第185話 ヨハン辺境伯の復帰
アリア領事館に戻ったら、ちょうど座学講義中だったわ。シオンの他にフェンリル・ベルク兵が何人か。ちなみにエラリーとフロリーナは外出中。今日はエガレ村で一日授業よ。
「ヨハンさん」
講義にお邪魔して、事情を話したら講義の手を止めてくれたの。なんだろう。地図みたいだけど…。あれ?
「アテネアの地図?」
「さすがフランソワだ。その通り、ちょうどアテネア防衛について検討をしておった」
さすがヨハンさん。
「アレクセイが会いに来てまして」
「ほう、国王陛下自らご臨席頂くとは名誉なことだ。折角だ、この研修室で面談というのはいかがかな?」
「わかりました、お呼びしますわ」
アレクセイを領事館2階の研修室に連れて行ったわ。
「ご面談の機会を頂くのは初めてですな。光栄にございますぞ、アレクセイ国王陛下。ヨハン・フォン・フェンリルベルクと申す」
「アレクセイ・フォン・コンスタンだ。ヨハン卿の武名は聞き及んでおりますぞ。今日はご教示願いたく参った次第」
そこでアレクセイも気づいたみたいだわ。
「ほう、アテネア防衛の机上訓練ですな」
「然り。我も気づけば一年ほど、コンスタンにお世話になっておりますでな。万が一と考えたまで」
「さすがヨハンおじさま。私からもお願いです。どうかビザン帝国の魔の手から我が国をお救いくださいませ」
ドロテも頭を下げたわ。うむ、とヨハンさんが頷いたわ。
「折角の機会であるし、若手の意見を聞いてもよろしかろう。シオン、意見を述べてみよ」
「はい」
シオンが直立不動に立ち上がったわ。
あのシオンが! 軍人みたいに礼儀正しく立ち上がったの! まるで別人みたい。
「現状の戦力では、防衛は極めて困難であります」
こ、言葉づかいまで…こんなのシオンじゃない!
思わずドロテと目を合わせたわ。この短期間でここまで変わるなんて…ヨハンさん、教育者としても一流だわ。
「陸上からの侵攻であれば、山岳を利用した遅滞戦術をもって抵抗できますが、懸念すべきはアテネアでの短期決戦かと。海上から大軍が上陸した場合、抵抗する間もなく敗れる結果となっています」
「その通りだ、シオン。貴殿とは一度か二度、会っているな。フランソワの護衛だったか」
アレクセイが満足したように頷いたわ。
「はい」
「当方のシミュレーションでも同じ結果となっておる。そのため、フランソワに油圧クレーンの製造を急がせたのだ」
なるほど?
「フランソワの発明ですか? 最近、中庭で何かやっていたのは見てましたけど…」
「これについて、ドロテに考えがあるようだ」
アレクセイがドロテを見たわ。
「油圧器と…それからナフサを防衛に使えないかと思っています」
「ナフサとは、先日中庭で暴発したという『悪魔の火』の原料であるな」
ヨハンさん。流石耳が早いわね。
「フランソワ先輩、ナフサは別に保管してましたよね?」
「ええ。危険だから、貯蔵タンクごとアスファルトで封をして、だだっ広い更地に置いているわ。ただ、油圧器を作れば作るほど増えていくのだけど」
ちなみに天幕で覆っているわ。一度暴発したのよね。太陽光で熱せられたのが原因みたい。
正直、処分に困っているのよ。何か使い道があればいいのだけど。
「ふむ、面白そうじゃの。ただ、上手く使わねば味方に被害が出かねんが」
「ヨハンおじさまのおっしゃる通りです。つきましては、一度我が軍の将軍らと意見交換をお願いしたく…。ぜひ、軍事顧問としてご就任頂きたく存じますわ」
「これこれ、ドロテよ。新参者が突如重宝されれば面白くない武官もおろう。だが、意見程度であればいつでも良いぞ」
「ありがとうございます、ヨハンおじさま。早速ですが明日の午前に軍議を予定しておりますわ。ぜひご参加いただきたく」
「よかろう。シオン、お主も付いてくると良い。いい経験になろう」
「わかりました」
なんか、シオンが若手士官みたいなんですけど。
なんだろう、ちょっともやっとする。いつもの、のほほんとして、ちょっとぼんやりした感じが好きなのに。
なんとなく居心地が悪く感じてムズムズしていると、ドロテが淡々とこう言ったわ。
「だからプライベートでは普段通りが良いんですよ、先輩」
どういうことよ、それ。
◇◇◇
翌日、アテネア王宮。
「ご足労頂き感謝申し上げる、ヨハン辺境伯閣下」
アレクセイが丁重に迎え入れた。ヨハンとシオンの他、主だった武官が集まっていた。他にドロテが参加している。
王宮内の作戦会議室であった。
「なに、構いませぬ、アレクセイ国王陛下。今は引退の身ですからな」
「ご謙遜を。ヨハン卿の武名は我も聞き及んでおります。ぜひご教示願いたい。それから紹介をさせて頂く。コンスタン王国軍総司令官のテオドロス・カメンスキー伯爵だ」
「お目にかかれて光栄ですぞ。ぜひ若輩の我らにご助力願いたい」
カメンスキー伯爵は40代前半の精悍な男だった。ふむ、とヨハンが頷く。
「まずは概要をお伺いしたい」
「僭越ながら、私から」
カメンスキーより説明があった。
「コンスタン王国軍は総勢1万の小規模部隊となっております。正直に申して、50万とも言われるビザン帝国軍に対抗することは困難と言わざるを得ません。それでもこれまで独立を維持してきましたのは…」
机に広げられたコンスタン半島の地図を指差した。
「ひとえに、天然の要害…ピンドゥ山脈を天険と成したからに他なりません。すなわち、山岳兵によるゲリラ戦。これが我がコンスタン王国軍の基本戦略となります」
ふむ、とヨハンが地図を眺める。
「よくできておりますな、この地図は。我が持つものとは精度が違うようです」
「国家機密となりますが、測量師のエルフィンが製図したものにございます。正確さはコンスタン一かと」
「素晴らしい技術者ですな。しかし、アテネアの脆弱性は変わらぬようですな」
「然り。アテネア周辺はいくつかの丘陵こそありますが大きな山脈がなく、また何ヶ所か上陸に適した浜辺が存在します。仮にビザンが内海を超えて上陸を敢行した場合、抵抗の間もなく占領される可能性が大かと」
ヨハンのシミュレーションと同じであった。
「やはりアテネアの要塞化は必須ですな。特に制海権を渡すわけにはいかぬ。アリアの助力は得られましょうか?」
「救援の要請は出しておるが、アリアは議会なるものの力が強いようだ。現状は不透明と言わざるを得ない」
アレクセイが述べた。
「優れた統治機能ではありますが、このような時は厄介ですな。では、補給はどうされておりますか」
ヨハンが再び尋ねた。
「正直に申しまして、頭痛の種にございます。現状は兵らに持参させるのが最も効率が良く」
カメンスキーが答える。
「そこで、策があるのですが」
ドロテがそこで、誰もが想定していなかった策を献じたのである。
「ふむ、検討の価値はありますな」
ヨハンが頷いた。
「ええ。すぐに着手すべき案件かと。ヨハン卿、ぜひ我らの作戦立案にご尽力いただきたく」
「この老骨で良ければ力になろう」
「是非に、ご指導くださいませ」
そこでヨハンとカメンスキーがガッチリと握手したのであった。




