【閑話】第31話 龍脈を喰らう
是非、ブックマークか評価を。
私にガソリンをください!!
コツッ、コツッ、コツッ。
「ふふーん、ふーんふん♪」
鼻歌交じりのヒールの足音が、オールドマーケットの地下に響く。
石造りの回廊を這う魔素灯の光が、そのリズムに合わせるように明滅していた。
かつて大市が立ち並んでいたというこの土地も、今や地上に人の営みはない。
地下深くに掘り進められた回廊だけが、日に日にその範囲を広げている。
壁際に並んだ16個の封印核――
かつては何の変哲もない黒い立方体だったそれらが、今は内側から淡い光を放ち、互いに呼応するように瞬きを繰り返している。
石壁に走る細い亀裂からは、うっすらとした魔素の靄が滲み出し、床を這うように広間の中央へと吸い寄せられていった。
「進捗はどうだ?」
上座からの問いに、広間の空気がわずかに引き締まった。
顔は今日も闇の中に沈んだままで、口元だけがわずかに見える。
「上々ですわ」
白衣の裾を揺らしながら、オクタヴィアが両手を広げた。
粘りつくような笑みの奥で、目だけが妙に据わっている。
「共鳴は第3段階まで進行済み。
龍脈から引き込んだ魔素の総量は、予定の6割を突破しました」
彼女が指を鳴らすと、封印核の光がひときわ強く瞬いた。
石壁の亀裂がわずかに広がり、靄の流れが目に見えて太くなる。
「うふふ、いい子たちね。……あの子たちに感謝しなくちゃ」
「あの子たち、とは?」
静かに問い返したのは、部屋の隅に立つ人影だった。
年齢の見当がつかない、痩身の男。
灰色のローブに身を包んだ男、セイラス。
4人の中で唯一、ボスに対しても真っ直ぐに疑問を差し挟む男だった。
「あら、聞いてなかった?
研究所で会った子たちのことよ」
オクタヴィアが目を細める。
「あの子たちの1人――転移能力者のおかげで、龍脈の流入経路の見立てが一気に精度を増したの」
「直接、手を借りたわけではないはずだ」
「理論上の話よ。
実物の存在が確認できただけで、こちらの計算の答え合わせになったの。
存在するとしないとじゃ、天と地の差だわ」
「証拠が欲しいなら、見せてあげるわ」
オクタヴィアが指先を軽く振ると、封印核の一つから黒い糸のような魔素が伸び、彼女の掌の上でとぐろを巻いた。
手のひらに収まるはずのない質量が、なぜか綺麗に丸くまとまっていく。
「これだけで、ちょっとした街ひとつ、更地にできるわね」
事もなげに言い放つと、彼女はそれを封印核へと戻した。
名残惜しむように揺れながら、糸は吸い込まれて消えていく。
セイラスは、わずかに目を細めただけだった。
だが、資料を握る指先には、確かに力がこもっていた。
「そういえば、例のオモチャの調整も、そろそろ終わりますわよ」
思い出したように、オクタヴィアが付け加える。
「聞いていないぞ」
「今度は暴走させませんわ。もう学習しましたもの」
悪びれる様子もなく、彼女は笑ってみせた。
* * *
セイラスは手元の資料に視線を落としたまま、続けた。
「共鳴自体は順調です。
ですが、根本の問題は解決していません」
「言ってみろ」
「封印核を介した吸い上げには、いずれ限界が来ます。
核同士の共鳴だけでは、龍脈の流れそのものを御しきれません」
資料を捲る指先が、一箇所で止まる。
「……本当に必要なのは、安定した経路そのものです。
術式にも媒介にも頼らない、生きた回路」
沈黙が落ちる。
「――転移能力者、か」
ボスが低く呟いた。
「ええ。あの小僧を手に入れれば、話が変わってきます」
「ヴェルクスに任せてある。
ラオフェンも迎えに行ったのだ、直に帰ってくるだろう」
「はい。……戻りが、少し遅いようですが」
その一言に、広間の空気がわずかに張り詰めた。
「案じているのか?」
短く切り返され、セイラスは一拍だけ間を置いた。
「いえ」
セイラスは表情を変えなかった。
「ヴェルクスが失敗するとは思っていません。
ただ、状況は正確に把握しておきたいだけです」
「あいつらは、ちゃんと戻ってくるわよ」
オクタヴィアが珍しく、笑みを消して言った。
「今までもそうだったじゃない」
「……そう、だな」
セイラスは短くそれだけ返すと、資料に視線を戻した。
その物言わぬ横顔の下で、何を思っているのかは誰にも分からない。
ただ、互いの背中だけは、誰よりも信じている。
それだけで、十分だった。
* * *
短い沈黙のあと、ボスが口を開いた。
「――お前たちは、なぜこの計画に従っている?」
唐突な問いに、オクタヴィアもセイラスも顔を上げた。
「今更、何をおっしゃるの」
オクタヴィアが笑う。
「あたしたちに居場所をくれたのは、あなたじゃない。それだけで十分よ」
「あたしたち、ね」
ボスが小さく繰り返す。
セイラスは、しばらく黙っていた。
「この世界は、我々に何一つ与えなかった。生まれた場所も、名前も、明日も」
灰色のローブの下で、指先がわずかに強張る。
「ならば、我々の手で奪う。それだけのことです」
「そうか」
ボスは、それ以上何も言わなかった。
かつて同じような言葉を、別の誰かから聞いた気がした。
だが、その記憶の輪郭は、もはや思い出せないほど古い。
ただ、封印核の淡い光が、いつもより強く脈打ったように見えた。
* * *
「――第4段階への移行を許可する」
その一言で、広間の空気が変わった。
「かしこまりましたわ」
オクタヴィアが恭しく一礼する。
「では、龍脈の引き込み量をさらに引き上げます」
「予定通りに進めば――」
セイラスが資料を捲りながら言う。
「あと10日といったところでしょう」
「ヴェルクスたちの帰りには、十分間に合うわね」
オクタヴィアが笑みを浮かべた。
ボスは、何も答えなかった。
セイラスが淡々と資料に手を伸ばす。
封印核の光が、一段と強く脈打った。
ドクン、ドクン、と。
まるで巨大な心臓が地下深くに埋まっているかのような鼓動が、回廊の壁を通して足の裏に伝わってくる。
天井のないはずの場所から、光の粒子がちらちらと舞い落ちてきた。
壁に走る亀裂が、みしり、みしりと少しずつ広がっていく。
かつて活気に満ちていたはずの市場の面影は、もうどこにもない。
ここは今や、世界の理そのものを喰らう胃袋と化していた。
石造りの回廊の奥、まだ誰も踏み入れたことのない暗闇の先で――龍脈そのものが、わずかに軋むような音を立てた気がした。
その音に気づいた者は、この場に誰1人としていなかった。
* * *
オールドマーケットから遠く離れた山あいの村では、その頃、井戸の水位が目に見えて下がり始めていた。
作物の育ちが悪くなり、理由もなく怯えて鳴く家畜の声が、夜通し響く日が続いている。
村人たちは口々に「今年は土の具合が悪い」と噂し合ったが、その原因が、遥か地下深くで進む何かの儀式にあるとは、誰1人として想像していなかった。




