第186話 マンテンヒルズのトム親父
6月上旬、王都アリア。
枢密院にて。
「ビザンティオン…じゃなくて、ビザン帝国の動きが早くない?」
ビアンカがため息をついた。ここ1、2ヶ月はコンスタンからの特使ばかりだ。弔問の特使を送ったと思ったら入れ違いに結婚報告、慌てて外務官を追加派遣して、今度は支援要請。まだ弔問の使者すら戻っていないのだけど。
「情報局からですが」
ロックバード軍務卿である。
「第一王子ムラトとバスラ公国が動いているようです」
「立太子されたのは第二王子のスレイムだっけ?」
「その通りです。推測ですがまだ帝位を諦めていないものと」
「お家騒動って嫌ね。私一人っ子で良かったわ」
「儂はそろそろお家断絶を気にして欲しいのじゃが」
アキテーヌ内務卿である。なによぉ、とビアンカ。
「まだ若いわ」
「ビアンカ皇王陛下はお気付きになられませぬが、老いというものは気づいたら忍び寄るものじゃ。早いに越したことはない。そろそろ年増の年代ですぞ」
「そうだけど…そうだけど」
「ふふ、時間の問題ですわ、アキテーヌ卿。近頃ある殿方が夜な夜なビアンカ皇王陛下の元を訪れているとか…ふふ」
カトリーナ財務卿である。
「なんで知ってるの!?」
「ふふ、隔壁に耳あり、ですわ」
「アキテーヌ、私室の防音工事を要求するわ」
「物理的な意味では無いと思うがの。で、カトリーナよ、その不届者が誰とは聞かんが世継ぎはどうじゃ」
「私が推察するに、近しいかと」
ビアンカの頬が真っ赤になった。ロックバードも視線を逸らす。どう考えても養子のアレフだからだ。
「そ、それよりも! コンスタンの要望に応えるかどうかを検討しましょ! ロックバード、どうなの?」
あいにく専門家であるアルプミティ外務卿は不在であった。ベアトリスやネイサン卿など、商人を連れてフィヨルドへ出張中である。
「第四艦隊は成立しておりますので、軍事支援自体は可能です。むしろこの時期にビザン帝国と刃を交えるか否かを判断せねば」
「お言葉ですが、法令の整備が間に合うかどうか」
カタルーニャ法務卿である。
「特例法でゴリ押し?」
「一度で済むなら特例法ですが」
カタルーニャがロックバードを見た。
「無理だろうな。帝政を復活させる程の事態だ。いずれコンスタン以外の国にも魔手を伸ばすだろう」
「あんまり期待していないけれど、フィヨルドとシルバはどうなの?」
ビアンカである。
「ご推察の通りです。フィヨルドはビザン帝国との国交樹立を目指しているとのこと。一方で我がアリアとも通商再開を希望しておりますので、おそらくフィヨルドについては中立かと」
「グレキアを一ヶ月と少しで実質滅亡させたんでしょ。ビザンも軽々しく手を出せないか」
「然り。フィヨルド側もグレキアならいざ知らず、ビザンと正面から争う国力はございませぬから、現状維持が最適解となりましょう」
「じゃ、シルバは?」
「こちらも虎の子の聖光燦然騎士団がフィヨルド軍に壊滅させられておりますからな。軍事的余裕は無いかと」
「じゃ、うちだけだ」
「はい、我が国だけですな」
「まずは予算がかからないものから手をつけましょ。穀物支援にしろ軍事支援にしろ貴族院が必要でしょ。ぜーったい反対されるけど」
「じゃな。時期も悪い。ネイサンが出張中だしの」
ネイサン・ド・シャトーブリアンである。比較的ビアンカに協力的な野党の党首であった。フィヨルドへは通商再開交渉に同席している。
「一番簡単なのはアンナの派遣かしら。すぐ動かせるの?」
「それが」
カタルーニャ法務卿が首を振った。
「只今ローランと共に実家の挨拶へ赴いておりまして。婚約の報告とかで」
「シャルル?」
「いえ、シャルロイド公とは面識がありますので、アンナの両親です。確か…マンテンヒルズだったかと」
アリア本島の西部にある穀倉地帯である。
「遠いわね」
徒歩でも船でも二十日ほどかかるだろうか。
「ひとまず早馬を送りますか」
「そうして頂戴。結婚式はまだ先でしょ?」
アレクセイじゃないし。
◇◇◇
6月中旬、マンテンヒルズ。
「ここがアンナの故郷なのか」
西国の訪問はローランも初めてである。見渡す限り水田が広がり、陽光に照らされてキラキラと輝いていた。
「そうなんです! 何もない田舎ですけれど」
「何をいうんだ。素晴らしい水田があるじゃないか」
「へへ、ありがとうございます。ローランにいさま」
連れは護衛のシャルロイド兵が数名ばかりである。畔に降りるとカエルがぴょん、と跳ねた。遠くで鳥の声。水田にはサギだかトキだか、真っ白な鳥が時折水田の中に頭を突っ込んでいた。
アンナの生家は十数件立ち並ぶ集落の一角であった。藁葺き屋根の、小ぶりな民家である。
「うちは代々小作人なので…」
アンナが言った。
「お家が狭くて。がっかりしないでくださいね?」
トム一家といえば、なんの特徴もない、ごく普通の…アリアにはどこにでもいる小作人の一人である。ただ、家族愛と郷土愛だけは誰にも負けない自信がある。小作人ながら祭りの神輿を担いだこともあるし、里山で猪相手に命を張ったこともある。
これもなんも、お天道様と土地神様のおかげだぁ、と日々の生活に満足していたのである。
そのトムに、アンナという子が生まれた。アンナはトムと違って頭が良くて、文字も数字もすぐに覚えてしまったのだ。トントン拍子で学校に行って、気づいたら王都勤め。村では当然出世頭である。トンビがタカを…。
否、スズメがタカを産んだようなものだ。トムはアンナのことを、心から自慢に思っていたのである。
だが。
そのアンナが結婚をするらしい。
結婚はいい、当然だ。
だが、王都で知り合ったというのがどうにも癪に障る。どうせ農具も持てないようなモヤシっ子にちげぇねぇ。なんなら、都会の悪い奴に騙されてるのかも知れねぇ。
トムはそう思い、これから訪れるという、ローランとかいう不届者を見定めてやろうと腹に決めていたのである。
だというのに。
「いやあねぇ、都会の貴族様らしいじゃないか。こんな貧相な家でいいのかねぇ。料理が口に合えばいいんだけど」
祭りの時みたいにおめかししてるおっかぁと。
「都会の人って金持ちなんだろ! なんかくれるかな?」
「きっと見たこともねぇ、うめぇもんもってるぞ!」
「あたいもたのしみ!」
浮き足だってる倅どもを見て、トムはますます心に誓ったのである。
一発、鼻っ面へし折ってやらあ、と。
そして。
「おっとお、おっかあ! ただいま!」
アンナが、数年ぶりに家の扉をくぐったのだ。続いて。
「お初にお目にかかります。ローラン・アリエル・ド・シャルロイドと申します」
馬鹿丁寧に入室してきた男を見て、トムは確信した。
細っこいだけで、頼りにもなんねぇ男だ、と。
「俺は認めんぞ!」
トムの一言目はそれであった。
「これは…お義父様。この度アンナと婚約させていただいた、ローランと申します。どうかご結婚をお認めいただきたく」
「そうだよ、おっとお! ローランにいさまはえらい貴族様なんだよ。本当は私じゃ釣り合わないんだけど…でも、ローランおにいさまも、お義父様もとってもいい人なんだ! 安心して、おっとお」
「ダメだダメだ! 第一、オレは農民だぞ、おめぇみたいなもやしっ子が農具を持てるっていうのか!? あ?」
「多少は嗜みを…」
「そうなの! 一緒にほうれん草作ってくれたんだよ」
「第一、貴族ってのがきにくわねぇ! どうせ貧乏貴族なんだろ、もしくは悪徳貴族か。俺は認めん!」
「ち、違うよおっとぉ、シャルロイド公爵って言えば国でもすごく偉い家系で…」
「シャリだかシャバだか知らねぇが、ともかく俺は認めん!」
「あんた、強情はっちゃって…」
母親が呆れた時だった。血相を変えた村長がトムの家に駆け込んで来たのは。
「お、恐れ多くもシャルロイド公爵様がご来訪されているとお伺いし、飛んで参りましたぞーーーー!」
いきなり、土間で土下座したのである。
「あ、いや…まだ家督を継いでいないので。それに今日は公務ではありませんから」
トムはその姿を見て、つつ、と冷や汗が背中を伝うことを自覚した。
「村長、ご無沙汰してます!」
「お、おお、アンナか! 大功を立てたとは聞いたが、まさか公爵様に嫁入りするとは思わなんだ。トムも大喜びじゃろ?」
「それが…俺は認めない、の一点張りで」
「な、なんじゃと! こ、これは公爵様! こ、このトムは私がよーーーく言い聞かせます故、どうか、どうかご容赦を…! お、お取り潰しだけはご勘弁くだされ! む、村を代表してお詫び申し上げまするーーーーー!」
「あ、いや…その、お義父上とはしっかりお話しして、誤解を解いていただかねばと思っておりまして」
「む、村長ぁ…」
トムがその体躯を小動物のようにプルプルと震わせた。
「こ、このお方…やんごとなきお方で?」
「馬鹿もんが! シャルロイド公爵といえば皇王様に次ぐ由緒正しい大貴族じゃ! 本来なら儂らが直接お話しすることすら許されぬ、雲の上のお方じゃぞ!」
村長に一喝され、トムはとうとう白目を剥いて…。
「お、おっとぉー!」
そのまま仰向けにバターン、と泡を吹きながら気絶したのであった。
そんなこんなでひと騒ぎはあったのだが、村長が用意してくれた歓待の場でしこたま酒を飲まされたローランとアンナの元に一騎の早馬が到着した。
「帰京後、ローラン・アリエル・ド・シャルロイドおよびアンナ・スピニッチはすぐにコンスタンへ発つべし」
との報であった。
後にビアンカは言ったという。
「最近ハネムーンとやらがトレンドみたいじゃない? 仕事だけど」




