第119話 コンスタンへの船旅
変に律儀なローランはそれでも旅装を整え、アンナが混乱していたからとコンスタンへの定期便を押さえ(流石に部屋は別にした)、なんならエヴィル港に辿り着くまでに迷子になりそうだ、と余分な先回りをして、王都アリアを発ったのは年の瀬も迫った十一月の末であった。
「わたし、船って初めてです! 楽しみ!」
最初はそう言ってウキウキだったアンナであったが…。
「うええええ…げろげろ…」
「だ、大丈夫か、アンナ殿」
「あ、アンナで…大丈夫…うえ、きもちわるい…」
「船酔いだな…この部屋がよくないな、少し位置が高すぎる」
景色の良い二等客室にしたことが失敗だったか。鍵も付いているし、安全だと思ったのだが。
「だ、大丈夫…」
「大丈夫ではないだろう、少し待っていろ、確認してくる」
「うええ…」
確かに今日は波が強い。三千トンクラスの商船だから揺れは少ない方だが、冬場はどうしても海が荒れるのだ。それに、天候も良くない。本当はデッキで遠くを眺めていた方が酔いを感じにくいのだが…。この雨では身体を冷やしてしまう。春まで待てばよかったか、と考えつつ、客室乗務員に空き部屋を確認する。
「船底の三等客室で良ければ…」
「恩に着る。あと、梅干しはあるだろうか?」
「であれば、食堂にお越しくださいませ」
「後ほど取りにいこう」
アンナのところに戻った。
「立てるか?」
「だ、だいじょ…」
「大丈夫ではないな。ほら、身体を貸してやる。掴まるといい」
「あ、ありがとう…ございます…」
いつもの元気がなくて、すっかり萎れてしまっている。こうしてみると、本当に小さい。手のひらも肩の位置も、流したままの髪の毛も。
こんなに華奢だったか。
女に触れたことが無いわけではない。公爵家の長男として、ダンスパーティーやエスコートの類は幾度もこなしてきた。
だけれど。
こんなには弱々しく…俺に身を預ける娘はいただろうか。
「さ、階段だ…気をつけて」
「は、はい…」
足元がおぼつかないな。
「アンナ、おとなしくしていろ」
「え、え…わっ」
腕二本で抱き上げる。アンナが首筋に齧り付いた。
「ロ、ローラン様…ち、ちからもち…なんですね…」
「アンナが軽いんだ、気にすることはない」
そのまま、船の一番底へ。揺れがだいぶ治った。
指定された三等客室へと向かう。幸いに個室らしい。ただ、鍵がかからない部屋だった。
「少し、横になるといい」
「は、はい…」
「すぐ戻る、酔いに効くものを持ってくる」
こくり、とアンナが力なく頷いた。急がねば、と階段を駆け上がる。この間に不届き者が乱入してくるかもしれない。アンナを守らねば、なぜだか強くそう思って、食堂で水と梅干しをわけてもらう。事情を話したら、やかん一杯分の水を分けてくれた。貴重な水を、ただただありがたい。
戻ると、アンナは相変わらずえづいていた。
「ほら、梅干しと水だ。一緒に飲むといい」
「ローランさま…これ…おばあちゃんが…疲れたときにいいって、いってた…」
「ああ、おばあちゃんと同じだ。さ、ゆっくり」
背中を支えてやる。こくこく、と小鳥みたいにそれを含んだ。
「この程度にしておけ。飲み過ぎはかえって悪化する。寝れそうか?」
こくり、とアンナが頷き、ゆっくりと瞳を閉じた。
◇◇◇
不意に、目が覚めた。
まだ少し気持ち悪いけれど…だいぶマシになりました。
そう思いながら、アンナが身を起こす。そして仰天した。
「ローランさま?」
固い木の丸椅子に腰掛けたローランが、うとうとと船を漕いでいた。眼鏡は外している。
アンナがその寝顔をまじまじと見つめた。
まつ毛が長くて、綺麗。すごく整っていて…素敵な人なんだ。
そう思った。少し投げ出された、ローランの手を握る。
「ん…?」
ローランがつぶやいた。少し、目を開ける。
「お、起こしちゃいました…?」
「ああ…大丈夫だ。少しはマシになったか?」
「はい…あの…お手て…握ってもいいですか?」
「ああ、構わない。さ、もう一度お休み。まだ夜だからね」
もう一度布団に入る。
「えへへ…」
「どうしたんだ?」
「わたし、ローランさまみたいな、お兄ちゃん欲しかったなぁ、って」
「いないのか?」
「長女だから…弟と妹は、たくさんいるけれど」
「…俺でよければ」
「…ローランにいさま」
「ああ」
「えへ、ローランにいさま…なんか、うれしいな…」
手を握られながら、布団に潜る。
今度は、熟睡できそうだった。
◇◇◇
「にいさま!」
アンナの声に起こされた。
「ど、どうしたんだ、アンナ」
びくり、と肩を震わせて、椅子から飛び起きる。何かあったのか、とアンナの顔をまじまじと見た。
だけど。
「おなかが空きました!」
◇◇◇
「食べ過ぎは毒だぞ。ほら、お粥」
「うめぼしのお粥…最高です、嬉しいです!」
「そうか」
ローランは白米と焼き魚、それに味噌汁とアリアでは定番の朝食である。
「うー、おさかな食べたい…」
「少し、分けてやろうか?」
「いいんですか!?」
「ああ」
切り身の…脂が乗った、一番美味しい所を箸で丁寧に取り分けて小皿におく。それをアンナがペロリ、と食べた。おいしい、と顔を綻ばせる。
どうもすっかり回復したようだった。
「そういえば、ローランにいさま」
「どうした?」
「目が悪いんですか?」
「ああ…眼鏡か。いや、伊達だよ」
「どうして?」
「その…貫禄をつけたくて、な。一応公爵家の長男なんだ、しっかりしないと…と、思って」
ローランはふと、不思議な気分を覚えていた。
どうして、セシルやフランソワにも言っていないようなことを、素直に話しているのだろう、と。
もちろん、あの二人はこのメガネが伊達であることは気づいているのだけれど…。
「そうなんですか? わたし、眼鏡がない方が素敵だと思います」
「そ、そうなのか…?」
「はい! 絶対外したほうがいいですよ!」
「そうか」
どこか、肩の力が抜ける気がした。すっ、と眼鏡をテーブルに置く。じっ、と見つめるアンナの瞳に、久しぶりに見た自分の素顔が映っていた。そのまま、しばらく見つめ合っていて。
「その…すまない」
「なにがです?」
「いや…なんでもない。それなら、このまま外していよう…。どうかな?」
「優しい感じ、です。やっぱ、まつ毛長いんですね」
「ああ…遺伝かな。弟も妹も、顔立ちはいいんだ」
「そうなんですか? ご兄弟にはお会いしたことが無いですけれど…でも、にいさま素敵だと思います」
「褒めても何も出ないぞ」
「いいえ、今おさかなを頂きました!」
「確かに」
「ね!」
つい、二人で笑い合う。
「今日は甲板にいかないか? 天候が回復したみたいだ。きっといい景色が見られるぞ」
「はい、いいですよ! あ、折角だし、色々お話したいです! にいさまのこととか、ご兄妹のこととか…いろいろ!」
「俺も聞いてみたいな。アンナの事」
「はい、話すと長くなりますよ! えとえと、うちは先祖代々零細農家で…」
その日は一日中、ずっと二人で話していた。
話題は何故だか、いつまでたっても尽きることがなかったのだ。




