1 勉強会
「ですから二次関数のこの問題の解き方は……」
そして今、私はこの女から勉強を教えてもらっている。どうやら私の数学能力は中学生レベルのようだ。基礎がどこまでできてるか、この女の問いかけに答え続けた結果そういうことになった。
「あの……聞いてますか? さっきから手が止まってますが」
自分では高校1年くらいのレベルはあるつもりだったからそれには少しショックを受けた。てか、よくこの学校に入れたもんだ。
「向井さん? 起きてます? あ、少し疲れましたね。そういえば1時間以上勉強しっぱなしでした。日もだいぶ傾いてきましたし、今日はここまでにしましょう」
確かに集中力が落ちてきている。無駄なことを考え始めている自分がいる。ようやくこの勉強会から解放されることに少し安堵する。
「向井さん? ……あの、大丈夫ですか?」
気を抜き、そしてなんでこんなことになったのか思い浮かべてみる。
昨日の蔑んだこの女の顔を思いだす。私を見下しバカにしきったその笑み。おおかた『バカな私を笑うためにマウントでも取りに来たのだろう』としか思えなかった。学年トップに底辺の気持ちなんかわかるはずもないのだから。
はいはい。どうせ私は勉強もできないクズだよ。ただ、普段なら流すくらいはできただろうが、そのときの私の精神は少し不安定だったから……
「あんた私をバカにしにきたの? さすがの私でもそんな風に見下されたら……」
「見下すわけないじゃないですか」
ケンカ腰になった私の言葉に被せるようにこの女、草刈七海は言った。顔はというと、先ほどの見下した笑みは消えている。まるで感情がなく蝋人形のように無表情だった。
「クラス委員として私は脱落者を出したくありません。そうですね、これから放課後に勉強会をやりましょう。 来週の再試験までは少なくとも、向井さんはしっかりと勉強と向き合う時間が必要です」
赤点後の再試験。ルールでは受かるまでは永遠に再試験のループ。だがここに落とし穴がある。進学校でもあるこの学校は赤点二回目には親が呼び出され、退学や他校への編入を促されるともっぱらの噂だ。
「 ……そうね。あなたの提案のとおり勉強を教えてほしい」
膝の上においた震える手で拳を握りしめる。
まだ学校をやめるわけにはいかない。この女に見下されたりバカにされたりしてても構わない。どうせ笑われるならこっちもこいつを利用するまでだ……。たた、こいつが私を陥れてようとしてる可能性も捨てきれない。
そして今に至っている。私は無表情なこの女を見た。すると彼女はこう言った。
「今日はここまでです。ところで向井さんの好きなことってなんですか? あ、その前に、存じていただいてるとは思いますが、私は草刈七海です。『草を刈る』で『くさか』、『七つの海』で『なみ』です。『くさかり』さんとか『ななみさん』とか、よく間違われやすいのでお気をつけください」
少しだけ照れたように七海は視線を下げ、髪をいじる。
「私は主に勉強ばかりやってきました。なので、あんまり自分の好きなことは勉強以外はよくわからず……でも、強いて言えばクラゲは好きです」
……は? いきなり何、ここで自己紹介?で、私はというと
「私は……向井ヒナ、井戸に向かうで向井……です。ヒナはカタカナ。あと好きなことなら、ゲームとか好きかな」
思わず自己紹介を返してしまう。彼女とは遥かに少ない文字数で。コレも語彙力の違いなのか……。
「向井さんのことは存じ上げてます。ゲーム、好きなんですね。よいことだと思います。私も少し興味あります」
無表情で七海が返す。
興味? 成績優秀な七海がゲームに興味があるとも思えない。ただ私に合わせただけだろう。
「てか何で今更自己紹介?」
当然の疑問を返す。
彼女はうなずきながら
「はい、私はクラスの皆様の名前は一通り記憶してますが、向井さんがどのような方なのかは把握しておらず、私のこともあまり存じてなかろうかと思いました。ですからここで改めてご挨拶させていただきました」
てかマジメか! お見合いか! なんなのよ、こいつは。見下してきたと思ったら急に真面目になったり。勉強もからかったり馬鹿にしたりしてくるのかと思ってたらわかりやすく教えてくれてるし……。
確かに草刈七海については正直、物静かで真面目な女くらいにしか思っていなかった。割と積極的にクラスの仕事をしている姿を見ていたから悪い印象はない。昨日までは……。
「私のこと、どのように思われてますか?」
七海が口を開く。が、私はそんな大した感想は持ちあわせてない……昨日のあの顔はなかなかのインパクトだったけど。
「真面目で、先生からは信頼されてて、成績優秀」
当たり障りのないことを答えていく。
「そうなのです。いい方に捉えるとそうかもしれませんが……」
口にしにくいことなのか、下を向き指で髪をいじっている。そして意を決したようにこっちを向いて
「クラスの中での私の評価はどうなのでしょうか? 真面目、成績優秀、それだけではなく向井さんや皆様からどんな風に思われてるかを知りたいのです」
「……あんたねえ。よくそんな答えにくいこと平気できいてくるねぇ」
言葉に詰まる。
「やっぱり言いにくいことなんですね」
完全に墓穴を掘ったみたい。
「……ああもう。何を考えてるかわからない。能面。機械みたいに冷たい受け答え。ぼっち。だいたいそんな感じだよ」
なんとなく耳にした陰口を答えただけだが告げ口をしてるみたいでバツが悪い。
「……ありがとうございます。言いにくいこと教えてくれて。やはりそうなんですね。私、人の気持ちが……いえ、自分自身の気持ちもですね。よくわからないのです。表情を作るのは苦手ですし親しい友人もいませんから能面やぼっちは自覚しています。仕方ありません。でも、機械みたいは心外です。私なりに少し傷いたようです。やはりこれでも私は人間なので」
『これでも人間なので』のフレーズに少し笑いそうになるのをこらえる。表情にはでないが声音はいままでと比べると少しだけ怒っているような悲しんでいるような、少し力が入り揺らいでいる感じがした。
「コホン、いっとくけど、別にこれ私の感想じゃないからね。これでも、接点のない人にそんな悪態つくような女じゃないから。」
ごまかすせき払い。今までろくに会話をしたこともない相手なのだ。そもそも感想など持ちようがない。
「あ、すみません。教えてくださいと頼んでおきながら、教えてくださった相手を攻めてはいけませんよね。気分を害したのでしたら申し訳ありません」
彼女は少し頭を下げた。私は
「ううん。私は全然。てか、他人の言うことなんてあんまり気にしない方がいいよ」
と、差し障りのないようなことを伝える。
彼女は顎に手をやり少し悩むような素振りを見せてから
「私も今まではそう思っていたのです。他人の言うことなんて関係ないと。でもそれではいけないとも思っている自分がいます。このまま誰とも関わりあいなく高校生活を終え、大学に入ったとしても結局ぼっち。就職し、職場でも誰にも馴染めず、孤独なままで一生を終えるのではないかという懸念があるのです」
そんなに未来のことまで考えてない私は彼女の考えがよくわからない。それに孤独でぼっちでも自分がやりたいことできればいいんじゃないかとも思ってしまう。
彼女は時計を見て
「あ、そろそろ下校の時刻ですね。明日も勉強会を開いてもいいでしょうか」
いいながら片付けを始める。
うちの学校は特に用事がなければ18時までに校舎から出なければならない。もちろん部活動や委員会活動など理由があれば免除される。
勉強に関してはこちらは願ってもない。まだ中学の基礎レベルとはいえど彼女の教え方はすごくわかりやすかった。つまづいた小石を一つ一つどけてくれるように。
「私は助かるからまたお願いしたいな。今日は本当にありがとう。なんか少し勉強が楽しかった気がする」
利用しようかと思っていたけど、今伝えたのは本当の気持ち。ただ、後ろめたい気持ちもあり改めてお礼を伝えるのはなんだか照れくさい。私は斜め下を向いていた。
「それなら良かったです。あの、向井さんがよろしければ連絡先を交換してください……その……わからないこととかあったら相談に、乗れるよう……」
照れたような七海はスマホを出しながら少し早口に喋った。
「いいよ。私もわかんないことあったら聞けるし」
「ありがとうございます!」
いやいや、お礼を言いたいのはこっちなんだが……しかし表情が少し柔らかく見えたのは気のせいか。
スマホを取り出し電話番号やメッセージアプリのIDを交換する。
「私、両親や業者さん以外の連絡先は初めてです」
それ、事実なら口に出して悲しくならないの? そう言いたくなったけど、彼女はなんだかやけに嬉しそうだ。そしてその顔に……。
「ところで先ほどの『くさかりななみ』は私なりのユーモアな挨拶のつもりだったのですがいかがでしたか? 」
なにいきなり? あれ、普通にそうなんだー、くらいに聞き流したけどもしかしてこの子なりのジョークだったの?
「あはははは」
急におかしくなって笑いが止まらなくなる。たぶんこの子はただ天然なだけなのだ。少しコミュニケーション能力が足りないだけのいい子……。
「何かおかしなことがありましたか?」
困惑した声のその無表情な七海の顔がもっとおかしくて、私はお腹を抱えて笑い続けた。
そのあとやってきた見回りの先生に馬鹿笑いしていた私だけがめっちゃ怒られた。




