第190話 ラテラ・リトラの誓い
一週間後、7月下旬。
「ここが、君のいう新拠点?」
ジョンが首を傾げた。エヴィル港から徒歩で丸一日。道すら整備されていない、どう見ても寂れ切った漁村である。山が海に近いところまで迫っており、平地は僅かな広さしかないのだが。
「ええ、そうよ! このラテラ・リトラこそ私たちの新拠点に最適なの! まずは見てみて、山が近くまで迫っているでしょう? こういう場所は水深が深いのよ。つまり、シャルルやギルテニアのような天然の良港になる可能性を秘めた場所なの!」
「良く調べたね…」
「部下と外注を総動員したわ、流石に。エヴィルから徒歩一日か二日で、山が迫っている、かと言って断崖絶壁ではなく、漁村程度は存在する場所、となると本当に少なくて」
ベアトリスは商売の話をしていると、本当に楽しそうだ。
ジョンが密かに憧れている一面である。この時だけ、女傑と呼ばれる彼女がまるで少女みたいにキラキラ輝いていて。
「わかった、この場所の権利関係を確認すればいいね」
「ええ、お願い! おそらく格安だと思うのだけれど、買収交渉は私がするわ。あと、漁業権もあるだろうから、そのあたりも」
「わかった。関係者も一通り調査してみる」
一方でベアトリスも。
結婚後に気付いたのだが、ジョンは内務局では若手のエースと評される事務能力を持っていたのだ。アキテーヌ内務卿の推薦とは聞いているけれど、ビアンカ陛下は本当に私にぴったりな人を紹介してくれたわ。ビジネスパートナーとしても、伴侶としてもこれ以上の人はきっといないよね。
そう思っていたのである。
「コンスタンの往復に特急便を用意してくれたけれど、一カ月くらいはかかると思う」
「それまでに調査を終えておくよ。そろそろ、ビザンの侵攻があるんだろ?」
「ええ、その前には」
「ベアトリスの事だから、信用しているけれど」
ジョンがそっ、とベアトリスの肩に触れた。
「無事に帰ってきて」
「ええ、ちゃんと帰ってくるわ。あなたの元に」
潮の香りが漂い、凪いだ波が浜辺に打ち寄せる中で。
二人は固く抱擁しあったのだった。
◇◇◇
「お待ちしていましたよ、ベアトリス・ラッセル男爵夫人」
エヴィル港でベアトリスを待っていたのはセシルであった。ビアンカが用意した超特急便、即ちノイエ・エーテル号である。
「感謝するわ、セシル卿。それに、ご無沙汰しておりました、ガストン卿」
「ガストンでいいぜ、貴族扱いは苦手なんだ」
フィヨルド王国のガストン大佐である。
「こちらが『義勇兵』ですね」
「そうだ。フィヨルド亡命軍から500を出した。この船には100名乗せてる。他のやつは別の船だが、俺たちだけ先発隊でね」
「クリストフ殿は?」
「王様の護衛だよ。入植地に500残した」
フィヨルドからの亡命兵は1000名である。もちろん、フィヨルド王国軍にもメリットがある。
なにしろ第一王女のフロリーナは現在コンスタンに駐在しているのだ。派遣する名目としては充分であった。
「本当は戻ってきてくれりゃ楽なんだが、姫様に限って敵前逃亡するわけもねぇしな」
ガストンは若干諦めている様子である。
「俺らもホントは戦闘許可が下りてないんだけどさ」
セシルが肩を竦めた。
「第四艦隊はコンスタン方面艦隊だからさ。『偶然、ビザン帝国の襲撃に遭った』という事にするらしい。その前に、石油を持ち帰るんだよな?」
「ええ、お願いしますわ。どのくらい積めるかしら?」
「兵士がいなくなるからね、1トンくらいはいけるんじゃないかな」
「それだけあれば充分。本格的な輸送は戦後になると踏んでいます。早く終結すれば良いのだけど」
「正直、俺もそう願いたいねぇ」
セシルがため息を漏らした。
「ともかく、時間は限られる。出航しよう。振り落とされないように気をつけてくれよ!」
セシルの大魔法、無抵抗航行が発動する。
ノイエ・エーテル号が50ノット超という超速度で地中海を滑り出した。
◇◇◇
数日後。
アリア皇国、貴族院。
「コンスタン軍の意図が分かりませんが…旧式の三ポンド砲で良ければ無償提供でも構わぬと考えます。それよりもコンスタンの鉱山権益を早期に押さえるべきかと。既に我が経済実利会より、調査員としてベアトリス・ラッセル男爵夫人を派遣しております」
経済実利会党首のネイサンであった。議題は無論、コンスタンへの軍事協力の可否である。
「ロックバード君」
議長が述べた。ロックバード軍務卿の回答。
「鉱山権益については民間にて主導すべきとの考えです。また、旧式の三ポンド砲は現在100門ほど余っております。処分にも金がかかりますからな、こちらとしては好都合と考えます」
「確認だが」
伝統王権派の議員が手を上げた。指名されて壇上に立つ。
「救援軍の要請は来ておらんのか?」
再び、ロックバード軍務卿。
「現時点では受けておりませぬ」
そうか、と伝統王権派の議員が着席。
流石の野党どももキレが悪いわね。
臨席していたビアンカは思う。軍事支援要請は確かに来ているのだが、三ポンド砲をあるだけ融通して欲しい、という内容だったのだ。コンスタンの生産だけでは間に合わないらしい。ロックバード卿が言うとおり、旧式の三ポンド砲など使い道はないし、ビザン帝国と直接やり合う訳ではないから、いつも反対ラッシュの伝統王権派も反論し辛いのだ。
それは良いのだが。
24ポンド砲とか、艦隊を寄越せ、とかではなくて、三ポンド砲なんてどう使うのかしら? フランソワあたりが何か良いアイディアを出したのかもしれないけれど。
流石に気になるわ。アレクセイのこと、みすみす敗北を認めることは無いだろうし、仮にそうだとしてもフロリーナが黙ってはいないわよね。義勇兵としてフィヨルド王国兵を呼び寄せるくらいだもの。
こちらが出せる戦力は第四艦隊だけよね。どうにか陸軍を出せないかしら。3ポンド砲をどう使うのか、気になって仕方がない。
はぁ、とため息。
陸軍は流石に、承認が下りないわね。
そう思った。




