第113話 ギリアム先輩の報告事項
研究室に戻ると、分かっていたけれど死屍累々だったわ。
「あの先生。いくらネズミとはいえ、在庫には限りがありますのよ」
「ハツカネズミだろ、これ。すぐ増えるだろ」
「いえ、お墓の容積です。エラリーがすぐに怒りますの」
「その内骨だけになるから大丈夫だ」
「お庭が骨だらけになりますわ。それにしても、今度は何の抗体をお作りに?」
「おめぇさんの顕微鏡のおかげで、細菌にも色んな種類があると分かったけどよ、どうしても抗体ができねぇやつがあるんだ」
「どちらの?」
「これだ」
シャーレに受け取って、観察してみたわ。
「ブドウ球菌ですわね」
円形の細菌よ。いつも複数の房になっているから、ブドウみたい、ってことで名付けたの。
「ああ、これが人体に入ると深刻な炎症を起こすんだよ」
「肺炎でしたかしら?」
「他にも、化膿した傷を悪化させたりな。なんとかしてぇんだが」
「流行されてます?」
「いんや、執念みたいなもんだ」
「他の動物は如何でしょう。それこそ、馬とか」
「ダメだった」
流石ケルナー先生、実験済みだったわ。
「だからよ、毒性をあれこれ変えて試してみてるんだが…上手くいかないな。仕方ねぇ、今日はこのくらいにしといてやる」
時計を見たら、朝の九時を回っていたわ。そろそろ開院の時間ね。
ところで。
「死体の処理もしてくれないかしら?」
また埋めにいかなきゃならないわ。
◇◇◇
「先輩、ひとまず十個作りました」
サンチェスってば仕事が早いのよ。研究所の隣に板金用の竈を作っておいたのだけれど、上手い具合に火入れして、叩いて、伸ばして、ツバ作って、錫でメッキ。手軽で丈夫な錫メッキ鉄の完成よ。午前中には完成したわ。ふいごで補助をしてくれたドロテはぜーはー息を切らしていたけれど。
「でも、瓶詰の製造を見られるなんて、光栄です!」
「予想通りに製造できるか、分からないけどね」
圧力なべにラムシチューの瓶を入れるわ。皮袋と金属を装着した状態でね。
毎度だけれど、今回も比較実験よ。時間を変えてみたわ。最高温度の加熱で一分、三分、五分、十分、十五分、それぞれ二個ずつよ。まずはこれで試してみましょう。
加熱を終えて、ここで急速冷却なのだけれど。
「アリアから呼んだ甲斐がありましたわ!」
フロリーナがなぜか自慢気なのは、ハンス君がいるからよね。
「フロリーナ殿下、申し訳ありません、その…冷やすしか能が無くて…」
「ハンス、自信を持ちなさい。貴方はフィヨルドを救った智者なのですよ。きっと大成しますわ」
なるほど、ドロテが言っている意味が分かったわ。微妙にかみ合ってないのね、この二人。
ともかく、使える人材は使わせてもらうわ。ハンスの氷魔法で急速冷却。皮袋がきゅっ、と閉まって、パチン、と金属蓋が落ちたわ。ひっくり返してみたけれど、液漏れは無いわね。密封できたと判断していいと思うわ。
これを繰り返して、合計十個の瓶詰を作ったの。
「一週間くらい放置しましょ」
「先輩、その間は何の実験を?」
「そうね、ビール樽の観察でもしましょうか。その前にお昼にしましょ。シチューの残りがあるわよ」
ぐーすか寝ていたシオンを叩き起こして、ランチタイム。あれ?
「エラリーは?」
「そういえば?」
「確かに?」
顔を見合わせる。
「お部屋、様子見てきます!」
ドロテが向かったのだけど、すぐに帰ってきたわ。
「ふ、フロリーナ先輩! 助けて!」
何が起こったの!?
「落ち着きなさい、ドロテ。淑女たるもの、常に落ち着いていなければ…」
そういってドロテに腕を引っ張られていったフロリーナも、目がうつろな状態で帰ってきたわ。
「…私、何も見ていませんわ」
「なにが?」
◇◇◇
「は、はは…すまないね、フランソワ。挨拶が遅れちゃって」
ギリアム先輩とエラリーが食堂に現れたのは、それから何時間か経ったころだったの。ギリアム先輩らしくないわね。髪がぼさぼさだわ。エラリーもなんだかよそよそしいような…?
「何かあったんです?」
「いいや、何もないよ、神に誓って」
「はぁ」
「それより、例のものを持ってきたんだ。フランソワのスケッチを元に、ニコラスが試作したものだよ」
「早いですね、もう作ったんですか?」
「ああ、さすがニコラスというか」
ニコラスに送ったのは人工呼吸器のラフスケッチよ。口から毎回離すのが面倒なのよ。
「さすがニコラス、弁一つで解決したわ」
真鍮製のシリンダーに弁が一つ付いているのよ。
「使用方法も聞いてきたが」
「わかりますわ。押すと外気と一緒にシリンダーが開くんですね。それで吸気をする。で、呼気と共に反対側に開く。こんな理屈じゃないかしら?」
「流石だね。ただ、ニコラスは改良の余地ありと言っていたよ。密閉が甘いそうだ」
言われて、自分で試してみたわ。なるほど。
「それなりに息を吹きかけないと、弁が開きませんわ。一度ケルナー先生にも相談しようかしら」
「ケルナー先生?」
「例の棍棒細菌、ソーセージ菌とその病気を打破したお医者様ですわ。ちょっと変人ですけど」
「キミが言うのかい?」
「失敬ですわね」
「はは…相変わらずだね。元気そうでなにより。それから、いくつか報告だ」
「なんでしょう?」
「まず一つ、来春にコンスタン方面艦隊が新設される。正式には第四艦隊になるんだが、ノイエ・エーテル号の配属が決まったよ。どうもセシル殿がゴリ押ししたらしいのだけど」
「お兄様…」
私情よね、それ。
「そして僕も第四艦隊に配属された。新造フリゲートに配属される予定だよ」
えへへ、ってエラリーが相好を崩したの。こっちも私情だったわ。
「それから、セドリック研究室はニコラスとマルタに任せることにした。無事に瓶詰め工場も竣工したからね。実績は十分だと思う。新人も何人か入ったよ」
「それは楽しみですわ。セドリック先生はお元気かしら?」
「ああ、ただ、フランソワに会えないことを残念がっているよ。早く国外追放が解除されるといいんだが」
「それは難題では?」
「まぁね。政治というのは中々に曲者だよ。僕一人ではどうにもならないね。ただ、できることもあるよ。一つ、ビアンカ陛下に提案をしたんだ」
「提案を? ギリアム先輩、直訴できる立場ではないのでは?」
「塞翁が馬というかね。キミの国外追放の一件から直通ルートができたんだよ。といっても、一学生の身分だ、弁えてはいるつもりだけれど、一つ採用されたことがあってね」
「それは?」
「コンスタンとの交換留学制度だ」
「と、いうことは…?」
「ああ、ニコラスやマルタ…なんならセドリック先生を公式にコンスタンへ呼ぶことが可能になる」
「それ、素晴らしいですわ! ちょうどニコラスの技術とマルタの数学が欲しかったところなんです。マルタならケルナー先生と薬学議論もできるし」
「はは、だいぶ人材が充実してきたね。卒業生の身分だが、僕もセドリック研究室の発展を援助するつもりだよ」
「わくわくしますわ、先輩。まだまだ研究したいテーマはいくつもありますの」
「貪欲だね、でもそのくらいがキミに丁度いいか」
そんな感じで雑談に花を咲かせていたのだけれど。
「お嬢様、アキテーヌ外務卿とジャンドル大使がお呼びですわ。よろしければフロリーナ様も」
マルゴが呼びに来たわ。
「早速、留学の件かな?」
「いえ、どうも新技術の件だそうで」
「何かしら? ともかく、すぐに向かうわ」




