第209話 不動のラオフェン
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雑居ビルの一室に、静かな緊張が満ちていた。
矢島が持ち込んだ書類を机に置いたまま、ヴェルクスは窓の外を眺めていた。
任務の期限まで、あとわずかしかない。
神谷直哉はまだ手の中にない。
そのとき、繁華街の路地裏に淡い光の輪が浮かび上がった。
* * *
「――ここが次の仕事場カ」
転移門から現れた男は、周囲を見渡しながら大きく伸びをした。
浅黒い肌に、鍛え上げられた巨躯。
腰には使い込まれた鉄棍を提げている。
不動のラオフェン。
異世界でヴェルクスと肩を並べた戦友の1人だった。
「アル・テラスとは別物ネ、別次元ネ……?」
懐から小さな魔石を取り出し、指先で弾く。
魔石が淡く光り、周囲の情報が流れ込んでくる。
「……はは、相変らず暴れてるネ。楽しいことになりそうヨ」
ラオフェンの口元が緩んだ。
「探す手間、省けたヨ」
* * *
雑居ビルの入口で、構成員の男が声を張り上げた。
「おい、なんだお前!」
見知らぬ大男に、若い組員たちが色めき立つ。
「ここをどこだと思って――」
言い終わる前に、ラオフェンの拳が男の腹へ沈んだ。
「ぐはっ……」
「実力差わからない、お前馬鹿ネ。まあいい、案内するネ」
別の組員が慌てて武器を構えるが、ラオフェンは片手で軽くいなし、そのまま床へ叩きつける。
数秒で、廊下に立っている者はいなくなった。
「……で、ヴェルクスはどこネ」
答える者はいなかった。
代わりにラオフェンは伸びていた組員の首根っこを掴み、ずるずると引きずりながら奥へ進んだ。
* * *
「――おい、来たぞ」
扉を蹴り開けたラオフェンを見て、ヴェルクスは一瞬、言葉に詰まった。
任務がまだ終わっていない後ろめたさと、頼れる男が来てくれた安堵感。
2つの感情が同時に押し寄せる。
「……ラオフェン。早かったな」
「呼ばれたら来るヨ。それより、これ誰ネ」
引きずってきた組員を、無造作に床へ放り出す。
「使いっ走りだ、お前のことはまだ伝えてなくてな、手間かけちまったか」
「気にしないヨ。それより――」
ラオフェンがヴェルクスの顔をまじまじと見た。
「随分とやられてるネ」
「……分かるか」
「長い付き合いヨ」
ヴェルクスは経緯を包み隠さず話した。
柳太郎という男に出会い、互角以上の激戦になったこと。
最後に浄罪を放ち、駅前ごと消し飛ばしたこと。
そして、目的の神谷直哉には未だ手が届いていないこと。
「こっちには便利なモンがあってな」
タブレットを取り出し、駅前での映像を再生する。
柳太郎の流転嵐舞が、拳を次々と受け流していく映像だった。
ラオフェンはしばらく無言で見入っていた。
「……こいつ、腕立つネ」
感心したように呟く。
「厄介な相手ヨ、これは」
「だろ」
ヴェルクスは短く頷いた。
映像が浄罪の場面に切り替わる。
駅前一帯が白く染まり、巨大な穴が生まれる瞬間だった。
ラオフェンの眉が上がった。
「――は? これ浄罪カ?」
「そうだ」
「威力おかしいヨ! お前の浄罪、ここまでじゃないネ!」
ヴェルクスは小さく息をついた。
「……だろうな。俺も、目算を誤った」
* * *
「浄罪の威力、自分の悪名で決まるヨな」
ラオフェンが確認するように言う。
「ああ」
「向こうだと悪名広める手段、噂と賞金首の張り紙ぐらいしかない。
だから威力の伸びも緩やかヨな」
「それがこっちだと違う」
ヴェルクスは窓の外へ目をやった。
「こっちの世界には映像ってもんがある。
さっきお前に見せたろ、アレだ。
で、あれがネットとやらで、一瞬で世界中に広まる」
「……それで悪名が跳ね上がったカ」
「ああ、そうみたいだ。
前の日にダンジョンの前で暴れたんだが、それが拡散されてた。
想像より、桁違いに速く、広くだ」
ラオフェンが唸った。
「それで威力、いつもの倍ネ」
「威力だけじゃない。消費した魔素も4倍以上だ」
「悪名が上がれば威力も上がる。
だが、その分消費も跳ね上がる。
こいつらの話しだと、この前の戦いはもっと拡散されているらしい。
次は使えないかもな」
「有名すぎるのも考えものネ」
* * *
「そういえば断罪はどうだったネ?」
ラオフェンが尋ねた。
「効かなかった」
「へえ、珍しいネ」
「いや、それがそうでもない。
こっちの世界だと効かなねえ奴がそこそこいる」
「うーん、そんなに神様が人気カ?」
「そんな雰囲気でもないんだがな。
ただ、こっちには食事の前後に祈る習慣がある。
命を食うことへの罪を、無意識に清算してる奴が多いんだろうな」
「なるほどネ。罪が積まれなければ、届かないヨな」
「ああ。だから次は断罪が効かない前提で戦う。
それにお前も手伝ってくれるんだろ?」
「もちろんヨ」
ラオフェンは立ち上がり、腰の鉄棍を軽く叩いた。
「あの男——まだまだ底見せてなさそうネ」
「ああ。だからこそ、次は仕留める」
「楽しみヨ」
繁華街の夜は、何も知らずに続いていた。
その片隅の一室で、2つの獣が静かに爪を研いでいた。




