第104話 ビザンティオン王国の影
「やっぱり、そんな簡単じゃないわ」
エラリーはバルトロメと外出中よ。フェンリル・ベルクでの灯台修理の時もそうだったけど、エラリーとバルトロメのコンビって交渉に最適なのよね。エラリーが口八丁を述べる後ろで、二メートル近い巨漢で筋骨隆々の海男(元海賊)が腕組んで睨んでいるんだもの。大抵の人が正直に話すと思うわ。
一方で私は大使館の研究室。解剖はダメ、ってことだったけれど、体液の採取は問題ないみたいだから、何人かの唾液をいただいたの。
真・顕微鏡で観察してみたのだけど…。
私の唾液と同じ見た目だったわ。
細菌系とも思ったけれど、違うのかしら。はぁ、解剖ができれば胃の中のブツを直接観察できるのに。見たところで解決するとは限らないのだけれど。
そもそも、神経系の病気なら神経を見ないと分からないわよね。神経…神経。神経線から毒素の特定はできるのかしら? 消化器系なら何か残ると思うのだけれど…。
ああもう、解剖書くらい持ってくれば良かったわ。えっと、たしか小腸で消化されるのよね。毒素が取り込まれるとしたらここかしら? でも、リンパ腺の可能性もあるわ。となると、唾液腺から吸収される可能性も…。胃液はどうかしら。強酸性の液体を…生き残るって事よね、ソーセージ病の毒素ってやつは。瓶詰の時は酸性にすることで小生物…細菌の繁殖を抑えたわけだけれど、胃液の酸で無毒化できないのかしら?
できないから病気になっているのよね。
となると、細菌そのものが毒なのではなく…別の毒素が…?
「あの、お嬢様」
マルゴだったわ。なんだか困った顔ね。
「どうしたの、変な顔をして」
「いえその…想定外のお客様が…」
「嫌な予感がするわ。多分当たるのよ、私の予感って」
◇◇◇
「フランソワ先輩!」
はい、抱きつかれました。
誰って、私を『先輩』と呼ぶ人なんて世界に一人しかいないのよ、今のところ。
「なんで…?」
誰って、フィヨルド王国のフロリーナ姫様ですよ、姫様。いえね、予感がしてなかった訳じゃないのよ。彼女、強情と言うか一直線というか、決めたらそのまま突撃してくるじゃない。国外追放された私を放っては置かないわよね…とは思ったのだけれど…。
本当にコンスタン王国に来るのは想定外なのよ。
「フロリーナ殿下、まずは落ち着かれい」
むしろこちらの方のほうが想定外ですけどね?
「なんで?」
ヨハン辺境伯ですわ。いやホントなんで、どうして、訳が分からないのだけど。
「あー、なんというか」
セシルお兄様がぽりぽり、と頭を掻いたわ。お兄様、困った時とか気まずい時に頭を掻く癖があるのよね。
「護衛…らしい」
「お兄様が護衛なのでは?」
「俺もそうしたかった! なのにあの暴走皇王ときたら! アンタは別の仕事があるでしょ。なんて言いやがって! だから氷壁重装歩兵団の精鋭を寄越すとかぬかしやがった!」
仮にもビアンカ皇王に暴言を吐けるのはセシルお兄様くらいだと思うわ。世界広しと言えども。
「と、言うわけだ。なに、儂も暇を持てあましておったからな。氷壁重装歩兵団の精兵五十を連れてきたぞ。護衛は任せい」
「あ、あの…ありがとうございます。あと、フロリーナ?」
「はっ…申し訳ありませんわ、フランソワ先輩。あまりにもお懐かしくて、つい…」
ようやく私から離れてくれたわ。
一体私とフロリーナ、どっちが王女様なのかしら? そもそも、ひと月くらいしか離れてないと思うのだけれど。
とりあえず。
「お茶でもします? こちらだとコーヒーですけど」
「ええ、もちろん! 是非とも!」
◇◇◇
「さっき着岸していた大型船ってフロリーナか~!」
エラリーとバルトロメが戻ってきたわ。コーヒーも五十人分となると結構な数よね。マルゴがずっとバタバタしているわ。流石に一人だと大変だから、私とエラリーも手伝ったのだけれど。
「そんな、先輩に準備をさせるなんて!」
そう言ってフロリーナも手伝ってくれたわ。
…王女よね、この子。(ちなみに私より年上よ、前も言った気がするけど)
「ヨハン辺境伯、以前お会いした方ばかりの気がするのですが」
シオンが兵士の一人に肩を叩かれてたわ。アリアへの船で仲良くなったのよね。
「良く気付かれた、フランソワ殿。フェニ海岸で死闘を共にした生き残り五十名よ」
精兵過ぎるでしょ。この五十名でコンスタン王宮を陥落させかねないわ。
「二カ月ほど船でご一緒してましたし。でも、フィヨルド国王陛下の護衛が浅くなるのでは?」
「なに、向こうにはクリストフとガストンがおるからな。儂がいなくても十分じゃろ。それに、フロリーナ殿下の面倒は、ちょいとあの二人にはな…」
「お察ししますわ」
これ以上はツッコまないわよ。
◇◇◇
さて、着席。私のテーブルにはフロリーナの他にエラリー、セシルお兄様、バルトロメ、それにシオンとヨハン辺境伯よ。
絵面が凄いわね。
「とりあえず、ここ二、三ヶ月でアテネアに入ってきたものを取り寄せたんだけど」
挨拶もそこそこに、エラリーが麻袋をテーブルに広げたわ。
「そもそも、コンスタン王国って食料生産が不安定みたい」
「良く調べたな」
セシルお兄様が目を丸くしたわ。
「ご存知でしたの?」
「そりゃ、国交を結ぶ前の事前調査は俺が担当していたし」
「ついでにですけど、国王陛下が出てこられない理由もご存じです?」
「健康問題…とは聞いたことがある。以前、一度だけお会いしたことがあるが」
「それです。かなりの高齢らしいですね。政治は実質、アレクセイ皇太子が動かしているみたいですよ」
「だから出てこないのね」
「出てこない、というより出られない、が正解じゃないかな。あんまり長くなさそうだよ。とりあえず本題に戻すけれど、コンスタン王国の主要産業はアテネアの漁業、ただこれは例外的で、内陸部は山羊の放牧と豆類や雑穀の栽培、あと若干の林業、これで成り立っているみたい」
「そういえば…ビアンカが『燃える水』、つまり石油が出ると言っていたけれど」
「使い道に困っている、が正確な所みたいだよ。鉱物は確かに色々あるみたいだね。良質な鉄鉱石を産出するみたい。ダマスカス鋼、と言うらしいのだけれど、柔らかくて丈夫な鉄なんだって」
ほう、とヨハン辺境伯が頷いたわ。
「我ら氷壁重装歩兵団の鉄鋼も特殊なものを使用しておるが…一度見てみたいものだ」
「特殊?」
「通常の鉄鋼に、いくつかの金属を混ぜておるのだ。主に配合するのはモリブデンという、フェンリル・ベルクでよく産出される金属でな。これを配合すると硬く、折れ辛く、極寒でも耐えうる特殊な金属になるのだ。モリブデン鋼と言うのだが」
「そういえば…普通の鉄は低温下で割れやすくなると聞いたことがありますわ」
「その通り、流石はフランソワ殿だ」
「その、ダマスカス鋼もモリブデン鋼みたいな鉱物なのかしら?」
「そこまでは分からなかったなぁ…そもそも、モリブデンって初めて聞いたし」
「ぜひ調査したいわね」
「そうだね、その内。それで、穀物は殆ど隣国のグレキア王国に頼っている状態みたい。何が当たるか分からなかったから、輸入品を一通り仕入れてきたのだけど…」
これが麻袋に入っている訳ね。
えっと、小麦、米類、肉類、チーズ、果物類、野菜類、それから…。
「なにこれ?」
最後に出てきたのは、奇妙な円形の金属だったわ。
「えっと…『缶詰』って言うらしいよ。瓶詰みたいなネーミングだよね?」
「缶詰?」
「スープとかお肉を缶で保存しているんだって。最近、ビザンティオン王国でできたらしいわ」
「へぇ…瓶詰とほぼ一緒ね」
「待たれい、フランソワ殿」
ヨハン辺境伯が缶詰を手に取ったわ。
「ビザンティオン王国に、缶詰などという発明品は無かったはずだ。少なくとも、ガストーネが反乱を起こした時には」
「どういうことです?」
「もしかして…下賜した瓶詰を参考に?」
フロリーナの言う通り、私たち、残っていた瓶詰をフェンリル・ベルクに置いてきたのよね。『下賜品』として。
「それを、どうしてビザンティオン王国が?」
「確証のある情報ではないが、ガストーネはビザンティオン王国と密約を交わしていた可能性が高くてな。そもそも、ガストーネ領はビザンティオン王国と国境を接する、東の防波堤として機能していたのだ。その領主が、何カ月も領地を後にして反乱を指導する…通常であれば考えられぬ」
「つまり…?」
「相互不可侵の密約があった、と考えていますわ、先輩」
フロリーナが補足してくれたわ。
「その時に、私たちの瓶詰がビザンティオン王国へ持ち運ばれた、と言う事ですか?」
「あくまで、可能性だがな」
「となると…」
これ、一番怪しいわ。
「エラリー、これって何味なのかしら?」
「少なくとも、酸っぱくは無いと思うよ。お肉の塊が入ってる、カレーソースがベースみたい」
「ヨハン辺境伯、少し席を外させて頂いても?」
「無論、主宰はフランソワ殿であるからな」
「先輩、私もお手伝いいたしますわ」
「そうね、フロリーナ。ついでに、私たちの新しい研究所も案内するわ」




