第80話 最前線
是非、ブックマークか評価を。
私にガソリンをください!!
薄暗い講堂には、ざわめきが広がっていた。
ここに集まっているのは、
先日のゴブリン王戦に参加した探索者たちだ。
自由参加のため数は多くない。
だが、彼らの顔には緊張と、そしてある種の“興味”が混ざっている。
前方でマイクを握る職員が、静かに口を開いた。
「皆さん。お忙しい中、お集まりいただきありがとうございます」
声は落ち着いていたが、その目には強い真剣さが宿っている。
「この映像は、第4層探索者・五十嵐拳吾氏に依頼した“ゴブリン王討伐”の記録映像です」
ざわっ、と反応が起きる。
「本来であれば、皆さんに継続して討伐を依頼したかったのですが、事前にご承知いただいた通り、今回は早期解決が必須であり、少数精鋭による一点突破という形を取りました。
その結果が、これからお見せする映像です」
職員が手元のリモコンを操作する。
「……では、映像を開始します」
講堂が真っ暗になり、
巨大スクリーンに光が走った――。
ノイズが走り、次いで視界に広がるのは、荒れ果てた草原の光景。
地面は無数に抉れ、黒く焦げた跡が幾重にも残る。
つい先日の地獄――第3層での撤退戦の残骸だ。
その映像の隅に、五十嵐拳吾の後ろ姿が映る。
武器を持たず、ただ無造作に歩く背中。
しかし映像越しでも、そこにまとわりつく“格”の違いが見てとれた。
探索者たちの間に小さくさざめきが起こる。
* * *
数キロ先に黒ずんだ布地と骨組みで構成された、無数のゲルが視界に広がっていた。
五十嵐拳吾は、鼻を鳴らした。
(よし、録画……だったな)
ジェラルミンケースを開け、3機の小型ドローンを起動する。
ドローンが自動展開し、プロペラを回しながら浮上する。
機械音もほとんどなく、拳吾の周囲を旋回しながら撮影モードに入った。
(討伐と撮影……職員の連中、気軽に言うよな)
1人vs6,000体。
五十嵐拳吾にとっては、異常に満ちたこの場ですら、ただの“仕事の現場”でしかない。
「――さて」
拳を握り、意識を切り替える。
「身体強化:剛」
大地が、揺れた。
拳吾の身体から溢れた魔素は、荒れ狂う暴風となって周囲を吹き飛ばす。
地面に残る砂塵が渦を巻き、草が根元ごと引き千切れる。
拳吾の背には光の奔流が翼のように伸び、重力そのものを断ち切る。
ドッ――!
地を蹴った瞬間、拳吾の身体は空へ跳ね上がった。
魔素の力が全身を包み、高度を取るごとに加速度が増し、空気が焼ける匂いがする。
下へ目を向ける。
地上に据えられた豪華な中央ゲルの天幕――
その入口のすぐ前に、王は立っていた。
だがまだ、五十嵐拳吾の存在に気づいていない。
拳吾は口元を歪める。
「奇襲すんの、久しぶりだな」
右腕を構える。
「――撃鉄」
その瞬間、拳吾の前腕に巨大な金属光沢の“リボルバー式の弾倉”が生成された。
弾は5発。
革小手に沿うように密着している。
「――さて、行こうか」
身体を前へ倒し、大気を斬り裂いて急降下を開始する。
そして――
* * *
「崩拳ッ!!!」
拳吾の拳が、ゴブリン王へ向けて一直線に落ちた。
ドオオォォン!!!
拳吾の拳が落ちた瞬間、地表を走った魔素が咆哮する雷竜となって四方へ解き放たれた。
バリバリバリバリィィィンッ!!
青白い雷光は蛇行しながらうねり、まるで巨大な竜が暴れ回るように周囲へ突進、閃光を撒き散らしながら粉砕した。
次の瞬間、雷竜は分裂し、複数の雷の尾が周囲のホブゴブリンへ襲いかかる。
ドガガガガガァァンッ!!
雷撃に貫かれたホブゴブリンたちは、悲鳴を上げる暇もなく黒焦げの炭と化して崩れ落ちた。
十数メートル規模の地面が、竜の爪で抉られたように陥没し、巨大なクレーターが形成される。
空気には焦げた臭いと、雷竜の残光が尾を引くように揺らめいていた。
破壊の中心にいるゴブリン王は、両腕を交差して受けたものの、腕は骨ごと割れ、肉が裂け、赤黒い液が噴き出した。
拳吾は地面で弾む反動を利用して、軽々と宙返りして距離を取る。
「おうおう、まだ立つか。さすがに王か」
ゴブリン王はゆっくりと顔を上げ――
その眼に、強烈な憎悪と敵意を宿した。
「……人間。空からとは、面妖な……」
壊れた声で呟き、次の瞬間、ゴブリン王が吠えた。
「グォォォォォオオオオオッ!!」
倒れたゴブリンたちのポリゴンが、光の砂となってゴブリン王へ吸い込まれていく。
ゴォ……。
魔素が跳ね上がり、ゴブリン王の損傷した身体が一瞬で再生した。
「ちっ……聞いていたが、やっぱ面倒くせえな」
* * *
回復したゴブリン王が突進してくる。
その速度は前回の闘いを上回る凶悪さだ。
だが、拳吾は、全てを“余裕”で躱した。
「遅ぇよ!」
ステップ一つでゴブリン王の拳を空に泳がせ、指先で軽く弾くだけで体勢を崩す。
ゴブリン王の視界が揺れる。
「な……?」
拳吾は笑った。
「なっ?」
「我を下に見るか、人間!!」
ゴブリン王が全力で殴りかかる。
が、その瞬間、弾が込められ――
ガシュン!!
「鑽拳ッ!」
拳吾の拳が王の胸に叩き込まれた。
ドバアアアァァ!!!
叩き込んだ衝撃がそのまま巨大な水渦に変わり、ゴブリン王の身体を“ぐちゃり”と捻り吹き飛ばす。
クレーターがさらに広がり、景色が変わっていく。
* * *
ゴブリン王の胸が上下するたびに、ひゅうひゅうと空気が漏れる。
その目は焦点を失いかけ、指先は痙攣し、もう立ち上がる力すら残っていない。
それでも、最後の意地のように喉を震わせ、かすれきった声で、途切れ途切れに言葉を押し出した。
「……グ、リ……ード……ド……ミナンス……」
周囲の生き残っているゴブリンが一斉にポリゴン化し、恐怖の絶叫を上げる間もなくゴブリン王へ吸い込まれていく。
ゴォ……。
数百単位で吸収され、ゴブリン王の魔素が異常に膨れ上がる。
その瞬間、ボロボロに砕けていたゴブリン王の身体がびくりと跳ねた。
裂けた皮膚が内側から押し広げられ、まるで逆再生のように肉が盛り上がり、砕けていた骨が音を立てて組み直されていく。
バキッ、メリメリッ。
乾ききっていた皮膚がみるみるうちに艶を取り戻し、失われていた腕の筋肉が蠢くように再構築され、空洞だった眼窩に魔素が流れ込み、黄金色の双眸に光が再び灯る。
だが、その光は明らかに正常ではなかった。
瞳孔が収縮と拡張を繰り返し、まるで魔素の奔流に振り回されているかのように震えている。
皮膚の下で何かが蠢き、骨のような突起が突き破ろうとする。
ボコンッ……!
「制御……効かぬ……が……ッ!」
ゴブリン王の身体から、濃密すぎる魔素が噴き出すように漏れ始めた。
周囲の空気が歪み、地面がビリビリと震える。
魔素が過剰に膨張し、筋肉が勝手に肥大化しては縮み、骨格が軋みながら形を変えようとする。
「……ま、まだ……だ……ッ……!」
その声すら、ゴブリン王自身のものではなく、吸収した数百の魔素が混ざり合って生まれた“異音”のように濁っていた。
ゴブリン王は力で押し戻し、肉体を無理矢理維持して立ち上がった。
拳吾は小さく笑う。
「化け物め」
* * *
地面が低く唸った。
ゴブリン王が一歩踏み出すたびに、地表が軋み、魔素が地鳴りのように震える。
その身体は先ほどまでのものとは明らかに異なっていた。
膨れ上がった筋肉の下で魔素が脈動し、まるで生き物のように蠢いている。
体からは黒煙のような魔素が立ち昇り、空気を焼くような熱と圧が周囲を包み込んでいた。
「……来るか」
拳吾が低く呟いた瞬間、ゴブリン王が地を砕いて跳んだ。
「グォォォォオオオオオッ!!」
咆哮とともに、ゴブリン王の拳が空を裂く。
拳吾も即座に構えを取り、魔素を拳に集中させる。
ガシュン!!
「劈拳ッ!!!」
拳が金属の閃光を帯び、超振動により空間が震える。
「無駄だ、人間!!!」
ゴブリン王の声は、もはや複数の魔素が混ざり合った“異音”に近かった。
2つの力が中央で激突した瞬間、爆ぜた衝撃が草原を焼き尽くし、空間を歪ませる。
拳吾は爆風の中を踏みしめ、前へと進む。
その目は、確かに“進化した怪物”を見据えていた。
拳吾は口元に笑みを浮かべ、拳を握り直す。
「五十嵐拳吾だ」
「―なんだと?」
「……敬意を表するよ。
お前は、拳を交えるに値する相手だ」
その言葉に、ゴブリン王の黄金の双眸が細められる。
一瞬の静寂。だが、次の瞬間、低く、地を這うような声が返る。
「――敬意、だと?」
ゴブリン王はゆっくりと首を傾け、まるで腐肉でも嗅がされたかのように、鼻を鳴らした。
「滑稽だな、人間。
ヌシらは奪い、焼き、踏みにじり、その果てに“敬意”などと口にする。
まるで、赦しを乞うかのように」
その声音に怒りはない。
あるのは、深く沈殿した侮蔑と、王としての絶対的な傲慢。
「ただ屈し、ただ砕け、ただ滅せよ。
それが、ヌシら人間に許された唯一の“敬意”の示し方だ」
魔素がゴブリン王の周囲で渦を巻き、地面が軋み、空気が重く沈む。
拳吾は肩をすくめ、構えを取る。
「ははは、確かにそうだな。
綺麗に取り繕っても、ダンジョンは弱肉強食。
弱え奴が死ぬだけだ」
ゴブリン王は応じない。
ただ、黄金の双眸が細く細く絞られ、その奥で、魔素が渦を巻く。
風が止まる。
音が消える。
世界が、2人の間だけを残して静止したかのようだった。
一歩動けば、即座に決着がつく。
そんな極限の緊張が、空間を支配していた。
そして――
「行くぞッ!!」
「来い、人間ッ!!」
2つの影が、同時に地を蹴った。
爆音とともに激突する。
拳と拳、膝と肘、爪と掌――
数合の打ち合いが、雷鳴のような速度で交錯し、その衝撃だけで大地が震動する。
拳吾の頬をかすめる爪。
ゴブリン王の顎を揺らす拳。
互いに一撃を許せば、即死に繋がる緊張の応酬。
そして、拳吾の目が一瞬、鋭く光った。
ガシュンガシュン!!
弾倉が回転し、2つの弾室が同時に閃光を放つ。
拳に宿る魔素が、赤黒く脈動する。
「双連ッッ!!」
拳が唸りを上げて突き出される。
炮拳と横拳――爆炎と重圧が融合し、
黒く、重く、沈み込むような爆炎が炸裂した。
ドグォォォォンッ!!!
爆発と同時に、地面が重力に引きちぎられるように沈み込む。
爆風が吹き荒れ、遠くの地形すらえぐり取る。
その中で、ゴブリン王の巨体が、黒炎に包まれながら沈黙した。
だが、拳吾はすぐに構えを解かない。
黒煙の中、何かがまだ動いている気配があった。
やがて、クレーターの底で、ゴブリン王の腕が、わずかに動いた。
「……まだ……終わらぬ……」
その声は、もはや風に溶けるようにかすれていた。
拳吾は静かに拳を下ろし、一歩、また一歩と近づく。
「まぁまぁだったぜ、ゴブリン王」
そして、ゴブリン王の身体が完全に崩れ落ち、光に包まれ消えた。
* * *
ジジジッ……
講堂では、誰一人として言葉を発しなかった。
まるで、あの草原の熱と魔素の残滓が、スクリーン越しに染み出してきたかのように空気は張り詰めたままだ。
椅子の軋む音すらない。
誰もが、息を呑んでいた。
直哉は、拳を握っていた。
無意識のうちに、指先に力が入りすぎて白くなっている。
隣に座る探索者が小さく息を吸う音が、やけに大きく響いた。
「……あれが、“五十嵐拳吾”か」
誰かがぽつりと呟いた。
その声に、誰も返さない。ただ、静かに頷く者がいた。
映像に映っていたのは、ただの戦闘ではなかった。
1人の男が、ゴブリン王を正面から打ち倒すまでの、
圧倒的な力と、研ぎ澄まされた技の記録だった。
「……あれが、4層か」
「いや、あれはもう……別格だろ」
ざわめきが、ようやく戻り始める。
だがそれは、安堵でも歓声でもない。
畏れと、敬意と、そして焦燥が入り混じった、静かな波紋だった。
直哉は、スクリーンに映っていた最後の光景――
黒炎の中で崩れ落ちる王と、それを見下ろす拳吾の姿を思い出す。
あんな激しい戦闘の後なのに、「帰って焼肉でも行くか」という言葉がいやに鮮明に残っていた。
(あれが……“最前線”か)
直哉の中で、何かが静かに燃え始めていた。
それは恐怖ではなく、
いつか、あの背中に並び立つための、確かな火種だった。
* * *
白い光が集まり、歪む空間の中心へと落ちていく。
空間がねじれ、音もなく“裏返る”ようにして、そこに一つの影が現れた。
膝をついた姿で――
エンバルムは、復活した。
周囲は、草原のはずれにぽっかりと開いた巨大な洞窟のような空間。
だが、そこに広がるのは自然の地形ではない。
草は黒く枯れ、地面には無数の骨片が散乱している。
天井のない空間には、大地の牙のように岩の突起が突き出しており、空間そのものが“生きている”かのように、魔素の輝きが脈動していた。
エンバルムの呼吸は荒く、その身体にはまだ再生の痕が残っている。
だが、何よりも異様だったのは――その目だった。
赤く、深く、憎悪だけで燃え尽きそうなほどに、憤怒の光を宿していた。
「……ここは……何だ……?」
低く呟いた声が、洞窟の奥へと反響する。
初めて見るこの空間に、エンバルムはわずかに眉をひそめた。
だが、すぐにその違和感は、別の感情に塗り潰される。
「……我は、死んだはず……」
拳を握る。
骨が軋む音が、静寂の中に響いた。
死したはずの存在が、再びこの地に現れる。
それは、人間にのみ許された特異な現象――
“リエントリー”と呼ばれる、復活のルール。
「それでも……戻ったか。
この身に、再び火が灯ったか……!」
その声には、驚きと戸惑い、そして――
底知れぬ怒りと執念が、混ざっていた。
「人間……五十嵐拳吾……」
名を刻むように、低く呟く。
その名を呼ぶたびに、魔素がエンバルムの周囲でざわめいた。
「ヌシの力は、確かに我を砕いた。
だが……それがどうした」
立ち上がる。
その足元で、黒い草が枯れ落ち、地面がひび割れる。
「我は、敗北を知った。
ならば次は――勝利を得るだけだ」
空間の奥から、呻くような風が吹き抜ける。
それはまるで、この地そのものがエンバルムの復讐を歓迎しているかのようだった。
「力を得る。
次こそ――貴様らの生命を絶つ」
闇が、エンバルムを包む。
その背に、再び魔素の渦が立ち昇る。
憎悪の火は、消えない。
むしろ今、かつてないほどに燃え上がっていた。




