第226話 常燃の森
是非、ブックマークか評価を。
私にガソリンをください!!
「だぁーーーーー!」
直哉が両手を突き上げ、盛大に息を吐き出した。
全身から噴き出す汗が、地面に落ちる端から白い蒸気になって消えていく。
「もう、無理……」
陽平が膝に手をつき、荒い呼吸を繰り返していた。
修行を再開いて5日目。
昨日は蒼霧の淵で水の精霊の加護を得た。
器用度が上がった実感は、まだ体に馴染みきっていない。
そして今、4人が足を踏み入れているのは――常燃の森と呼ばれる、火のエリアだ。
常燃の森では木々そのものが、絶えず燃えている。
だが灰にはならない。
炎が枝葉のように揺らめき、風が吹くたびに森全体が波打つように炎の音を立てる。
パチパチという爆ぜる音と、ザワザワと風の音が絶え間なく重なり合う。
視界の端を、炎そのものでできた小さな獣が駆け抜けていき、梢の上では、人の形をした小さな灯りがいくつも漂い、揺れる木々に合わせて明滅している。
あれもまた、この森に棲む精霊の一種なのだろう。
地面すら熱を持ち、立っているだけで足の裏がじりじりと焼かれる。
「……綺麗だけど、地獄だな、ここ」
武虎が汗だくの顔で呟いた。
真弓が髪をかき上げながら、うんざりした声を漏らす。
「……のど、焼ける」
森に踏み入ってから、すでに何度も焔獣の群れと切り結んでいた。
数をこなすたびに動きには慣れてきたが、体力と気力の削られ方は一向に慣れない。
「師範、そろそろ休憩を――」
陽平が力なく訴えかけたところで、口をつぐんだ。
柳太郎だけが、涼しい顔で佇んでいたからだ。汗の一滴も浮かんでいない。
「軟弱だな、お前たちは」
「師範はいいっすよね、流転乱舞の風で涼しいんですもん」
陽平が恨めしそうに見上げる。
「陽平君、君の悪い癖だ。追い詰められると冷静さを欠き、行動が大雑把になる。
もっと私をよく観察しなさい」
「えぇぇ……っと?」
陽平が戸惑いながら、柳太郎へにじり寄る。
「あれ、いつもの流転乱舞とはちょっと感じが違うような……」
「私の識界に手を入れてみなさい」
「はい……えっ!? 涼しい!!」
「神谷君、識界とはなんだ?」
不意打ちの問いに、直哉は息も絶え絶えに答えた。
「えっと……空間の概念を、自分ルールに置き換える、ですよね?」
「そうだ。ならばそれを利用すれば、空間を適温に保つこともできる」
直哉の目が見開かれた。
「あっ!」
「そうか、その手があったか」
武虎も汗を拭う手を止め、顔を上げる。
真弓が真っ先に識界を展開した。
「温度、温度、適温――」
一気に、肌へまとわりつく熱が和らいだ。
「……はぁ、生き返る」
真弓が詰めていた息を吐き出す。
だが、少し経ってから眉をひそめた。
「あれ……いつもより、魔素の減りが早い気がする」
「俺もだ」
武虎が識界を保ったまま首をひねる。
「そこまで激しく減ってるわけじゃねえが、じわじわ削られてる感じがする」
直哉も真似て識界を広げてみたが、結果は同じだった。
体感の涼しさと引き換えに、魔素がじわじわと目減りしていく感覚だけが残る。
『魔素残量、緩やかに低下しています』
イチカの声が、直哉の頭の中に響いた。
(このペースだと……)
(『もって1時間です』)
「これ、識界の範囲をもっと小さくすれば……」
柳太郎が、腕を組んだまま告げる。
「その通りだ。識界は範囲を狭めれば狭めるほど消費量は少なくなる。
例えば体に沿うように展開すれば、消費は最小限に抑えられる」
「でも、そんな繊細なコントロール……」
武虎が眉根を寄せた。
武骨な指先を見つめ、識界を絞り込もうと集中するが、力加減がまるでつかめない。
何度やり直しても、1メートルより狭めることができない。
「くそ、識界って大きくするのも大変だったのに、小さくするのも大変なのかよ」
「そうだ。だが、それをやれるようになれば、このエリアでも普通に活動できるようになる。
それに――来たぞ」
炎の森の奥から、地を這うような唸り声が近づいてきた。
木々の隙間を割って現れたのは、全身が炎そのもので形作られた獣型の魔物――焔獣だ。
1体だけではない。2体、3体と、揺らめく炎の合間から次々に姿を現す。
「うげ、また数いるじゃん……」
陽平が顔を引きつらせ、後ずさった。
「さぁ、さぼってないで識界を広げろ!」
柳太郎の声が飛ぶ。
陽平が情けない声を上げた。
「そんな、ポンポンと範囲を変えるなんて……」
「弱音を吐くな」
短い一喝に、陽平が息を呑む。
狭めたばかりの識界を、歯を食いしばりながら広げ直した。
* * *
先頭の焔獣が、口から炎の塊を吐き出す。
武虎が識界を瞬時に押し広げ、拳を叩き込んだ。皮膚を灼くような熱が腕を伝う。
「熱っ……くそ、当たっただけでこれかよ」
拳を振りながら、武虎が顔をしかめた。
直哉は時穿つ瞳を発動しつつ、識界の範囲を広げる。
「陽平、水を頼む!」
「うへぇ、またかよ!!」
陽平の難陀が水の帯となって、襲いくる炎を叩き落とす。
触れた瞬間、ジュッという音とともに蒸気が一気に噴き上がり、視界を白く塗り潰した。
「見えな――」
陽平が思わず声を上げたところへ、真弓の弾丸が蒸気の向こうから飛び出した焔獣の頭部を正確に撃ち抜く。
「――ようやく魔素の濃いところが見えるようになってきたわ」
息を切らしながらも、真弓の口元がわずかに緩んだ。
残る1体が、地を蹴って直哉へ突進してくる。
直哉は間合いを測りながらバットを振り抜く。
ドゴッ!!
手応えとともに炎の体が崩れ、パチパチと火の粉となって舞い散る。
崩れた火の粉が、地面に落ちる前に空気へ溶けて消えていった。
柳太郎は最後まで手を出さず、腕を組んだまま4人の動きを見届けていた。
静寂が戻ると、4人はその場にへたり込んだ。
「勝った……勝ったけど、もう指1本動かしたくない……」
陽平が仰向けに倒れ込む。
「気を抜くな。まだ敵地の最中だぞ」
柳太郎の声に、武虎が呻いた。
「鬼かよ、親父」
「褒め言葉として受け取っておこう」
柳太郎は焼け焦げた地面を一瞥し、続けた。
「識界の展開速度を意識しなさい。
ここで戦闘を継続するためには必須の技能だ。
――そして神谷君、君の時穿つ瞳・ゼロには、これが必須の技能だぞ」
「え、そうなんですか?」
直哉が目を瞬かせた。
「ああ。君の技は素晴らしいが、まだ識界の展開速度に難がある。
相手が無識界に慣れている者だと、通じないぞ」
柳太郎が腕をほどいた。
「実践してみよう。
私に時穿つ瞳・ゼロを使ってみなさい」
「――え、師範にですか?」
直哉が思わず聞き返す。だが柳太郎の目に迷いはなかった。
やるしかない。
直哉は時穿つ瞳を発動し、間髪入れず識界を柳太郎ごと包み込むように展開した。
「時穿つ瞳・ゼロ!」
だが柳太郎は、何事もなかったように腕を組み直しただけだった。
「……効いてない?」
直哉が愕然と呟く。
「識界を張った瞬間、気配でわかった」
柳太郎が静かに告げる。
「気付かれれば、無識界で弾かれる。それだけのことだ」
「がんばります!」
直哉が拳を握りしめ、気持ちを引き締め直した。
「はぁ……はやくここクリアしたいよ。火の加護を、さっさと……」
陽平が地面にへたり込んだまま、泣き言をこぼす。
「泣きごとを言っている暇はないぞ」
柳太郎が森の奥へ視線を向けた。
「ほら、追加だ」
木々の合間から、新たな焔獣の群れが姿を現す。先ほどよりも数が多い。
「うそだろ……!?」
陽平が悲鳴じみた声を上げながらも、識界を展開し直した。
炎の獣が四方から殺到する。
直哉のバットが唸りを上げて胴を薙ぎ払う。
ズガァンッ!!
衝撃波で地面が抉れ、すり鉢状のクレーターが刻まれた。
「オラァッ!」
武虎の拳が叩き込まれるたびに、周囲の岩が砕けて破片が飛び散る。
真弓の銃口が絶え間なく火を噴いた。着弾の余波で、燃え盛る木々が根元から吹き飛ぶ。
「うおおおっ!」
陽平の難陀が蛇のようにうねり、炎を薙ぎ払う。
水しぶきが一瞬で蒸発し、白い爆風が森を揺らした。
だが焔獣も怯まない。
拳を打ち込んだ端から、炎の体が再び盛り上がる。
噛みつかれた地面が、熱でどろりと溶けた。
ズシャアッ!
木の幹ほどもある尾が薙ぎ払われ、幹の折れる轟音と共に、周囲の木々がまとめてなぎ倒された。
人と獣、どちらの一撃も地形を作り変える威力を孕んでいる。
崩れた獣の体が火の粉となって舞い上がる。
が、その端から、次の一体が焼け跡を蹴って飛び出してきた。
「くそー、まだ来るのかよ!」
怒号と咆哮が交錯する。
砕けた岩と抉れた地面の間を、4つの影が息を切らしながら駆け抜けていった。




