第105話 ビザンティオンの缶詰
「素晴らしいですわ、先輩。王立学院より立派ですわね!」
「一応国外追放の身分なのだけれど…変な気分よね」
研究室は試薬や備品を買い足ししていて、だいぶ充実した環境になりつつあるの。少し寂しいのは私しか使う人がいない、ってことね。ニコラスとマルタがいてくれたらもっと研究が捗るのに。しばらくは一人でやるしかないけれど。
「でも、どうしてフロリーナはコンスタンに来たの?」
「決まってますわ。私、フランソワ先輩に感銘を受けて王立学院に進学いたしましたのよ。それが追放だなんて、本当に許せませんわ。異端尋問の時も突入を試みたのですけれど、アレフ殿に防がれてしまって! ああいう広い所は不利ですわね、アレフ殿って私の魔法より早く動かれるんですもの」
「ビアンカに付いていける、稀有な平民だからね…」
魔法を使えない不利を腕一本で解決してるのよ、あの人。改めてとんでもない人よね。
「なので、王立学院は退学させて頂きましたわ。ビアンカお姉さまに直訴致しましたの。分かったから大人しくしていて頂戴、なんて言われてしまいましたわ」
不思議。ビアンカの方が冷静に見えるなんて。
「そういえば、ウェンディさんは?」
「ウェンディには残って頂きましたわ。もう少し…その、学を修めるのも大事ではありませんか? さらに…いえ、少しで良いので広い視線を持っていただきたいというか…」
バカだからね、ウェンディ。
「ハンスも残っているのよね」
「そうなんです! 私、ハンスには来て欲しくて同行をお願いしたんですよ、でも、王立学院で大成すると、フェンリル・ベルクに残されたお父様とお約束されたから、と…。そこまで言われてしまえば仕方ありませんわ。なので、定期的に手紙を出すようお願い致しましたの」
「文通ですか?」
「今時に言うと、そういう事ですわ。ハンス、知恵はありますけど何分魔力が弱いので…もう少し鍛えて頂かないと困りますの」
「何がです?」
「私の傍仕えをするには、それなりの実力が必要ですから」
「はぁ」
ハンスって仕官希望だったかしら。実家のご両親を楽にさせたい、とは言っていたけれど。
ともかく、実験を開始しましょう。
「まずは缶詰の開封…なのだけど」
「どうやって開けるんです? 魔法を使いますか?」
「できれば普通に開けたいわ。これ、発想は瓶詰と同じだもの」
「そうでしたわ。『誰もが再現可能』、これが自然哲理の真髄ですものね」
「なのだけど…」
応援が必要ね。
◇◇◇
「ノミとトンカチだって」
エラリーさんよ。となると、パワーが必要だわ。
「こんなん、朝飯前よ」
バルトロメにも来てもらったわ。ガチン、と一撃。ぶしゅ、っとガスが漏れる音。
ガス?
「何か…発生しているわ」
ついでに、腐ったチーズみたいな匂いがするわね。
「お嬢、この缶詰だけどよ」
バルトロメが別の缶詰を取って、上部のふたの部分を見せてくれたわ。
「仕様じゃなくて、膨らんでるな」
「たしかに」
金属疲労っぽい状態になっているわね。となると…。
「密封後にガスが発生した…のかしら」
「フランソワ先輩、どうしてガスが?」
「恐らく、小生物か何か…論より証拠ね。見てみましょう」
真・顕微鏡で観察。やっぱり、アタリだわ。
「見て、フロリーナ。それにエラリー」
「あ、これ見たことある」
初見のフロリーナは首を傾げたけれど、エラリーは即座に反応してくれたわ。
「ええ、棍棒細菌よ。これがソーセージ病の原因…名付ければ、『ソーセージ菌』と言うことになるかしら? フロリーナ、到着したばかりで申し訳ないけれど、出かける用事ができたの。あなたはゆっくり休んで…」
「何を言いますの、先輩」
さも当然、という風にフロリーナは言ったわ。
「私も付いていきますわ」
そういう人だったわね。
◇◇◇
「ケルナー先生、原因が分かりましたわ!」
「また下着姿で…」
このやり取りは毎回なの?
「それはともかく! 原因は缶詰です!」
ちゃんと真・顕微鏡も持ってきたわよ。護衛で十名の精兵が付いてきたのは予想外だけど。ちなみにヨハン辺境伯は「歳だからの」と休憩中よ。
「…本当にお前さん、何者なんだ?」
「世紀の天才科学者であり、世界を導く聖女ですわ!」
「エラリー、フロリーナを抑えてくれる?」
「私にできると思う?」
できないと思う。
「ともかく、見てくださいませ!」
「顕微鏡か? 何も見えないだろ、こんなものじゃ…うわお!?」
「蛍石レンズの特製顕微鏡ですわ」
「ホントお嬢さん、あんた何者なんだよ! と、ともかく…。この細菌が缶詰に?」
「間違いありませんわ。私、以前『瓶詰め』を開発したのですけれど」
「なんだって? …いや、もう驚くのに疲れてきた」
失礼しちゃうわ。
「瓶詰めですわ、ケルナー先生。その時もこの棍棒…仮称ソーセージ菌が繁殖していましたの。この菌は厄介な性質を持っていますのよ。まだ仮説ですが、『空気が無いことを好む』ようでして」
「待てよ…。そういうことか! ソーセージも腸詰、要するに空気が無い状態になる!」
「確かに! その発想はありませんでしたわ。では、ソーセージ病の原因はこれで確定ですわね!」
「ち、ちょっと待て、フランソワ! 一つ疑問があるぞ。細菌が原因なら、『腹を壊す』が症状として正しいはずだ」
「…確かに」
どういうことかしら?
「そもそも神経病ってなんですの?」
「どうしてそこまで知識があるのに、基本を知らないんだよ!」
「私、医者じゃありませんもの」
はぁ、とケルナー先生が盛大にため息。
「世の中の医者は魔力の欠乏だとか呪いだとかいうが、俺の考えは違う。おそらく神経線に直接影響を与える…毒素的なものがあると考えている」
「コンスタンの王宮医局は魔力欠乏症と診断していましたわ」
「古典的、打破すべき考えだな」
「先生…もしかしてそれが原因で貴族位を?」
「勘のいい子は好きじゃ無いなぁ」
どこかで聞いたようなセリフね。
「失礼いたしました、先生。では、ソーセージ菌が毒素を出すのでは? 缶詰を開封した時、ガス漏れが起きてまして」
「缶詰、もう一つあるよ〜」
エラリーさん優秀! さすが! 天才!
「ご覧くださいませ。中のガスで缶詰が膨らんでいますの」
「これが…毒素とは限らんな、これが毒素なら、空けた瞬間に俺らもアウトだ」
「であれば、問題ないかと。先ほど私がガスを吸ってますわ」
「毒素が生成される副産物か何かか…? 分からないが、密封後に毒素が発生した証拠にはなるかもしれねぇ」
「実際、加熱したらソーセージ菌は消滅致しましたわ。実験しても?」
「いや、時間がない。俺は医者だからな。目の前の患者を救わねぇと」
「そうでしたわ。ともかく、缶詰の喫食を止めないと。コンスタン王宮より触れをお願いするつもりです」
「…頭がついてこないが、そっちは任せた。俺も伝えられる人に伝えておく」
「ありがとうございます、先生。それで、治療法ですけれど…」
「そうだな…」
そこでケルナー先生が少し考えたわ。
「アレ、試してみるか」
「アレとは?」
「牛痘だよ」
「牛痘ですか? 聞いたことはありますが、あれは天然痘の対策では?」
「動物の免疫力を使う、という概念だから天然痘以外にも効くはずだ。ほら、コレラにかかった人間は二度目にかかり辛くなる、と言うだろう?」
「そうなんですの?」
「だからなぜ基本を知らないんだ…まぁいい、発想は同じだ。病原菌と毒素の差はあるかもしれないが、毒に耐えた動物の血液が薬になる可能性がある」
「そういえば…王宮医局で一人、回復された方がいるとか」
「それ、本当にソーセージ病か?」
「確かに」
魔力欠乏症とか診断しちゃう医者ですもの。ただの腹痛だった可能性もあるわね。
「では、ソーセージ病版の牛痘を作ると」
「ああ、試してみよう」
「であれば、アリア大使館で行いましょう。ここだと場所がありませんわ」
「フランソワ先輩、その前に王宮では?」
フロリーナが言ったわ。
「そうね…では先生、明日大使館にお越しいただいても? 牛は用意しておきますわ」
「任せた」




