第114話 アレクセイ皇太子の依頼
相変わらずアレクセイってばスピード重視なのよね。明日の朝一に来いって、ほんとビアンカじゃないんだから。
事前の打ち合わせなのだけど、省力化技術の相談らしいわ。こういうのはニコラスの方が得意なのよね。ところでなんでフロリーナも?
「いやなに、直感力を考えましてな」
ジャンドル大使ってば結構私たちのことを見ているのね。
確かにフロリーナの直感は凄まじいわ。全然関係なさそうなのが、彼女の頭の中では一直線、って感じなの。技術とか理屈とか理論をすっ飛ばして、最短で答えを出せるというか…。私も推論は得意な方だと思っているけれど、フロリーナのそれは次元が違うのよ。
今回案内されたのはレセプションホールではなくて、応接間の一つだったわ。アリアと違ってド派手なのよね。装飾に凝ってるの。絨毯なんか当然のようにアラベクス模様のビザンツ織よ。めちゃくちゃ高いのよね、これ。
「早速だが」
早速すぎるでしょ。まだコーヒーすら出てきてないけど。
「人手が足りない」
「もう少し分かりやすくお伝えいただけます?」
「土木工だよ」
最近はちまちま呼ばれるから、私も彼の扱いに慣れてきたわ。余計な美辞麗句とか修辞句は不要なのよね。それより直線的に話した方がいいのよ。
「港湾ですか?」
「その通りだ。なにしろ我が国はアリアと比較すると人口が少ない。その少ない人口で港湾労働に回されると、今度は農民が不足する」
「ジレンマですわね。確かに港湾クレーンだけで十数人取られるのは合理的ではありませんわ」
労働力問題はアリアでも課題になっているみたい。昨日ギリアム先輩が言ってたのよ。工場を稼働させたら当然人が足りなくて。新大陸からの移民も真剣に検討しているらしいわ。けど、労働力を効率化できるに越したことはないわね。
「フランソワ先輩、蒸気機関などの機械を導入するのは?」
フロリーナが言ったわ。
「一つの手よね。あ」
「何か思いついたのか?」
アレクセイが少し前かがみになったわ。
「石油がありましたよね?」
「確かにあるが」
「昔読んだ本に、油圧機構というものがあったような…。図書室、お借りしますわ」
「構わないが、なんだその油圧というのは」
「簡単に言うと、油の力でテコを再現する方法ですの。原理自体は古代からあるらしいですわ。それを大型クレーンに再現できればと」
「ほう、面白そうだな」
「できるかわかりませんが、ダマスカス鋼と組み合わせれば面白い構造物になるかもしれません」
「わかった、予算は用意する。なんとかしてくれ」
「そんなに湯水の如く使える資金がありまして?」
「そこだな」
「アレクセイ殿、鉱物をアリアに輸出されては? 相当の外貨を稼げますわ」
フロリーナが提案してくれたわ。
「鉄鉱石が不足気味なのよね、アリアって。あと、もし油圧機構が確立すれば、ビアンカは喜んでお金を出すと思いますわ。アリアでも労働力が不足しておりますの」
「では、金策はタレーラン外務卿に任せよう。フランソワ卿に命じる。油圧機構とやらを完成させよ」
「せいぜい善処いたしますわ」
私、あなたの配下じゃないんだけど。
◇◇◇
「フランソワ先輩、この冊子ですか?」
ドロテがパタパタと駆け寄ってきたの。フロリーナが「図書室で走ってはいけませんわ、ドロテさん」と嗜めたわ。フロリーナってドロテを随分と気に入っているわよね。私より少し下、と言うのもあるかもしれないけれど。可愛い妹、って感じよね。
「そうそう、これ! ありがとう、ドロテ」
「えへへ。この本は以前読んだことがあったので」
ドロテも私と同じタイプみたいでね。ガシガシ本を読んで、自分で試して吸収するタイプみたい。
出てきたのは古代の天才数学者、アルキメデスのハイドロニクス理論よ。当時はお水で実験したみたい。
「フランソワ先輩、どういう理屈ですの?」
フロリーナも覗き込んだわ。ちなみにハンスもいるわよ。フロリーナが補助員として連れてきたの。
連れてきたというか、連行したというか。シオンは置いてきたわよ。図書室に入った瞬間に睡魔に負けそうなんだもの、彼。
「U字のパイプがあるでしょ? 一方は細い口で、もう一方が太い口なの」
「細い口で軽い力で押し込んだら、水の量は変わらないので、太い口にある『重量物』が軽い力で持ち上がる、ってことですよね!」
「その通りよ、ドロテ。よく勉強しているわね」
「はい、もちろんです!」
「ただ、課題があってね。重量物を持ち上げる分、距離で損をするの」
「細い方が…水の断面が少ない…から…?」
「ハンスの言う通りよ。U字の細い方が直径一センチ、太い方が直径十センチだとすると、太い方を十センチ持ち上げるのに、なんと十メートル押し込む必要があるのよ」
「とても実用化のレベルでは無いですわね…」
「ね。あと、お水って金属を錆びさせる効果があるから、長期使用するには不向きらしいわ。だからアルキメデスは潤滑油代わりにもなるオリーブ油が最適、と評価しているの。ただ、港湾クレーンだと油がいくら必要なのかもわからないでしょう。それなら、余ってる上に使い道が無い石油を使えばいいかなぁって」
「お待ちください、フランソワ先輩。結局体積の問題なのですから、石油でも同じ条件、つまり長い距離を押す必要があるのでは?」
「フロリーナの言う通りよ。大気圧実験の水銀みたいに、石油だと押し込む量が減る、とかの効果があればいいんだけどね。ただ、ちょっと試してみたいことがあって」
「というと?」
「ニコラスの人工呼吸器についてる、逆流防止弁よ」
◇◇◇
「先輩、筒は作れるんですが…弁がどうしてもうまくいかなくて…」
サンチェスが困り果てていたわ。試作品は「それっぽい」のだけど、確かにうまく弁が閉まらないわね。こういうのは工芸品の領域よね。
ニコラスは時計職人の息子だし、弁やらネジやら歯車やらに詳しかったのだけど。それにギルテニアという技術都市出身という地の利もあるわけで。
「困ったわね」
「すいません…俺も勉強したいんですけど、文字が…」
そうなのよ。サンチェス、読み書きそろばんの教育を受けていないのよね。サンチェスに限らず、コンスタンの識字率はアリアより圧倒的に低いわ。アリアなら少なくとも都市部での文盲はほとんどいないもの。この辺も、アリアとコンスタンの差だと思う。
「どうしようかな」
「まずはサンチェスさんの教育ですわ、先輩。幸いにハンスがおりますし」
「それはいいけど、週末には帰国でしょ?」
「帰国後は私が担当しますわ。それに、ハンスにもいい経験になると思いますの」
「それなら、まぁ」
ハンスとサンチェスに別室を与えて教育開始ね。気長に待ちましょ。
「とにかく、技術者が必要だわ」
「それこそニコラスをお呼びになられては?」
「それも手だけれど、できれば自前で用意したいわ。コンスタンに精密なものを作れる方はいないかしら?」
「せんぱーい、ケルナー先生の道具屋さんは?」
「確かに」
ガラス品とか注射器とか、色々置いてあったわね。
「聞いてみるわ。ドロテも行く?」
「あ、わたし例のビール樽の観察をしたいので…シオンさんとお二人でどうぞ!」
「ドロテ、とても良いアイディアですわ。フランソワ先輩、どうぞお楽しみくださいませ。マルゴさんに衣装をご用意いただきますので」
「あ、うん」




