盛大に攻撃をしてきたが、あのペースなら早々に武器が尽きる。そうさな、三日じゃねぇか?」

「期待している」

 その時、血相を変えた伝令兵が飛び込んできた。

「だ、ダリアン様! ムラト王子殿下が至急戻るようにと」

 ダリアンが怪訝な顔をした。へっ、とクアイズが毒づく。

「王宮でも恋しくなったんじゃねぇの?」

「かもな…。ともかく、明日も頼む」

「おうよ」


 本陣に戻る。

 ムラトは、明らかに動揺していた。

「お、おお! ダリアンよ! 一大事である!」

「は、一大事とは…」

「アレクサンドルが襲撃されたようだ!」

「襲撃、ですか」

 確かにアレクサンドルには備蓄庫を置いていた。敵軍の姿は無かったため、少数の兵しか置いてはいなかったが…。

「状況を整理いたしましょう。今アレクサンドル周辺に襲撃を行える敵兵力はございませぬ。まずはお心を静めなされ。動揺が兵に伝わりまする。それこそ皇帝の器と言うもの」

「そ、そうであった…すまぬ、ダリアンよ。まずは続報を待つべきか」

「その通りにございます。それこそ将器にございます」


 しばらく待つと、早馬が三頭到着した。

 ハーベストムーンの翌日、早朝の夜明け前に襲撃を受けたらしい。

「どうも海賊のようですな」

 何人か、悠々と沖へと戻る海賊旗を目撃したとの報告があった。

「エーゲの海賊か…小癪な!」

「は、海上治安は今後の懸念となりましょう。まずはアレクサンドルの防備を見直したく。1000ほどの精兵を送りましょう」

「それで足りるか?」

「なに、所詮は海賊です。正規軍の敵ではありませぬ」

「で、あるな。では、仔細任せる」

「御意に」

 一通りの処理を終えて、改めて被害状況を整理する。

「妙だな…」

 ダリアンはその被害を見て、神妙な顔をした。

 被害は、酒と金の二つに集中していたのである。それから、数名の戦死者。

 糧食どころか、奴隷にも手を出していない。海賊と言えば、拉致略奪が常套手段であるが…。

「ふむ…あるいは闇商人か。ともかく、用心に越したことはない」

 ダリアンはそう、独り言ちた。



◇◇◇


 同じころ、エーゲ海にて。

「なぁ、セシルの旦那ぁ」

「どうした」

「この金、どうするんで?」

 酒はとりあえず空けて飲んだのだが…。

「な」

 金と言うのは便利に思えて、厄介なものである。

 何しろ貴金属類が殆どなかったのだ。そのため、とりあえず目先にあったビザンティオン紙幣を掻っ攫ってきたのだ。

 だが。

「どこで使うんだ、これ。焚き火にしかならないぞ」

 恐らく何万金貨という価値があると思われる紙幣なのだが、生憎ビザン帝国内でしか流通していないのだ、紙幣と言うものは。

「旦那ぁ…」

 バルトロメが情けない声を出した。どこかに寄港して、酒池肉林の贅沢三昧を想像していたのだろう。そういう意味ではセシルも男である。興味がない訳ではない。

 ちょうど今は、そういう男の機微を理解できないヨナスが不在であるし。

 小言も言われない、存分に羽目を外せる絶好の機会なのだけれど。

「いっそ、イスティンブルに上陸するか…」

「流石に無理じゃねぇか、旦那」

 バルトロメが冷静にツッコんだのだった。

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