第107話 人工呼吸器
「どう、フロリーナ?」
明け方にコーヒーの差し入れを持っていったわ。
投与してから、しばらくはお馬さんも平然としていたのだけれど、日が変わる頃に足元がふらついて、呼吸が怪しくなったのよ。
で、ケルナー先生の指導でフロリーナが風魔法を使い始めたの。
そこから、ずっと風魔法を使い続けているの。
「苦しそうですけれど…頑張ってくれていますわ」
「フロリーナもね。魔力、大丈夫?」
「抑えていますから。ほとんど使っていないようなものですわ」
とは言いつつ、馬の呼吸に合わせて吸気と呼気を繰り返しているのよ? こんな繊細な魔力の使い方があるなんて、正直信じられないわ。
その前に、フロリーナの風魔法を自然哲理で解決できないのかしら。人工呼吸器、とでもいえばいいのかしらね。吸気はまだできそうだけれど…吹子のようなもので代用すれば。問題は呼気よね。入れるばっかりじゃ、結局呼吸が成立しないし、下手したら肺が破裂してしまうわ。
吸う…吸う。
鼻に吸気を入れて、口から呼気を促す…例えば。排気口を密閉して、一時的な真空状態にするとか。作ってみようかしら。金属製より革製の方が馴染みは良さそうよね。それなら、吸気のところも密閉して…。チューブ、そうね、チューブが欲しいわ。何か良い素材はないかしら?
こういう時、ニコラスがいてくれたらうまい具合に作ってくれそうなのだけど…。工作、得意じゃないのよね。
設計図だけでも書いてみようかしら。ケルナー先生のご意見も聞きたいわ。
「フランソワ先輩、それはなんですの?」
思いついた内容をひたすらスケッチしていたの。フロリーナが不思議そうに尋ねたわ。
「あなたの魔法を科学で再現できないかしら、と思って」
「まぁ、素敵。そうですわ、私一人では見れる限度がありますもの。まさに自然哲理ですわ。この道具ができれば、どなたでも…例えば、大切なご家族の方でも呼吸を補助できる、ということですものね」
「そっか…」
リルのお父様を思い出したわ。あの時はもう、亡くなられていたけれど…。娘のため、息子のため、ご両親のために、生命を繋ぎ止める方法を生み出せたとしたら…。
「フロリーナって、素敵な人ね」
「ふふ、フランソワ先輩。あんまり褒めると付け上がりましてよ」
「いいと思うわ、そのくらいで…。落ち着いたら、設計手伝ってもらうから」
「ええ、もちろんですわ。先輩」
やがて薄明が訪れて、日が昇ってきたわ。
私もフロリーナも、つい、うとうととしてしまったのだけれど…。
「ひひーん!」
びっくりして飛び起きたわ!
お馬さんが元気に立ち上がったの。
「おし、初回投与は成功だ!」
ケルナー先生がガッツポーズをしたわ。
「これで抗体ができたんです?」
いや、とケルナー先生が首を横に振ったわ。
「種痘…と言うべきなのかは知らないが、まだ未完成のはずだ。今日は様子を見て、明日改めて毒素を打つ」
「何日くらいかかりますの?」
「三回くらいは試しておきたい。となると、一週間くらいは必要か」
「時間がかかりますわね…。その間に、患者様が耐えます?」
「それなんだよな…」
でしたら、とフロリーナが手を上げたわ。
「昨晩のように、患者様の呼吸を私が補助して差し上げるのは?」
「嬢ちゃん、昨日も徹夜だろ。ここから何日かかるかわからねぇ。しかも患者の数は十名以上だ。一人じゃ無理だぜ」
「それなら、こんなものを考えたのですが」
さっき描いたスケッチを見せたわ。
「これは?」
「人工呼吸器ですわ。人工的に空気を送り込もうと」
「どういう構造だ?」
「鼻から吸気して、口から排気を促しますの」
「この…鼻のポンプで空気を送るのか。だが、口から吸いだす必要はないな。空気を入れさえすれば、肺の動きで勝手に排気されるはずだ」
「そうなんですの?」
「ホントに医学は素人だな…。まぁいい。それなら、吸気を口にした方がいい。そっちの方が吸いやすいはずだ」
「では、鼻の方は?」
「布で押さえときゃ良いはずだ。多少は空気が抜けるかもしれないが、許容範囲だろう。それより、どうやって作る?」
「それが、素材に悩んでいまして。なにかチューブ状のものがあればいいのですけど」
「そうだな…ソーセージ病の治療なんだ。ソーセージを使うか」
「ソーセージ…つまり、腸をチューブがわりに?」
「そうだ。ポンプ部分は注射器で代用できるんじゃねぇか? 口元は…睾丸、要するに皮袋でも使ってみるか」
「皮袋を口に密着させるんですか?」
「そうだな。ただ、自発排気をどう促すか…」
「本来なら弁を付けて、吸気と脱気を分けたいのですが」
「作れるやつがいるのか?」
「いいえ。いっそ口から離してしまおうかと」
「吸気を送り込んで、その後皮袋を口から離して、自然排気させる。その後、もう一度口元を抑えて吸気させる。ってことだな」
「そんな感じでよろしいかと」
「いけそうだな。よし、ダニエルに作らせよう」
「ダニエル?」
「嬢ちゃんが初めて来た時にいた、リルの親父さんだ。俺から伝える。娘の恨みを晴らせってな。あいつ、老舗の肉屋なんだよ」
「そうでしたの…」
「とはいえ、多少は時間が必要だ。それまでに呼吸が完全に止まったらアウト…。どうするか」
「私の風魔法を使いますわ。いいでしょう、フランソワ先輩?」
フロリーナよ。
「すごく嬉しいけれど、大丈夫? 無理してない?」
「少しは休みましたわ。それに、私もお役に立ちたいのです。私が風魔法に恵まれたのも、この時のためかもしれませんわ」
「フロリーナとかいう嬢ちゃん、とはいえ人数が多い。危険なやつだけに注力してくれ。危ないのは唇が青くなっているやつだ。酸欠の危険状態だと考えていい。それ以外のやつはギリギリ呼吸ができてるはずだ」
「承知ですのよ」
「それじゃ、しばらく頼む…。行くぞ、フランソワ」
「わかりましたわ」
◇◇◇
「ケルナー先生、家族総出で作ったぜ…! 頼む! もうこれ以上、犠牲者を出さないでくれ…!」
「任せろ、ダニエル…。あと、礼ならこの嬢ちゃんに言ってくれ。俺一人じゃどうしようも無かった」
「嬢ちゃん…!」
「フランソワと申しますわ、ダニエルさん」
「フランソワさんよ、頼む、俺の恨みを晴らしてくれ…!」
しっかりと両手を握られたわ。
まるで神に祈るように。
「ダニエルさん…。私、絶対ソーセージ病に勝ってみせますわ」
後にダニエルは回想したという。
あれが経典にある、聖女なのだろうか、と。




