第116話 医学の巨匠たち
「ケルナー先生、楽器職人か銃職人のお知り合い、いませんか?」
医局に着いて、そのまま治療室へ入ったわ。
ケルナー先生、大抵はお暇そうなのよ。医者が忙しいのも問題だと思うけど。
「いる訳ないだろ。なんだよ、丁度来客中なんだよ」
「あら。患者様でした?」
いえ、患者ではないわね。高い知性を感じるわ。ケルナー先生より少し年上の方かしら。
「ああ、アリアからお越しくださったんだ。先生、こちらが例のフランソワです」
「おお、おお! まさかシャルロイド公爵の娘君と異国の地でご挨拶できるとは。光栄ですぞ。儂はリンドバークという、シャルルのしがない医師でしてな」
「まさか、まさかリンドバーク先生!? 世界初の比較実験で壊血病を治療された!?」
私たち、比較実験をよく行うじゃない?
世界で初めて比較実験を確立した大名医こそ、このお方、リンドバーク先生よ!
まさかお会いできるとは思わなかったわ!
「いやはや、大層なことはしておらんよ。ケルナー先生とフランソワ嬢のボツリヌス症…こちらではソーセージ病と言うのでしたな。その治療の方が世界医学史に名を残します」
「ご謙遜を、リンドバーク先生! 先生の比較実験こそ革命ですわ。第一、ソーセージ病の治療だって比較実験をしなければ解決できませんでしたわ!」
ちなみに私の感動を他所に、シオンは暇そうにしてたわ。
今度医学について徹底的に教育してやろうかしら。
「な、俺もびっくりだけどよ、ソーセージ病の件で居ても立ってもいられなくて、一昨日の第一便で来たんだってよ」
「ケルナー先生の詳細な論文を読ませて頂きましてな。ぜひ議論を交わしたく」
「論文?」
「おめぇさん…論文書いた事ねぇのか?」
「ありませんわね」
バカ野郎、とケルナー先生に呆れられたわ。私、一応性別は女なの。
「書かねぇと知見が広まらねぇだろ!」
「たしかに! あ、でも、先生。論文と言いますか、ちょっと悩んでいたんですけれど。コンスタンって識字率、低くないです?」
「低いな、確かに」
「そうなのですか?」
リンドバーク先生も興味津々だったわ。
「そうなんですよ、先生。貴族か、そこそこの富豪でもないと教育の機会がありませんでね」
「それは社会の発展に懸念がありますな。アリアですと、そうですな、大抵の子女が読み書きそろばん程度は習いますからな」
「それはどうやって?」
「私塾が主です。私としては国家事業にすべきと考えておりますが」
「国家事業ですか?」
「はい。フランソワ様も通われていた、王立イスタルシア総合学院のような専門性を求める学院ではなく、基礎学問を教える場所…そうですな、言うなら小学校を王立で設立できないかと」
「面白い発想ですわ。アリアより…コンスタンの方が効果がありそうですね」
「民間教育施設が存在しないなら、効果はてきめんでしょうな」
「今度アレクセイ殿下に上申いたしますわ。ところでケルナー先生、さっきの楽器職人か銃職人の件ですが」
「なんだよ、つづくのかよ」
「ええ、困っているんです。アレクセイから油圧クレーンの製造を指示されまして。あの人、私を体のいい配下だと思ってません?」
「あいつしつこいんだよ。俺の所にも定期的に来るぞ。『王宮医局長の座を開けている』ってさ」
「ケルナー先生、王宮医局長とはすばらしい立場ではありませんか」
「いえね、リンドバーク先生。どうも王宮というか、政治が苦手でして。医学以外の余計な仕事はまっぴらなんですよ」
「違いありませんな、私も民間で活躍する方が性に合っております」
「その通りですよ、いや今日は良い日になりそうだ!」
「あの~。とりあえず、ヒントだけでもくれません?」
「おめぇもしつこいタイプか」
「科学者たるもの、真理の追求が第一ですわ」
「ほうほう、フランソワ様は医学者ではなく科学者であると…ふむ、であればケルナー先生、治療器具の工房をご紹介されては?」
「あー、確かにそうですね。フランソワ、仕方ねぇから紹介状を書いてやる。持ってくといい」
「はーい、ありがとうございます」
ケルナー先生って本音というか素で話せるから、楽と言えば楽なのよね。
◇◇◇
「そろそろ夕方になるけど」
シオンが言ったわ。でも、今は時間が惜しいのよ。
「逆にチャンスかもしれないでしょ。お仕事終わりに一息付いてるところを狙うのよ。ほら、ギルテニアのザハリアス親方も夕方はのんびりされてたじゃない」
「俺なら早く帰って飯にしたいな。またサンドウィッチ作ってよ」
「あんなので良ければいつでも作るけど…待ってなさい、そのうちレパートリーを増やしてみせるわ! なんならシオンも手伝いなさいよ」
「美味いもんを自分で作る…いいかも」
「じゃ、今度の休みはマルゴと特訓ね。あの角笛煮なら真似できそうじゃない?」
そんな話をしているうちに、アテネアの工房地区へ入ったわ。サンチェスもこの辺りに自宅があるらしいの。
「あ、あそこじゃない?」
お店の名前は…お店の名前なのかしら。ただ一文字、『鍼』だけよ。
「鍼灸院?」
「違うでしょ、どう見ても工場よ」
中から金槌の音が聞こえるもの。
早速覗いてみたわ。奥にいるのが親方かしら。あと、お弟子さんみたいなのが何人か。そのうちの一人が手を止めて、私を見て金槌を滑らせたわ。
「いてぇ! あ、す、すんません! お、親方、親方! せ、聖女フランソワ様だ!」
もうやめない? このノリ。
さっきもケルナー先生に「バカ」って言われたばかりなのに。私、お父様にも叱られた事がないんだけど。
「ああん?」
親方が顔を上げたわ。そして。
「おめえさんがフランソワって嬢ちゃんか。ケルナーが珍しく他人を褒めてたんでな。よう知っとるわ」
「お、親方、聖女様だぜ…」
「いえ、親方の感じでお願いします。ちょっと聖女扱いに困っていたので」
「おう、そうさせてもらうぜ。で、何の用だ?」
「ケルナー先生から、推薦状をいただいたのですけど」
「ああ、いらねぇよ。新規取引は断ってるんだが、嬢ちゃんは別にしといてやる。俺はペレスってんだ。何を探してる?」
「逆流防止弁ですわ。スケッチ、お持ちしましたけど」
「おう、あれか、人工呼吸器か?」
「どうしてそれを?」
「前にケルナーに見せてもらったんだよ。試作品ならあるぞ。トマス、もってこい!」
「お、おう」
トマスというのが応対してくれた若い子みたい。倉庫から持ってきてくれたわ。
「これも嬢ちゃんの発想か?」
「い、いえ…これは一体?」
それは私が構想して、ニコラスが試作した人工呼吸器よりも一段階上のものだったわ。
真鍮の円柱に、ビー玉くらいの玉が空気孔を塞いでいるの。
「逆流防止弁をこんな構造で解決するなんて!」
考えてみたら当然だわ。蓋だとどうしても隙間ができてしまうけれど、球体にする事で隙間を塞ぎやすくなるもの。すごいのはここからよ。中央で二つに管が分かれてるの。
「なんかよ、鳥ってのは肺が二つあるんだってよ」
「肺なら…人類にも二つありますが…」
「そうじゃなくてよ、鳥ってのは空気を溜める袋があって、吸う時も吐く時も肺に空気を流してるんだってよ。それを真似しろって言われてな 」
「気嚢だわ…! 吸気と呼気の通り道を分ければ、空気を逆流させずに呼吸を補助できる…! 」
なんて人なの、ケルナー先生って!
試してみるか、と言われたから、操作させてもらったわ。
吸気を管A、排気を管Bとするわね。
注射器を押すと、管Aについた球体が持ち上がって、新鮮な空気が口元に届くの。
前回は皮袋を代用したから口元は見えなかったのだけれど、この試作品は半透明の物体になっているわ。
「それ、羊腸をニスで固めたやつです」
トマスが解説してくれたわ。これなら患者がちゃんと呼吸をしているか目視できるわね。
注射器を全部押して大気の流れが止まると、管Aの球体が元の位置に戻って密閉されたわ。今度は呼気ね。自発呼気で、今度は管Bの球体が持ち上がるの。これで排気するみたい。
で、次の吸気の補充だけれど、注射器に別の弁がついていたわ。これは平たい、鱗みたいな形よ。手で開閉するみたい。開いた状態で注射器を引くだけで新鮮な空気を補充できるの。口元からは吸われないわ。管Aの逆流防止弁が機能しているのよ。しっかり密封されているからできるのよ、これ。
「これで完成されているわ…! 申し訳ありません、ペレス親方。私の要件は解決致しましたわ。別のスケッチを、後日持って参ります」
「何を作るんだ?」
「油圧器です」
「聞いたことがあるな。ならよぉ、こいつを使ってみねぇか?」
親方がトマスさんを指さしたわ。
「い、いいんですか!? 親方!」
「暇ありゃ聖女サマ、聖女サマってうるせぇからよ、未熟モンだが嬢ちゃん、鍛えてやってくれ」
「それは心強いわ! よろしくね、トマス!」
「へ、へいっ! しっかり勤めさせていただきやす!」
こうして精密機器の取り扱いに慣れた、トマスという技術者が参加することになったのよ。




