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夜も明けきらぬ時間。
そろそろ屋敷を出ようとしている上条の部屋に、訪問者が現れた。
戸を開ければ、そこにいたのはシエロ。思わず触れそうになった手をぐっとこらえ、上条は平静を装い話しかけた。
「このような時間に、どうされました?」
「ちょっと、話がしたくて。――入ってもいいかしら?」
「では――少しでしたら」
向かい合わせで腰を下ろすと、シエロはやわらかな笑みを浮かべ、話を始めた。
「箱を――処理するんですってね。私が運べば安全なのに、あなたたちだけで行かせるなんて」
「悪いですが、それはさせませんよ。アナタにさせたとあっては、あの時と同じですからね」
「本当、あなたは心配症ね」
「当たり前です。私を誰だとお思いですか?」
「口調も相変わらず。本当に――あれから幾千と時間が経っているなんて、実感がわかない」
「それはそうでしょう。アナタはずっと、封じられていたのですから」
コンッ、コンッと、戸を叩く音がする。
返事をすれば、木葉が戸を開け、そろそろお時間ですと告げた。
「わかりました。私もすぐに行きますので、先に外で待っていて下さい」
軽く頭を下げると、木葉は部屋をあとにした。
しーんと静まりかえった部屋。そこでシエロはぽつり、
「名前を――呼んで」
と、上条に微笑んだ。
「それから――できれば、あなたに触れたい」
普段であれば、絶対に彼女から言わないようなことを言われ、上条は目を丸くしていた。
「名前は、いいですけど――触れてしまうのは」
自分が傷付くのはいいが、彼女が傷付いてしまうことはしたくない。
戸惑っていれば、シエロは大丈夫だからと言い、距離を縮める。
「レンがね、今なら少しだけ――触れられるからって」
そう言い、シエロの片手が上条の頬に触れる。思わず後退するも、触れた彼女の手も、自分自身も傷付いていないことに、今度は上条の方から、シエロに触れてみた。
「――――痛くは、ないのですか?」
そっと、シエロの手に触れる。
大丈夫だと言う言葉に、上条は手を離し、今度は頬に触れてみた。
「私のことは――分りますか?」
「もちろん。まだ――忘れることはしないわ」
「どうして――」
「主な呪いが抜けたのと、木葉さんのおかげだと思うわ。それと――やっぱり、あなたが始祖なのも関係してるみたい」
「一体どんな仕組みが」
「そんなこと、今はいいでしょ? せっかく触れられるのだから――あなたを感じたい」
きつく、背中に手を回す。最初は驚いていたものの、上条も同じように、シエロの背中に手をまわした。
「よう、やく――。アナタに、触れることが出来た」
「――何か、忘れてませんか?」
腕を緩め、顔を見合わせる。するとシエロは、名前ですよ、と言い笑みを見せた。
「呼んで下さい。それが、今一番の願いです」
「では――アナタも、呼んでいただけますか?」
「当たり前です。ようやく会えた。ようやく――リヒトに触れられた」
とても嬉しそうに、明るい声でシエロは言った。
「私も同じです。こうして再び――シエロに触れることを、何度も夢見ていました」
愛おしそうに、ゆっくと、上条は口にした。
こんな些細なことも、二人には容易ではなかった。
触れること。
名前を呼び合うこと。
どれが互いを傷付ける要因になるか、その時で違っていたのだから。
「今触れることが出来るのあれば――これも、許されるのでしょうか?」
上条の指が、シエロの唇に触れる。
戸惑いながらも、シエロはおそらく……と、俯いて答えた。
「顔を見せて下さい。――再びきたこの瞬間を、逃すわけないでしょう?」
顎を持たれ、上を向かされるシエロ。その視線の先には、やわらかく、けれども妖艶な雰囲気の上条がいた。
「やっぱりその瞳は――綺麗です」
「シエロだけですよ。私を恐れず、そのような言葉をくれるのは――」
どちらからともなく、互いに距離を縮めていく。
そして――ゆっくり、触れるだけの口付けが落とされた。
ほんの数秒。けれどそれは、二人にとって、今まで会うことの出来なかった時間を埋めるほどのものだった。
「では――行って来ますね」
屋敷の入口まで行き、シエロは三人を見送った。
三人の気配が消えると、シエロは自分の部屋に戻った。途端、崩れるようにその場に膝を付いた。両手で顔を覆い、目から溢れ出る涙を拭っていた。
これは、体に異常が起きたわけではない。ましてや、彼等が無事に戻ってほしいという願いや不安からではない。これから自分が行うこと。上条に向けての――懺悔の涙を流していた。




