第98話 アレクセイ皇太子
アテネア王宮は港から一番離れた、小高い丘の上にあったわ。海から見えたドーム状の建物が王宮だったみたい。
シャルルが白亜の尖塔を特徴としたゴシック調の建物だとしたら、アテネアは中央の大きなドームが特徴ね。城壁は煉瓦を積み上げたものだったわ。
アリアって実は城壁の概念が弱いのよね。起伏のある地形をフル活用して、不足の部分を石垣で補強している感じなのだけれど、アテネアも発想は同じみたい。周囲を山に囲まれているから、わざわざぐるっと一周、城壁で囲む必要が無いのでしょうね。
今度ギリアム先輩にも見て欲しいわ。色々教えてくれそう。
「お待ちしていました、フランソワ様」
城門には見知った方がいたわ。アルプミティ外務卿よ。下馬して、挨拶を受ける。
「これより、コンスタン王国のアレクセイ・ゲオグリス・コンスタン皇太子殿下とご対面頂きます」
アルプミティ外務卿の案内で王宮へ。同行者はセシルお兄様とエラリーだけにしたわ。シオンもマルゴも平民だからね、粗相と思われると厄介だし。
「今日は着任の挨拶だけになる予定です。レセプションは後日」
「承知いたしましたわ」
謁見の間へ。思わず見惚れちゃった。果てがないように感じるくらいにドームの頂点が遠いの。それに周囲にはステンドグラス。光の取り方も特徴的でね、大広間なのに暗さがまるでないのよ。大理石の壁と、所々の金銀の装飾でうまく反射させているのかしら?
「お気に召したかな、異国の令嬢殿」
玉座には若い男が一人。髪は茶髪で肩まで下ろしている、自信満々という風貌の男よ。年は私より少し上…ビアンカと同じか、もう少し上かしら?
「アリア皇国より参りました、フランソワ・アリエル・ド・シャルロイドと申します。アレクセイ・ゲオグリス・コンスタン皇太子殿下に拝謁の栄誉を賜ったこと、深く感謝申し上げますわ」
そこでアレクセイ皇太子がにやり、と口角を上げたの。
「ウェンシュオ・ジュンツァイ・リィシュェ・シェン、ヨゥシュェン・ヂェリィ・ダイ・カイジン」
「ルゥショゥ・ガォピン・シェ・シェンエン、ウェイチュ・ヂィウェイ・バォ・タグゥォ」
古代ロスタリア語で即座に返すと、アレクセイ皇太子がやや驚いたように瞬きをしたわ。そして。
「チィユィ・ジュンノン・ジィェ・グゥツゥ、アンイィ・メイマォ・シィ・シュゥチィ」
失礼しちゃうわね。
「タンシャォ・ウードゥアン・ムォ・シンヂェン、ブゥチィゥ・フゥシィ・ブゥチェ・メイ」
「ふふ…ははは! これは愉快だ、フランソワ殿! なに、あまりにもうら若き少女であったものだから、ビアンカ皇王の差配に不安を覚えたまで。失礼をした、改めて自己紹介をさせて頂こう。我こそコンスタン王国皇太子、アレクセイ・ゲオグリス・コンスタンである。フランソワ殿の自然哲理の技、どうか我が国の発展に役立てていただきたい」
「失礼ですが、アレクセイ皇太子殿下。自然哲理は技ではなく哲学であり、思考法でございますの。数多の発見と発明はその結果として生じるものにございます」
「強気な女子は嫌いではないぞ。重ねての非礼を詫びよう。貴殿の知恵と哲学をぜひ広めてほしいものだ。後日改めて場を用意する故、その知見を披露頂きたいものだ。さ、今日はゆるりと休まれると良い」
「アレクセイ皇太子殿下のご高配に感謝するばかりにございますわ」
「あいつ、初対面から失礼じゃないか?」
セシルお兄様が早速憤慨していたわ。そもそも一言も話していないのよね…お兄様。普通同行者も名乗りの栄誉を与えられるものなのだけれど。コンスタン王国では風習が違うのかしら?
「ね、フランソワ。あの人なんて言ってたの?」
「エラリー、今からカスパー先生の特別古文講座にご招待した方がいい?」
私でも午睡に抗えない、ある意味最強の教師よね、カスパー先生って。
「やだ」
「ヤダじゃないでしょ。第一、ロスタリア古語は必修だったじゃない」
「試験が終わったら忘れることにしているの♪」
「まったく…」
折角だし翻訳しておくわ。こんなやり取りだったのよ。
皇太子「貴殿の自然哲理学は極めて深いと聞き及んでいる。その幽玄なる真理を語り合える日を、襟を正して楽しみに待っているぞ」
私「過分なお褒めを預かり光栄です。この微力な身は、ただ貴国の発展に尽くすためにあるのですから」
皇太子「ほう、古語を解せるとは奇遇だな。その美貌は、中身のなさを隠すまやかしではないかと案じていたのだが」
私「ご冗談を、根拠のない話を真になさいますな。私はこの世の『美』などという、不確かなものは求めておりませんの」
って感じね。
「めっちゃ失礼じゃん!」
「だからお兄様が憤慨してるのよ」
「まったくだ! やっぱり愚都セレスティア占領に向かったほうが!」
「まだ言ってらっしゃるの…ところでアルプミティ卿、皇太子殿下はいつもあんな感じなんですか?」
「いや、自信に満ちている感じはいつもの事だけれど、いきなりロスタリア古語で話しかけるのは初めて見たね」
「でしたら、第一試験は合格、と言う事でしょうか?」
「恐らくね…ともかく、領事館に向かおうか。長旅で疲れただろう」
領事館は海沿いの高台に用意されていたわ。そこでもお出迎えがあったの。
「お待ちしておりました、フランソワ様。私アーネスト・ジャンドルと申します。此度、コンスタン王国駐在大使という大命を仰せ仕り、先に着任しておりました」
アーネスト卿は口髭がおしゃれな中年の方だったわ。隣に控えているのは奥様かしら。
「はじめまして、フランソワ・アリエル・ド・シャルロイドです。着任ご苦労様でした」
「早速ですが、領事館をご案内したく」
「お願いいたします」
領事『館』となっているけれど、実際はちょっとした砦くらいの大きさがあるわ。建物だけで複数あるもの。一つが公邸で、領事館機能と領事のお屋敷扱いになるみたい。アリア訛りが所々で聞こえるから、他にも現地着任勢がいるんでしょうね。
「こちらが自然哲理研究室となります」
普通に大きいわね? 一棟まるまるとは想定していなかったわ。
「1階が研究室と食堂に。2階が寝室となっております」
2階に案内頂いたわ。
「一番奥の広い部屋をフランソワ特命外務担当官の居室と考えておりますが」
「異存ありませんわ。他の方は?」
「少し手狭ですが、個室をご用意いたしました」
最高かしら。
「ひとまず、旅装をお解きごゆるりとお休みくださいませ。私は公務がございますので」
「マルゴ、あなたはどこにするの?」
「一番近い部屋を頂戴しました。その方が都合が良いので」
ん、と答える。
…私、名目上は国外追放なのよね? なんだか学院よりも部屋が広いのだけど。
まぁいっか。
研究室も確認。実験器具はぜーんぶ新品だわ。いくら使ったのかしら、ビアンカってば。試薬類が少し不足しているから、後で買い増ししましょうか。
ところで。
「…何から手をつければいいのかしら?」
「さて?」
マルゴも首を傾げたわ。




