第二話 十四歳の春
雪解けの季節だった。
ルミナスの街を覆っていた白が消え、石畳の隙間から小さな花が咲き始める。
時計店の窓を開けると、柔らかな風がカーテンを揺らした。
「……あったか」
リュミエールは目を細める。
二年。
アシュレイと再会してから、二年が経っていた。
十四歳。
身長も伸びた。
髪も長くなった。
幼かった輪郭も、少しだけ大人びてきた。
けれどアシュレイは、相変わらずだった。
「朝飯冷めるぞ」
店の奥から聞こえる低い声。
無愛想で。
優しくて。
距離感が絶妙にずるい。
「今行くー」
階段を降りる。
すると、朝食を並べていたアシュレイが一瞬だけ動きを止めた。
ほんの一瞬。
けれどリュミエールは見逃さなかった。
最近、彼は時々こういう顔をする。
まるで“見慣れなくなってきた”みたいな顔。
「なに?」
「……いや」
アシュレイは視線を逸らした。
「髪、伸びたな」
「それだけ?」
「それだけだ」
嘘だ。
リュミエールは少しだけ笑う。
二年前まで、アシュレイはもっと平気そうだった。
完全に“子供”として扱えていたから。
でも今は違う。
十四歳になったリュミエールは、少しずつ前世の面影を持ち始めていた。
笑い方。
目元。
ふとした仕草。
前世で十八歳だった頃の彼女に、少しずつ近づいていく。
そのたびアシュレイは困った顔をする。
「今日、学校は?」
「午前だけ」
「帰り遅くなるなよ」
「子供扱い」
「子供だろ」
即答だった。
リュミエールは唇を尖らせる。
「前世では私の方が大人っぽいって言ってたのに」
アシュレイがむせた。
「……お前な」
耳が少し赤い。
リュミエールは吹き出しそうになる。
最近、こうして彼を困らせるのが少し楽しい。
前世では余裕なんてなかった。
いつ死ぬかわからない毎日だったから。
でも今は違う。
平和で、穏やかで、明日がある。
だから少しずつ、“恋をする時間”が流れていた。
学校帰り。
リュミエールは石畳を歩きながら、小さく息を吐いた。
「……疲れた」
十四歳の身体は、まだ少し不安定だ。
心だけが大人だから、時々うまく噛み合わなくなる。
前世では出来たことが、今は出来ない。
その違和感は今でも残っていた。
時計店へ戻ると、店内に女性客がいた。
長い赤髪。
細い指。
上品なコート。
二十代後半くらいだろうか。
美人だった。
「アシュレイ、これ修理お願い」
「三日後に来い」
自然な会話。
慣れている感じ。
リュミエールの胸が、ちくりと痛んだ。
女性はリュミエールに気づくと、にこりと笑った。
「妹さん?」
「違う」
アシュレイが即答する。
リュミエールはなぜか少し傷ついた。
「じゃあ娘?」
「違う」
「……親戚?」
アシュレイが答えに詰まる。
その沈黙が嫌だった。
どこにも属せないみたいで。
すると女性がくすっと笑った。
「大事な子なのね」
アシュレイは黙ったままだった。
でも否定しない。
それだけで胸が熱くなる。
女性が帰ったあと。
リュミエールはむすっとしたまま店番を手伝っていた。
アシュレイがちらりと見る。
「なんだその顔」
「別に」
「嘘つけ」
「……綺麗な人だったね」
アシュレイが止まる。
数秒沈黙してから、呆れたように笑った。
「嫉妬か?」
リュミエールの顔が熱くなる。
「ち、違っ……」
「わかりやすいな」
悔しい。
前世ではもっと大人だったのに。
十四歳の身体は感情まで素直にしてしまう。
アシュレイは小さくため息をつく。
それから、ぽんと彼女の頭を撫でた。
「安心しろ」
低い声。
優しい声。
「俺はお前以外を好きになる気ない」
リュミエールの心臓が止まりそうになる。
「……っ」
アシュレイは言ってから、自分でしまったという顔をした。
「……忘れろ」
「無理」
「無理じゃない」
「無理!」
二人とも黙る。
店の時計だけが、静かに時を刻んでいた。
その夜。
リュミエールはなかなか眠れなかった。
胸がうるさい。
嬉しかった。
でも苦しかった。
アシュレイは待つと言った。
大人になるまで。
けれど十四歳になった今、彼の理性も少しずつ揺らぎ始めている。
リュミエールにはわかる。
視線。
距離。
触れ方。
少しずつ変わっている。
コンコン。
部屋の扉が鳴った。
「……起きてるか」
アシュレイの声。
リュミエールが扉を開けると、彼は困った顔で立っていた。
「なんか飲むか」
「眠れないの?」
アシュレイは少し黙った。
「……お互い様だな」
夜のキッチン。
ランプの灯りだけ。
二人並んでホットミルクを飲む。
静かな時間。
「ねえ」
「ん?」
「あと何年?」
アシュレイが眉を寄せる。
「何が」
「待つの」
沈黙。
アシュレイはカップを見つめたまま、小さく笑う。
「長いな」
「私は平気」
「俺が平気じゃない」
リュミエールの鼓動が速くなる。
アシュレイは苦しそうに息を吐いた。
「……最近、お前が前世の頃に見える時がある」
その声は静かだった。
「笑う時とか」
彼は視線を逸らす。
「すげえ困る」
リュミエールは胸が熱くなる。
嬉しい。
彼の中でも、自分はちゃんと繋がっている。
「でも」
アシュレイが低く続ける。
「まだ駄目だ」
その言葉には、強い理性があった。
「俺は、お前がちゃんと大人になって、自分で選べる歳になるまで待つ」
リュミエールは彼を見つめる。
この人はずるい。
こんなふうに真っ直ぐ愛されて、好きにならない方が無理だ。
「……じゃあ」
彼女は少し背伸びをして笑った。
「早く大人にならなきゃ」
その瞬間。
アシュレイの表情が止まる。
十四歳になった彼女は、時々ひどく危うい。
無邪気なのに、前世の記憶があるせいで時折“女”の顔をする。
アシュレイは額を押さえた。
「……頼むから煽るな」
「煽ってない」
「煽ってる」
「じゃあ、アシュレイが意識しすぎなんじゃない?」
数秒沈黙。
そして。
「……寝ろ」
低い声だった。
耳が少し赤い。
リュミエールは吹き出した。
笑い声が夜のキッチンに響く。
前世では、こんなふうに笑い合う時間さえなかった。
だから今は幸せだった。
ゆっくりでいい。
少しずつでいい。
この人と、未来を積み重ねていけるなら。




