第233話 不協和音と封鎧
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私にガソリンをください!!
敵の本拠地は、オールドマーケット全体に張り巡らされた地下道だ。
災害があった時の避難所にも使われていたようで、様々な個所に大きな空間が存在している。
しかし時を重ねるごとに、時には貴族が、時には豪商が、時には裏家業の輩が、己だけの空間を増築していく。
そして誰とも知らぬ秘密の空間が数多くできていった。
そんな蜘蛛の巣のように張り巡らされた地下道に、4人の足音が響く。
地面から微かに漏れ出した魔素の光が、駆ける4人の影を壁に踊らさせていた。
* * *
「大分奥まできたな」
篠崎が、額の汗を拭いながら足を緩めた。
「水沢さん、道はこっちで合っているのか?」
「わかりません」
水沢が、周囲を一瞬だけ見回してから答える。
「しかし、ここまで分かれ道はありませんでした。このまま進むしかないでしょう」
「篠崎さん、指川さん、急ぎましょう」
最上が、足元に目を落としたまま声を張った。
「地面から漏れている魔素の光、何か段々強くなっているように見えます」
「そうだな」
篠崎が、表情を引き締めて頷く。
指川も無言のまま、足元の光にちらりと視線を落とした。
魔素の質が、明らかに変わってきている――そんな予感が、拭えないままだった。
その時、先頭を走る指川の指先が、微かにこわばった。
足元の石畳、壁の亀裂――常に薄く馴染ませてある自分の魔素の中に、別の魔素がぶつかってきたからだ。
「……ッ!」
考えるより先に、指川の右手が跳ねた。
足元の土が噴き上がり、薄い盾となって体の前へ滑り込む。
盾ごと、指川の体が吹き飛んだ。
「指川!?」
篠崎が驚いて振り返る。
最上と水沢も、揃って目を見開いた。
何が起きたのか、2人には何も見えていなかった。
指川は、壁に叩きつけられる寸前で受け身を取り、石畳の上を転がった。
「……っ、ぐは……」
折れてはいない。
だが、盾ごと殺しきれなかった衝撃が、骨の芯まで抜けていく。
「指川、無事か!」
篠崎が駆け寄ろうとするのを、指川が片手で制した。
「来るな……! すぐ側に、いやがる――」
言い切るより先に、指川が片膝をついたまま、掌を地面に押し付けた。
細かい砂が、さらさらと通路の先へ広がっていく。
石畳を伝い、壁を伝い――その先の一角だけが、まるで見えない壁に阻まれたように砂を弾いていた。
「ほぅ、やるものだ」
灰色のローブをまとった影が、闇の中からゆっくりと浮かび上がった。
「中々の探知能力、少しは楽しめそうだ」
セイラスが、初めて姿を見せた。
「随分と余裕を見せてくれるな」
指川が、震える膝を叱咤しながら立ち上がる。
引きつった頬に、無理やり笑みを浮かべた。
「ヴェルクス、だったか。お前も、後を追わせてやるよ」
「――挑発のつもりか」
セイラスの瞼が、初めて開いた。
感情の読めない灰色の瞳の奥で、何かが一瞬だけ昏く揺れる。
「まあいい――全員、殺すだけだ」
「はははは、俺たち相手に大きな口叩くじゃねえか」
篠崎が、口の端を吊り上げながら拳を握り込む。
気圧されるどころか、目の奥に喜色が滲んでいた。
「端っから全開だぁあああ!
火躯の纏い《インフェルノ・モード》!!」
ゴゥッ!!
篠崎の体躯が魔素が、唸りを上げて炎に変わる。
熱波が壁を舐め、石畳の表面がじりじりと黒く焦げていった。
篠崎が、燃え盛る拳を引き絞り、地を蹴る。
「篠崎さん、先手は譲りませんよ」
最上が、不敵に笑った。
「瞬神ッ!」
キィィン――硝子が軋むような音とともに、最上の姿がぶれる。
瞬きの間に篠崎を追い越し、セイラスの背後へと滑り込んだ。
前から炎を纏った拳、背後から閃く刃。
挟み撃ちに、逃げ場はない――はずだった。
キィンッ!! ズガンッ!!
金属質な音と、鈍く重い音が、ほぼ同時に響く。
――だが、両方とも、何も捉えていなかった。
最上の刃は、確かにセイラスの背があった場所を薙いだ。
なのに、切っ先はむなしく空を切り、手応えは何一つ返ってこない。
篠崎の拳も、確かにセイラスの胴があった場所を打ち抜いた。
なのに、拳が捉えたのはただの空間で、纏っていた炎だけがむなしく散った。
「……は?」
最上が、瞬時に半歩下がり、剣を正眼に構え直す。
「なん、だと?」
篠崎も、拳を引いて即座に距離を取る。
外すはずのない間合いだった。
それなのに、気付いた時にはセイラスの位置がずれていた。
灰色のローブは、揺れてすらいない。
まるで最初から、そこに何もなかったかのように。
「く……」
壁際で片膝をついていた指川が、すでに立ち上がり、拳を握り込んでいた。
「なるほど、そういうことか」
「指川、どういうことだ!?」
篠崎が、油断なくセイラスを睨んだまま叫ぶ。
「……さてね、もうちょっと、確かめようか!」
指川が地面を踏み抜き、砕けた無数の礫を、散弾のようにセイラスの周囲へ射出する。
だが、着弾したのはほんの数個だけ。
残りの大半は、セイラスをただ素通りしていく。
「やっぱりな」
指川が、忌々しげに舌打ちする。
「みんな、気をつけろ。こいつは……空間認識を、ゆがめてやがる」
「つまり……見えている位置と、実際の位置がズレる、ということですか」
水沢が聞き返す。
「へえ。よく気づいたわね」
最上が、油断なく剣を構えたまま、口の端だけを上げた。
「さて、どうやって攻略しようかしらね」
「まさか、早々に看破されるとはな」
セイラスが、抑揚のない声でつぶやいた。
「相性の悪い奴がいたもんだ」
灰色の瞳が、すっと細まる。
――ビィィィン。
空気そのものが震え、肌の表面がビリビリと痺れるような感覚が走った。
音とも呼べない、耳の奥にまとわりつく振動。
「身体強化:極」
最上は硝子が軋むような音とともに、身体強化の魔素を極限まで圧縮する。
「上等だ。付き合ってやるよ」
炎の化身となった篠崎が、一段と勢いを増す。
熱波に炙られ、通路の壁がさらに黒く焼けていく。
指川が舌打ちし、周囲の瓦礫を次々と浮かべていく。
数十個の石塊が、唸りを上げながら彼の周りを巡り始めた。
水沢だけが、無言のまま得物を抜いた。
黒く鈍い光を放つブラックジャックを握り込み、身体強化を発動させる。
灰色のローブが、静かに揺れる。
「いくぞ――不協和音」
膨大な音の奔流が、4人へと襲いかかった。
* * *
「藤堂さん、皆さんは大丈夫でしょうか?」
村松は無言で前を走る柳太郎に声をかける。
「さてな、信じるしかあるまい。
それに我々も人に気をやれるほど余裕はないぞ」
「えっ、それはどういう」
奥から重い足音が近づいてくる。
鉄棍を担いだ大柄な影が、光の中に姿を現した。
「――やっと会えたネ」
ラオフェンが、鉄棍を担ぎ直しながら笑った。
その目に、これまでの飄々とした色はない。
「お前が、ここの担当か」
柳太郎が、静かに前へ出る。
「そうだヨ。あんたに、聞きたいことがあるネ」
ラオフェンの口元から、笑みが消える。
「ヴェルクス、どうなった?」
「さてな。お前が知る必要はないだろう」
柳太郎が、静かに言い返す。
「なるほど。なら――吐いてもらうだけネ」
ラオフェンの目が、すっと細まる。
「ほお。あの程度の腕でか?」
柳太郎が、口の端を上げた。
「――ッ」
ラオフェンの表情から、余裕が消し飛んだ。
「あれがワタシの全てじゃないネ! いい気になる、よくないヨ!!」
担いでいた鉄棍を大きく振り回す。
「封鎧ッ!!」
咆哮じみた声とともに、棍がカッと光を放つ。
光は瞬く間にラオフェンの右腕と肩を包み込み、鈍い輝きを放つ部分鎧へと姿を変えた。
「くくくく」
ラオフェンが、喉の奥で笑う。
「ワタシの不動如山と封鎧、破れたものはいないネ!」
言葉を聞き終えるより先に、柳太郎の足が地を蹴る。
瞬きに紛れた流水による移動、身体強化:剛と砕陣による一撃。
ズガンッ!
鎧を避けた拳が、脇腹を確かに捉える。
だが、受けたはずのラオフェンは小揺るぎもせず、ゾッとするような眼差しを柳太郎へ向けた。
「はっ、その程度の腕カ?」
鉄棍が唸りを上げて振るわれる。
柳太郎は危なげなくそれを躱しながら、違和感を覚えた。
ラオフェンに不動如山を使った様子はない、しかも、鎧のない場所に、確かに拳は届いていた。
それなのに、ダメージが入った様子は欠片もなかった。
(一体、どういうことだ……)
柳太郎の目が、初めてわずかに細まった。
「藤堂さん、掩護します!」
村松が両手を広げる。
見えない魔素の粒が幾つも宙へ散らばり、気配を殺したまま浮遊した。
「浮遊機雷」
踏み込んだラオフェンの足先が、その一つに触れる。
ドンッ!
小さな爆発が脛の辺りで弾けた。
「――ッ!?」
ラオフェンが虚を突かれたように片足を跳ね上げる。
「へえ、面白い技ネ。
でも威力弱い、残念ネ」
村松が、爆発の余波を見つめたまま奥歯を噛んだ。
(今の一撃……皮膚そのものが、鎧と同じ硬さを持っているのか)
「次はこっちの番ヨ、大人しくヴェルクスの場所、吐くいいネ」
ラオフェンが鉄棍に膨大な魔素を込めると、鉄棍の紋様が怪しく光り出した。




