第126話 セドリック研究室とリンドバーク先生
翌朝なのだけれど。
「フランソワ先輩、ローラン様とアンナさんがなんだかとってもスッキリしているような…」
フロリーナの言う通りだわ。私、ローランお兄様が寝付けなくて目を真っ赤にしている姿を想像していたんだけど。
「フランソワ」
「は、はいっ! お兄様、なんでしょう!?」
「俺たちは先に帰るが…フランソワはどうする?」
「わ、私たちはもうしばらく啓蒙活動を続けますわ。ご安心ください、新年には戻ります、セシルお兄様も来られるとのことですし!」
「そうだな…先にセシルには話しておこうか」
何を!?
「にいさま、準備できました!」
「ああ、それじゃ、フランソワも気をつけて」
「は、はい!」
あの…。馬車に乗り込む時に、自然にごく自然にローランお兄様がアンナさんの手を取って、まるで夫婦みたいにエスコートしたわ。
アンナさんってば満面の笑顔で…。
「あ、あのシスコンのお兄様が…」
エラリーが緩やかに首を横に振ったわ。
「取られちゃったねぇ、お兄さん」
ちなみに、本編とは関係がないのだが。
後にエガレ村は恋人の聖地として有名な観光地になったとか、ならないとか…。
◇◇◇
少し時は遡り、十二月中旬。
「年の瀬のお忙しい時期にお時間をいただき、感謝いたしますぞ、セドリック教授」
「こちらこそ光栄ですわ、リンドバーク先生。学生らにもきっといい刺激になります。それで、ご相談とは…?」
アリアの王立イスタルシア総合学院である。迎賓館の一角、ロビーフロアであった。
「偶然ですが、コンスタン王国でフランソワ嬢とお会いしましてな」
「まぁ! フランソワさんね。ええ、私の自慢の生徒ですわ。本来なら、まだ私の下で自然哲理を学んでいただきたかったのですが…。変わりはありませんでしたか?」
「ええ、それはもう。理知的で洞察が深く…少し活発な乙女でしたな」
「活発…すぎるかもしれませんわ。でも、そこが可愛らしくて」
「ですなぁ。そこで、ある物質を発見されたのですが…」
「もしやそれは、アオカビでしょうか?」
「なんと、ご存知でしたか」
「いえ、恥ずかしながら付け焼き刃です。リンドバーク先生が来られると聞いて、慌てて論文を読ませて頂いたのですわ」
「それは恐縮であります。そこで困ったことがありましてな」
「抽出、ですわね。聞けばコンスタンのケルナー先生も苦戦されているとか」
「その通りです。そこで、セドリック教授のご助力をお受けしたく」
「私でできることなら、何なりと」
「聞けばセドリック研究室なる、私設研究所をお持ちとか…。ぜひ、研究所にも抽出のお手伝いをいただきたく」
「まぁ…ふふ」
そこでセドリックが楽しそうに笑った。
「セドリック教授?」
「いえ、なんだか嬉しくって。セドリック研究室、なんて立派な名前ですけれど…作ったのはフランソワさんなんですよ。私は少し、アドバイスをしているだけで」
「なんと…そうでしたか」
「ええ。それに、薬物の抽出でしたら適任者がおりますわ」
「と、言いますと…」
「フランソワさんと一緒に研究室を立ち上げた、マルタさんです。彼女、ご実家が薬屋で、数学の天才ですのよ」
「なんと! それはぜひお会いしたいものですな」
「ええ、このあとご案内いたしますわ。この時間なら、みんな研究室にいると思いますので」
◇◇◇
「マルタはん、圧力計算手伝ってくれへんか?」
セドリック研究室では今年の新入生も加入し、気づけば十名近い人数になっていた。
前任であり、第二代室長であるギリアムの尽力はもちろん大きかったのだが、それ以上にいつのまにか聖女扱いされていたフランソワの影響はやはり大きかったのである。(ちなみにフランソワ自身は初代室長と呼ばれていることを認識していない)
「へぇ、ニコラスさん。うまくいきやせんか」
「そうなんや、ゼンのオッさんと蒸気機関の小型化をずーっと実験しとるんやけどな、小型化するには耐圧性が全然足りへんのや。わいのチームで、合金を試験しとるんやけど、いい合金が見つからん。なんかモリブデンちゅーのが良いらしいんやけど、アリアじゃお目にかからんからなぁ」
「鉱物の不足は深刻でやんすね。噂じゃ、コンスタンはいろんな鉱物があるとか」
「せやなぁ…フランソワはんなら何か知ってるかもなぁ」
「手紙でも出しやすか。そろそろ新年でやすし」
「お、それ良いな! おし、手紙書いたるか、苦手やけど」
「へぇ、あたしも苦手でやす」
「マルタせんぱーい、薬草の仕分け終わりましたー」
「へぇ、助かりやす。効能別にノートをまとめてきやしょう」
「はい、わかりました!」
「に、ニコラス先輩! 評議会からクレームが…!」
「なんや、ほっとけや。とも言えんなぁ。はぁ、ギリアムの旦那がいた時はこういうの、なかったんやけどなぁ…」
ともかく行ってくるわ、とニコラスが退出。
この間に圧力計算、済ませやすかね。
マルタがペンを取った時だった。
「マルタさん、調子はどう?」
セドリックであった。後ろには見知らぬ初老の紳士。
「へぇ、先生。先日教わった分類学の観点で、薬草の仕分けと整理をしようと思いやして。みなさん手伝ってくれて、助かってやす」
「ほう、分類学とは…さすがセドリック先生の教え子ですな」
「いいえ、みなさん自分で課題を見つけてくださるの。あ、ごめんね、マルタさん。この方はリンドバーク先生という、お医者様なのだけど」
「へ、も、もしやあの高名なリンドバーク先生でやすか!? こ、これはもったいねぇ、もったいねぇ」
「いやいや、気楽にしてもらって構わぬよ。むしろお願いする立場だからね」
「へぇ、お願いでやすか…?」
「ああ、コレの成分抽出ができないかと思ってね」
「リンドバーク先生、これは…?」
「アオカビだよ。私は『ペニシリン』と呼んでいる。細菌に特効性を持つ、魔法のカビだ」
「ぺ、ペニシリンでやすか…聞き馴染みがない薬草でやすね…」
「効能はブドウ球菌などの細菌の繁殖を抑える効果。だが、問題があってね。有効成分が極めて不安定なのだ。 そして安定培養に課題がある。なにしろ、多少はまともに培養するだけで三ヶ月もかかってしまったからね」
「へぇ…リンドバーク先生、こちらはどこで…?」
「腐ったビール樽だよ」
「は…は?」
「フランソワ嬢と、そのお弟子のドロテ嬢が『せっかくだし』と顕微鏡で覗いたらしいね。それで発見できたんだ」
「真・顕微鏡でやすか。姫さまらしいでやすね」
「その後、コンスタンのケルナー医師と共同研究を続けてはいるが…薬効抽出で詰まってしまってね。そこで、セドリック研究室ならあるいは、と」
「確かに…アルカロイドの抽出はあたしも実験しやしたが」
「さらに高度な抽出が必要になりそうだね」
「へぇ、承知しました。リンドバーク先生みたいなお偉いさんに頭下げられて断っちゃあ、シャルルの女の名が廃るってやつでやす。この仕事、受けさせていただきやす」
「感謝するよ、マルタ君。なに、時間はいくらかかってもいい…私も研究を続けるからね」




