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第117話 奇跡の薬

「あら。生徒さんが二人になりましたわね」

 翌日よ。早速きてくれたトマスも文字が読めない、というからハンスの講義に回したの。シオンの姿もないけれど…。

「シオンさんはヨハンの講義ですわ。ギリアム先輩もです」

「いい傾向だわ。でも、ギリアム先輩は明後日、帰国しちゃうのよね」

「はい、なのでエラリーさんが情緒不安定になっています」

「あーうん、明日は二人きりにしてあげましょ。フロリーナもハンスとお出かけ?」

「いえ、講義の引き継ぎですわ。私が責任を持つ以上、しっかり引き継がなくては」

「先輩、先輩」

 ドロテに袖を引っ張られたわ。

「ダメですよぉ、私に任せてください」

 って耳元で囁いたので、見てることにしたわ。


「フロリーナ先輩、ハンスさんもお土産が必要なんじゃないですか? ほら、アリアにいるフィヨルドの国王陛下とか、王立学院のご学友さんとか、フランソワ先輩の恩師、セドリック先生とか。これって貴族だとあるあるですよね?」

 確かに、とフロリーナが少し考えたわ。

「ドロテの言う通りですわ。それでは、引き継ぎが終わりましたら買い物に参りましょう。贈答品ですもの。貴族として知っておくべき事ですわ」

 ドロテって…すごい子…。

「じゃあ、私は油圧の設計があるから」

「あ、その前に! 先輩に見て欲しいものがあるんです!」

「どうしたの、ドロテ」

「えっとですね、なんか変なカビがあったんですけど」

「変なカビ?」


「け、ケルナー先生ーーーーーー!!!!」

 油圧設計は中止よ、中止、あんなのは後回し!

「なんだよ、うるせぇな。リンドバーク先生なら王立医局の見学に行ったぞ」

「な、なら今すぐ王立医局ですわ! その前にこれ、これ見てください!」

 シャーレと真・顕微鏡を手渡したの。ちなみについてきたドロテはぜーはー息を切らしていたわ。

「なんだよ、一体……。おいフランソワ、ちんたらしてんじゃねぇ!! 王立医局だ!!」

「だから言いましたよね!?」

「ま、待ってください、せんぱいー!」


◇◇◇


「ケ、ケルナー先生、この度は何用で…」

 相変わらずヘルダー医師は揉み手状態だわ。元々医局長だったのに。アレクセイに相当どやされたらしいのね。今はリンドバーク先生を案内していたみたいだけど。

「ヘルダー、話は後だ! リンドバーク先生、これ、これ見てください!」

 冷静に考えたらケルナー先生が敬語を使うって珍しいわよね。リンドバーク先生がそれだけのお方、ってことだけど。

「ほう、ザハリアス印の最新型顕微鏡ですな。性能が極めて優れておりましてね、私も愛用しているのですよ。さて、この検体は…なんと!?」

「ど、どう見てもブドウ球菌が避けてますよね?」

「む、むしろ周囲のブドウ球菌が消えているように見えますな… 。ケルナー先生、これは一体どこで?」

「おい、フランソワ」

「見つけたのはドロテですわ。よかったですわね、ヘルダー医師。世界史が百年遅れるところでした」

「ひ、ひぃ…」

 いじめすぎたかしら。

「ドロテ殿、これはどちらで?」

「腐ったビール樽です!」

「は?」

「いえ本当なんです。検体はこちら」

「これは…アオカビですな。こんな身近なものが…」

「ただ、すべてのアオカビに特効があるのかは」

 ケルナー先生が言ったわ。

「ケルナー先生、今からお伺いしても?」

「もちろんですよ、リンドバーク先生。フランソワ、これはどこにある?」

「大使館ですわ、今から?」

「ああ。ヘルダー、馬車はあるか?」

「も、もちろんですとも、ケルナー先生!」


◇◇◇


「よく勘違いされるのだが、戦は戦いそのものを指すわけではない、と言う事だ。数人規模のケンカと異なり、何千何万という人間が移動することを忘れてはならぬ。そこで重視すべきなのは輜重であり、その輜重を支える生産力である。すなわち兵力とは民の犠牲によって成り立っているのである。であるから、輜重においては麦の一粒、豆の一粒を無駄にせず…騒がしいの、何かあったのか?」

「さて…庭のようですが」

 ギリアムが首を傾げた。ちなみにシオンは寝ないようにするので精一杯である。

 ヨハンの講義中であった。特にギリアムは明後日帰国の予定であるし、帰国前に実戦経験を持つヨハンの話を聞いておきたかったのだ。

 なのだが。

「なんか…カビとかビールとか?」

「よく聞こえるの、シオン…。待て! カビとビールと申したか?」

「あ、はい」

「こ、こうしてはおれん! 一時休講じゃ!」

 慌てて、半ば駆け足でヨハンが講義室を退出した。

「なんだろうな?」

「ギリアム先輩、見に行きましょうよ」

「そうだね、戦場では偵察も大事だしね」


◇◇◇


「お、お前たち! そのビール樽は廃棄したのでは無かったのか!?」

「は、はっ! ヨハン辺境伯閣下! このビール樽はフランソワ様がお使いになられると!」

「あ、あんたがヨハン閣下か! ありがとう、ありがとう!」

 ケルナーにいきなり握手され、ヨハンはただ困惑した。続いて。

「おお、これは名高きフェンリル・ベルク辺境伯閣下でございましたか! 辺境伯閣下のお力で、数多の命が救われますぞ! 全ての医師を代表して御礼申し上げる!」

 続いてリンドバークから握手を求められる。

「な、何が起こったのだ…!?」

 ヨハンはただ混乱するばかりであった。


◇◇◇


 はい、小噺終了。

 リンドバーク先生も明日の帰国便に乗るらしいのだけど、アオカビの培養と有効成分の確認をアリアで続けてくれるらしいわ。もちろん、ケルナー先生もコンスタンで研究を続けてくれるの。そのうち成分を抽出して、薬に仕立てるらしいわ。


 何が起きたのか説明していなかったけど、ドロテが見つけた「アオカビ」、どうもブドウ球菌の増殖を抑える力があるみたいなの。真・顕微鏡で比較したら一発だったわ。

 十樽仕込んだらしいビール樽のうち、八樽はブドウ球菌その他の細菌が蔓延していたけれど、最後のひと樽だけ、ブドウ球菌の繁殖が抑えられていたのよ。それどころか、ブドウ球菌を殺菌する効果まで認められたのよ。

 ちなみに最後の一樽はこの前飲んでたお酢よ。


 あとはケルナー先生とリンドバーク先生の共同作業ね。薬として完成したら連名で論文を書きましょう、と約束しあっていたわ。

 ほんと、世界にはすごい学者がいっぱいいるのね。


「さて、私も頑張らないと」

 このままケルナー先生に負けてはいられないわ。せっかくヒントをもらったのだし、油圧機構、作ってやろうじゃないの!


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