第188話 セドリック研究室の新人たち
アリア皇国、セドリック特別研究室。
「マルタ先輩、そいつは何を見てるんだ?」
「あの…マルタでいいでやす、マルティスの旦那」
「旦那なんて身分じゃねぇぜ! 俺っちは新入生だからな!」
元オーロール・クロニクル誌の編集長兼記者だったマルティスことマルスである。王立学院自然哲理学部に入学した後、当然ながらセドリック特別研究室に加入したのであった。今年は新入生が更に増えて、三十名ほどのメンバーになっていた。
それにしても。
自分の親くらいの年齢の人が入るってのは、考えてもみなかったでやすね。
そして、もう一人。
「…先輩。たぶん、光の入り方だと…思う」
期待の新入生である。
コレット。
ニコラスの妹であり、蛍石の加工に成功した天才研磨士。すなわち、『真・顕微鏡』の生みの親であった。
「でやすね。現状でやすと下から光を入れるもんだから、薄いものか透明なものでねぇと観察できねぇでやす」
「…上から、光を入れる…」
「できるんでやす?」
「…やってみる。視界を邪魔せずに、円柱に光を直接入れれば、多分…」
「頼みやした、コレットさん」
ふむふむ、とマルスが手持ちの手帳でメモを取った。元記者の癖なのか、記録と執筆はいつも欠かしていない。
「マルタ先輩、この前ニコラス先輩が持ってきた成分表、まとめが終わりましたよ」
ステファニーが分厚い冊子を手渡した。ぱらぱらと捲る。
最近、ニコラスはずっと合金の研究を続けていた。どうも蒸気機関車に耐えうる耐圧素材の選定に苦戦しているらしいのだ。思いつく限りのパターンと比重で合金を作りまくっているのだが…。
「一度見直した方がいいでやすね」
「ですよね。毎回炭素含有量が違うんですもん。こういうのって純鉄じゃないとダメじゃないです?」
「薬で言うと基準の素材が微妙に異なる状態でやすね。とはいえ…」
「なぁ、マルタ先輩よ」
マルスは何があっても先輩と呼ぶのであった。
「どうして純鉄でやらないんだ、ニコラス先輩は」
「純鉄ってぇのは、溶けづらい金属で。高温で溶解することで炭素が分離して、純鉄になるらしいんでやすが」
「その温度がものすごーく、高いらしいんですよ。石炭だと温度が上がりきらないみたいで。純鉄を安定して取り出すことができないんです」
「ならよ、石油はどうなんだ? 俺っちの愛書『自然哲理談義』によると、石炭より火力があるらしいじゃねぇか」
「石油でやすね。確かに、可能性がありやすが…溶鉱炉が耐えられやすかね」
「…ギルテニアに、シリカ製の溶鉱炉がある」
ぽつり、とコレットが言った。溶鉱炉の中でも、超高温に耐えられると評判の溶鉱炉である。
「シリカの溶鉱炉なら耐えられるかも知れねぇでやす。姫さまが石油の蒸留に成功したらしいでやすから、試してみる価値はありやすね」
補足だが、姫さまとはフランソワのことである。
「それじゃ、送って貰いましょうよ! そしたら、純鉄を精製できるんじゃないです?」
ステファニーも同意。
「ちょい待ち、そう言うのは産業にしないと単発で終わっちまうぜ」
マルスである。
「はぁ、産業…でやすか?」
「そうだぜ、こういうのは継続してやらないと意味がないだろ。商人を挟むべきだと俺は思うね」
「商人でやすか。でしたら」
アルフォンスさんでやすね。
◇◇◇
「姉さんなら、先週戻ってきたみたいだよ」
アルフォンスはいつもの場所、王立学院の校舎の裏側で紅茶を啜っていた。
アルフォンスの姉、リデル商会の代表にして女傑、ベアトリスである。
「王都でやすか?」
「そ。あんまり教えてくれなかったけど、フィヨルドに行ってたみたい。通商を再開するみたいだね」
「それは助かりやすね。蛍石の在庫も尽きてやすし」
「マルタ先輩よ、蛍石ってのは確か、真・顕微鏡のレンズだよな?」
マルスが尋ねた。交渉事なら任せろ、と言うので付いてきてもらったのだ。ついでにステファニーも同席している。コレットは研究室で没頭し始めたので置いてきたのだ。
「その通りでやす。姫さまがフェンリル・ベルク辺境伯から預かったみたいで」
そうだよ、と同じく同席していたハンスが頷いた。
「あの時は…灯台を修理した褒美で…大きな塊を貰ったのだけど…。もう無くなったの…?」
「へぇ、コレットさんが簡単に加工していたんで気付かなかったでやすが、どうも割れやすく加工難度が高いようで…。コレットさん以外の職人さんが何度も失敗したらしく。どうにか安定生産の目途がついたらしいでやすが」
「そうなんだ…。蛍石なら、フェンリル・ベルクなら余るくらいある…はずだよ…」
「つまり、こういうことだな。アリアには技術があるが素材がねぇ。フィヨルドとコンスタンには技術はねぇが素材はある、ってことだな」
マルスが整理。そうだね、とアルフォンス。
「貿易がアリア経済の根幹だからね。これを加工貿易にすることでアリアの経済は更に高まると思うのだけれど、他国の購買力が不安だったんだ。製品を作っても売り先がなけりゃ、意味がないし」
「つまり、素材の購入資金と加工品でトレードするってことですか?」
ステファニーが尋ねた。
「簡単に言うとそういうことだね。ただ、販路は世界に広げたほうが良いんじゃないかな。幸い、アリアは外洋航海技術に優れているし。ただ、そうだなぁ。欲をいうと、もっと速度が欲しいんだよね。ニコラスには注文してるんだけど」
「というと?」
マルタが尋ねる。
「蒸気船、って言えばいいのかな。動力で動く船を作れないかなぁって。そしたら風とか天候に左右されないでしょ?」
「そうでやすね…。浮力との関係が気になりやすが」
「そこはニコラスも懸念してたよ。少なくとも、今の蒸気機関じゃ無理だってね。戦列艦に積んでも積載オーバーで沈んじゃうんでしょ?」
「その通りでやす」
「浮力計算かぁ。先輩、やってみていいですか?」
「ええ、ステファニーさん。計算してみてくだせぇ。上手く行けば面白いことになりそうでやす」
「ところで、マルタ殿!」
ウェンディである。実は先ほどから気にはなっていたのだ。どうしてここにいるのだろうかと。
「その純鉄とやら、我が剣も遥かに強靭となる素材にございましょうか!」
「いえ、純鉄は柔らかいので、剣にすると曲がるでやすね」
「なんと! 承知いたしましたっ!」
えっとね、とハンスが言った。
「僕の…護衛らしい、よ…。フロリーナに言われたとかで…。」
そう言えば昔、ハンスさんに近寄る女子が勉学の邪魔になっているとか言ってやしたね。
「フロリーナ先輩も気になるなら戻ってくればいいのに」
と、ステファニー。はは、とハンスが苦笑い。
「はやくコンスタンに来いと、言われてるけどね…」




