第127話 ペニシリン抽出の難問
「困りやしたね…」
すっかり暗くなり、研究室に一人残っていたマルタはリンドバークが置いていったアオカビの検体を前に、ただ思考を巡らせていた。
薬効成分の抽出は、ほんの数ヶ月前に論文発表されたばかりの方法である。アヘンからアルカロイドの一種、モルヒネの抽出に成功したというのだ。
論文発表後、マルタは即座にその内容を熟読し、マルタ自身も再現に成功している。
手順はこうだ。
・薬草の煮出し(薬効を水に溶かす)
・不純物の分離(中和や沈殿、濾過などできれいにする)
・加熱して濃縮する
・酸とアルカリを加えて結晶化および遊離塩基(水に溶けない状態)に変質させる。
・アルコールに溶かし、冷まして再結晶化させる
実はこの手順、サトウキビから砂糖を抽出する手順とほぼ同じである。
違いは二つだけ。使う汁が「サトウキビの白い汁」なのか、「草を煮出して作った出汁」なのか。
もう一つは、「冷却して勝手に結晶化する砂糖」なのか「酸やアルカリで状態を変え、アルコールに再溶解させて結晶化するモルヒネ」なのか、という違いである。
ならば、アオカビも同じ手順で…とはいかないのが実態であった。
「実際に、キキョウの抽出は大失敗したでやすし…」
咳に効くという、キキョウである。実家の薬屋から持ってきたキキョウの抽出を試してみたのだが…。火にかけた段階で大失敗であった。鍋から泡がぶくぶくと、それこそ無限に溢れてきて止まらなくなったのである。
その第一段階、「火にかける」ことがペニシリンは厳禁だというのだ。リンドバークの話だと、少し火にかけただけで薬効が消えるという。
では、アオカビそのものを服用するのは…今度は薬効が少なすぎて、人には効果がないとのことだ。
「つまり、アオカビを培養して、どうにか濃くして、結晶化させねぇと…」
酸はどうでやすかね。
試してみたが、結果は明らかであった。
「薬効が消えてやすね…ブドウ球菌が元気でやす」
顕微鏡で確認する。初代真・顕微鏡はフランソワがコンスタンへ持ち込んだため、マルタが使用しているのは同じコレット製作の二代目であった。
さて、困りやしたね…。
何か、いい発想があればいいんでやすが。
◇◇◇
「熱がダメなら、冷やせばいいんじゃないですか?」
翌日のセドリック研究室である。
ステファニー・ペンネッタ。
王立学院一年生であり、子爵家の娘である。魔力は1000前後、元々は魔導真理学部だったのだが、『聖女フランソワ』に興味を抱き、秋口に自然哲理学部へ編入してきた変わり者であった。
曰く、「ロッサム教授の古臭い講義に飽きた」のも理由の一つらしいが…。
「冷やす、でやすか」
「はい。見た感じ、培養液には薬効が溶け込んでいる気がするんですよね。いっその事凍らせるとか…。魔道真理学部の友達、連れてきましょうか?」
「やってみやすか」
という事で…氷魔導士の精鋭メンバーが集められたのだが。
「ハンスはんがリーダーでやすか」
「あ、あはは…なんでだろうね…?」
ハンスの他に、新入生を含めて五名ほど。
ハンス以外は全員女子である。
「私が推薦しました! やはりフィヨルド王国が誇る天才魔導士、ハンス殿のご尽力が必要であると考えます!」
その一人がウェンディである。
改めて補足しておくが、彼女は本来フロリーナの直参騎士である。ただ、フランソワを追いかけてコンスタンへと向かったフロリーナは、こう伝えて学院に残したのであった。
「ウェンディはその…目線が狭いというか…あの…そうね、まだまだ見聞を広めた方がいいと思うの。この王立学院で」
「助かるでやす。ただ、冷やすと培養液ごと凍ってしまいやせんか?」
「それは…大丈夫…氷って、純水の方から凍るから…全部凍る前に、液体を取り出せば…いいと思う…」
流石ですわ、ハンスさん!
なんて黄色い声にマルタは思わず辟易した。ステファニーがマルタに耳打ちする。
「ハンス先輩、美形だから女子に人気なんですよ、で、今フロリーナ先輩がいらっしゃらないから…」
「はぁ…」
どうもそういうのは疎いでやすね。
「ともかく、お願いするでやす」
「うん…」
ハンスが詠唱して、培養液に手をかざす。
端から凍り始め、中央に水たまりができてくる。水たまりと言うか、培養液であるどろりとした琥珀色であるが…それが、徐々に濃くなっていた。
「そろそろ…いいと思う…」
「流石でやす、ハンスさん。これで濃縮はできやしたね。あとは不純物の濾過でやすが…。石灰を使ってみやすか」
ビーカーに濃縮液と石灰を入れる。不純物が石灰と一緒に沈殿して、透明な液体になるのだ。
みるみる内に琥珀色が薄れ、透明な液体へと変化した。
「一旦、ここで薬効を確認しやすかね…」
今度は真・顕微鏡へ。別に培養していたブドウ球菌の上に、数滴を垂らす。
だが。
はぁ、とマルタが大きなため息を漏らした。
「どうしたんですか、マルタ先輩」
ステファニーに言われて、顕微鏡を代わる。
「あー、これ。駄目ですね」
「そうでやすね。念のため、不純物がありやすが、濃縮液でも観察してみやすか」
「はい! あ、これは効いてるみたい!」
「で、やすね。ただ、このまま人体に使用するのはお勧めしねぇでやす」
「ですよね…別の病気になっちゃいそう」
「他の濾過を検討しやすか…ハンスさん、ありがとうございやした。ところで、これ、自然に凍らせても同じ効果がありやすか?」
「あるよ…今の時期なら、軒下においておけば…早朝には凍っていると思う…」
「でやすか。冬の間に決着をつけたいでやすね…」
ハンスらが去った後で、なぜかウェンディだけが残っていた。
「ウェンディさん、どうかしやしたか?」
「マルタ殿、私は懸念しております!」
「な、なにをで?」
「フロリーナ殿下より、ハンスの学業を邪魔しないよう言いつかっております! 然るに、あの不埒な女子どもを如何すべきかと!」
「へ、へぇ…あ、あっしは詳しくは無いでやすね」
「承知いたしました、またご相談させて頂きます! それでは失礼!」
「…元気なお人でやすね」




