第240話 拳、尽きるまで
是非、ブックマークか評価を。
私にガソリンをください!!
「さて――最終ラウンド開始だな」
崩れ落ちた祭壇の破片が、2人を囲むように散らばっている。
抉れた床のあちこちから土煙がまだ薄く立ち上り、幾度となく交わされた拳の応酬の激しさを物語っていた。
五十嵐と対峙する男は、中肉中背でこれといった特徴もない、どこにでもいそうな顔立ちをしていた。
だが、その凡庸な外見と、放たれる魔素の圧はまるで釣り合っていない。
互いの姿は、すでに万全とは程遠かった。
五十嵐の息は荒く、土埃にまみれた服はほとんど原形をとどめず、全身に無数の傷が刻まれている。
男の頬にも一筋の裂傷が走り、纏う上着の裾は黒く焦げ落ちていた。
だがそんな削り合いの応酬は、まだどちらにも決定打には至っていない。
五十嵐は拳を構え直す。
しかしその右腕の弾倉には、弾が詰まっていなかった。
「五十嵐さんの弾倉……空だ、ぞ?」
駆けつけたばかりの武虎が、目を凝らす。
「ってことは……」
直哉が息を呑む。
すでに5発とも撃ち尽くし、今の五十嵐はまっさらな拳1つで立っているのだと、その場の全員が悟った。
男は、口の端を上げる。
「貴様の技、確かに強力だ。
しかし5発の制限があり――それはもう使い切ったのだろう」
図星を突かれ、五十嵐の眉がわずかに動く。
「ははは、確かに双連も三段も防がれた。
だがそれが何だってんだ?」
「今の貴様は、ただの拳だ」
男から、押し潰すような魔素の圧がうねりを上げて立ち上る。
「おいおい、それで俺の力を測った気になってるのか?
撃鉄はただの技だ。
俺の本気は、この拳だ、こいつで全てを切り開いてきた」
五十嵐は不敵に笑い、顔の前で拳を握り込んだ。
「その虚勢、いつまで続くかな?」
男が地を蹴り、間合いを一息に潰す。
踏み込みざまの拳が、五十嵐の頬を掠めた。
「がっ……」
反射的に上げた両腕へ、休む間もなく次の拳が突き刺さる。
ゴッ、ゴッ――
踏みしめた床が陥没し、砕けた石片が四方へ飛び散った。
左右から交互に打ち込まれる拳を、五十嵐は腕で受け流しながら後ろへ下がる。
飛び散る汗が、舞う土埃の中に消えていく。
「らっ!」
隙を突いて放ったカウンターが、男の脇腹を捉えた。
だが浅い。決定打には程遠く、すぐさま次の拳が顔面を掠める。
「ぐぅう……」
それでも五十嵐は、口の端に笑みを刻んだまま拳を構え直した。
「神谷、今なら……!」
武虎が拳を握り、一歩を踏み出そうとする。
だが、その足がすぐに止まった。
五十嵐と男の攻防は、常人が割り込める余地がない。
拳と拳がかすめただけで床石が陥没する攻防に、地を蹴るだけで衝撃波が巻き起る攻防に、どこから踏み込めばいいのか誰にもわからなかった。
「くっ……」
椎名も真弓も陽平も、隙を探して視線を走らせるが、答えは出てこない。
「だめだ……攻撃の起点がまるで見えない」
椎名が奥歯を噛む。
「俺たちが割り込める戦いじゃねえぞ、これ」
武虎も悔しさに拳を握りしめる。
直哉も目を凝らすが、識界を広げようにも、どこに合わせればいいのか掴めない。
『直哉、今、踏み込むのは危険です。無理に割って入れば、巻き込まれます』
イチカの声が、冷静に釘を刺す。
「やめとけ」
五十嵐が、振り返りもせずに言った。
「下手に手を出しても、やられるだけだ」
「でも……!」
「黙って見てろ。まだ終わっちゃいねえ!」
言葉の途中で、男の拳が唸りを上げる。
五十嵐はそれを両腕で受け止めるが、床を割って後ろへ滑った。
ドゴォッ、ドゴォッ――
祭壇の残骸がまた1つ、粉々に砕けて舞い上がる。
打ち合うたびに、五十嵐の傷が増えていく。
息が上がり、受け止める腕にわずかな遅れが生まれ始めていた。
* * *
「拳だけで、よくもここまで保たせたものだ」
男が、感心とも嘲りともつかない声で言う。
「褒めてる場合か、あぁ?」
五十嵐も、軽口を返すだけの余裕が薄れ始めていた。
汗と埃にまみれた拳を、五十嵐は何度も握り直す。
自身の攻撃は届かず、傷だけが増えていく。
それでも、前に出る足は止めなかった。
「五十嵐さんっ……このままじゃ!」
陽平が木刀を掲げる。
「よせ、そっちに目を向けさせるな……!」
五十嵐が怒鳴るが、その声は間に合わなかった。
「水操:参式 沙羯羅ッ!」
刀身に纏わりついていた水が隆起し、水蛇となって五十嵐の全身に絡みつく。
鱗が溶けて肌を覆うと、スゥっと消えていった。
「ばっ……聞きやしねぇな」
毒づきながらも、五十嵐はこの好機を逃さなかった。
一段鋭さを増した踏み込みで、拳が男の脇腹を捉える。
初めて、呻き声を引き出した。
「ぐっ……小癪な真似を」
男の拳に、明らかな苛立ちが乗った。
振り抜かれたそれが五十嵐を捉える。
ドゴォンッ――
壁が陥没するほどの衝撃とともに、五十嵐の体が叩きつけられた。
「五十嵐さん!!」
そして、男の視線が――五十嵐ではなく、陽平へ向いた。
「余計な小細工をした報いだ」
踏み込みの速さに、空間そのものが置き去りにされる。
「くっ……」
「陽平っ!!」
直哉、武虎、真弓、椎名が同時に動こうとする。
だが、体が反応しない。
速すぎる、誰の足も、間に合わない。
その中で、ただ1人。
『――直哉!』
イチカが識界を男に向けて伸ばす。
「イチカっ……!!」
『合わせてください!』
ゆっくりと流れる時間の中、直哉が拳を握りしめる。
「時穿つ瞳・ゼロッ!!」
識界が男を捉え、ただその鼻先――そのわずか一点の時を止めた。
踏み込みの最中、男の動きが強制的に止められる。
「なっ……」
一瞬、ほんの一瞬、男の全身が硬直した。
だが、それで十分だった。
「もらったぁぁぁ!!」
五十嵐が壁を蹴り、左腕を振りかざす。
「万象を穿て――撃鉄」
空気が震え、新たな弾倉が左腕に浮かぶ。
「な、きさま、左腕だと……!?」
男の顔に、初めて動揺が走った。
「はっ、俺の本命は左腕よ」
五十嵐が、口の端を吊り上げる。
ガシュンッ、ガキンッ――5つの弾室が、一斉に光を灯した。
「全部持ってけ!!」
大地を割る踏み込みとともに、五十嵐の拳に5つの力が同時に流れ込む。
「おぉぉぉぉぉ、五行崩ッ!!」
拳が、男の胴を貫いた。
ドゴオオオオオオオオオンッ!!!
雷が奔り、炎が渦巻き、水が唸り、超振動が空を裂き、重力が全てを押し潰す。
5つの力は連鎖し、圧縮と爆発を幾重にも繰り返しながら、極限まで凝縮された魔素を解き放つ。
その奔流に、視界のすべてが白く染まった。
直哉は反射的に腕を顔の前に掲げようとした。
「うわっ――」
だが、その声は最後まで音にならなかった。
動作が終わるより早く、衝撃が全身を叩く。
爆風が広間を薙ぎ払い、直哉たちの体を紙屑のように吹き飛ばした。




