第241話 奪われた龍脈
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五行崩の余波が去った後、広間はもはや原形をとどめていなかった。
壁という壁が崩れ落ち、もともと高かった天井にはぽっかりと巨大な穴が開き、はるか遠くに青空が覗いている。
崩れた瓦礫の隙間から、細い光の筋が幾つも差し込み、舞い上がった砂塵をゆっくりと照らしていた。
「……おい、しっかりしろ」
肩を揺さぶられる感覚とともに、柳太郎の声が聞こえた。
直哉が意識を取り戻すと、篠崎・最上・指川・水沢・村松の顔が、心配そうに覗き込んでいる。
「な……何が」
「五十嵐さんの能力の余波だ。君たち全員、吹き飛ばされて気を失っていたぞ」
武虎、陽平、真弓、椎名も、それぞれ揺り起こされ、ゆっくりと身を起こしていく。
「いって……耳が、まだキンキンする」
陽平が頭を振りながら呟き、真弓も顔をしかめながら瓦礫の上に座り直した。
「五十嵐さんは……!」
椎名が慌てて周囲を見回す。
少し離れた場所で、五十嵐が片膝をついていた。
「……はは、さすがに、もう動けそうにない」
肩で息をしながらも、笑みだけは崩さない。
村松が駆け寄ろうとするが、五十嵐は片手を上げてそれを制した。
「大丈夫だ、命に別状はない。それより――」
五十嵐の視線が、祭壇の方角へ向く。
視線のその先――祭壇の傍らに、男が仰向けに倒れていた。
身体のあちこちが潰れ、ひしゃげている。
それでも辛うじて、原形だけは保っていた。
「まだ、生きてやがるのか……」
武虎が、警戒するように拳を握り直す。
全員が、じりじりと祭壇へにじり寄る。
倒れた男の胸が、かすかに上下していた。
虚ろだった双眸が、ゆっくりと五十嵐たちを捉える。
「まさ、か……ゴホッ、ゴホッ……目的の、達成まで……あと少し、だった、というのに……」
血が喉の奥からせり上がり、言葉を押し流していく。
男が激しく咳き込むと、口の端から赤黒い血が溢れた。
「げほっ……また、奪われる、のか……」
血を吐きながらも、男は笑った。
その笑みだけは、凡庸な顔立ちに似合わず、どこまでも昏かった。
「はは……げほっ、ゴホッ……だが、もう……奪わせん」
肺に溜まった血が、声を掠れさせる。
「奪われるくらいなら――ゴホッ……すべて、壊れて、しまえばいい」
男の手が、祭壇に触れる。
「させるか!」
武虎が地を蹴るが、一歩遅かった。
残った魔素の全てが、祭壇へと注ぎ込まれていく。
祭壇が、禍々しい光を放ち始めた。
浮遊していた4つの封印核が激しく震え、内側から膨大な魔素が噴き出す。
その魔素は、地下から噴き上がる龍脈の魔素と混ざり合い、みるみる圧縮されていく。
「な……これは……!」
椎名が息を呑む。
膨れ上がる光は、今にも弾けそうなほど密度を増していた。
床のひび割れから漏れる光が、脈打つように強弱を繰り返している。
「まずい、逃げるぞ!」
柳太郎の一声で、全員が弾かれたように動く。
直哉・武虎・陽平・真弓が翼界を展開し、動けない者たちを抱えるようにして宙へ舞い上がる。
椎名たちが五十嵐を担ぎ、篠崎たちも互いに支え合いながら、崩れた天井の穴を目指して一気に駆け上がった。
背後で、祭壇の光がひときわ強く膨らむ。
かすかな地鳴りが足元から伝わり、崩落した瓦礫がさらに音を立てて崩れていく。
「早く、できるだけ放れましょう!!」
椎名の叫びに、全員が無言のまま速度を上げた。
* * *
崩れた穴を抜け、地上へ降り立つ。
直哉たちがこれまで潜り歩いていたのは、街の下に張り巡らされた地下道だった。
その一角が、五行崩の爆発でまるごと吹き飛んだのだ。
突き破られた天井の穴は、超巨大だ。
本来ならその真上には建物がひしめいていたはずが、今はその面影すらなく、瓦礫と陥没した地面が広がるばかりだった。
被害は、穴の周辺だけに留まらない。
見渡す限り、あちこちの建物が傾ぎ、崩れ落ちている。
全員が肩で息をしながら、しばし瓦礫の上にへたり込んだ。
「はぁ……はぁ……くそ、あいつ何しやがったんだ」
直哉が変わり果てた光景を見渡しながら、大きく息を吐く。
だが、安堵する間もなかった。
目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。
街のあちこちから、噴水のように魔素が噴き出している。
路地裏、廃墟の隙間、干上がった水路――至るところから吹き上がったそれは、まるで意思を持つように、地下道の一点へと吸い込まれていく。
* * *
その異変は、地下に根城を張るシャドウウェブの縄張りにも、容赦なく襲いかかっていた。
「な、なんだこりゃあ……!」
薄暗いトンネルの奥、罠師の1人が悲鳴じみた声を上げる。
仕掛けたばかりの毒針の罠が、噴き上がる魔素の奔流に呑まれ、跡形もなく消し飛んだ。
「頭領に報告を……いや、もう間に合わねえ!」
密偵が伝令の狼煙を上げようとした矢先、足場ごと崩れ落ちる。
何年もかけて掘り進めてきたはずの抜け道が、次々と土砂に埋もれていった。
「くそっ、こんな時に……!」
案内人の1人が、逃げ惑う仲間を怒鳴りつけながら、地上へ続く隠し階段を駆け上がる。
市場の隅々まで知り尽くしていたはずの縄張りが、今や誰にとっても未知の危険地帯と化していた。
地下水路だけではない。
表通りのアンバー・カンパニーの倉庫街も、裏路地のアイアンファングの闘技場も、誰もが同じ地鳴りと轟音に見舞われている。
地上の路地でも、悲鳴が飛び交っていた。
「な、なんだ、この揺れは……!」
屋台の商人が、慌てて品物を抱えて逃げ出す。
積み上げていた商品が崩れ落ち、路上に散らばった。
「子供を、早く子供を連れて外へ出せ!」
安宿の主人が声を張り上げ、まだ寝ぼけた宿泊客たちを叩き起こしていく。
誰もが逃げ惑い、行き交う人波が細い路地を埋め尽くしていく。
オールドマーケットという街そのものが、根こそぎ揺さぶられていた。
* * *
「おい、まさか、街中の魔素が……」
指川が呆然と呟いた。
「地下の暴走が、地上まで……」
真弓も、腕を抱くようにして立ち尽くす。
やがて、吸い込まれた魔素の全てが、地下道から一気に噴き上がった。
天高く昇ったそれは、街の上空で唸りを上げながら渦を巻き、凝縮を始める。
やがて渦は1点に収束し――巨大な、黒く丸い物体となった。
「な、なんだ、あれは……」
オールドマーケットの喧騒が、潮が引くように静まっていく。
アンバー・カンパニーの商人も、アイアンファングの荒くれ者も、シャドウウェブの情報屋も――誰もが後ろ暗い過去を持つ者ばかりのこの街で、今この瞬間だけは、皆同じ表情で空を見上げていた。
「な、なんだよ、ありゃ……禁呪の類か?」
「聞いたことねえ、こんなでかい規模……」
「まさか、また上の連中が何かやらかしたんじゃ……」
「おい、逃げた方がいいんじゃねえのか」
ひそひそとした憶測が、さざ波のように群衆の間を伝っていく。
それは瞬く間に、隠しきれない恐怖の色に変わっていった。
――ドクン。
静かな、しかし確かな音が、どこからともなく響いた。
まるで心臓の鼓動のようなそれは、決して大きくはないのに、街の隅々にまで届くほど不気味に反響していた。
――ドクン……ドクン……
「おい……あれ、脈打ってないか?」
「……まさか、あれ、卵じゃねえのか」
誰のものとも知れない声が、不安をさらに煽るように響いた。
その一言をきっかけに、群衆のざわめきが一段と大きくなる。
誰も彼もが、動くことすら忘れたように、ただ黒い塊を見上げ続けていた。




