第208話 まず一歩
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私にガソリンをください!!
浮島に降り立つと、陽平が真っ先に地面に手をついた。
「地面って、こんなに安心するもんだったんだね……」
「気を抜くなよ、これからが本番だ」
柳太郎の声に、全員が姿勢を正す。
* * *
「まず、お前たちの魔素量で身体強化:剛を維持できる時間はどれくらいだ」
「えっと……1時間ぐらいっす」
直哉が答える。
「そうだろうな。今日からの修行は単純だ。
剛を維持し続け、その時間を倍に伸ばす」
「に、2時間ですか!?」
陽平が声を裏返らせた。
「いや、単純に魔素量が2倍必要ってことじゃないですか、それ」
「違う」
柳太郎は即座に否定した。
「身体強化は使っている間、身体強化で消費される魔素とは別に、体からも魔素が滲み出している。
普段はそれが少しずつ垂れ流されるせいで、消費が加速していく」
「滲み出す?」
真弓が眉を寄せる。
「体の外へ逃げていく魔素だ。
だが、ここは外在魔素が極端に薄い。
だから体から出て行こうとする魔素も、自然と抑えられる」
「じゃあ……ここで剛を使い続ければ、勝手に長持ちするってことですか?」
陽平が目を丸くした。
「その通りだ。
そしてその感覚を、身体に覚え込ませる。
滲み出さない状態を維持する感覚を、刻み込ませるんだ」
直哉は少し考えて頷いた。
「経絡を広げるのと同じ理屈ですね」
「察しがいいな」
「でも、どうやって滲み出さない感覚を覚えるんです?」
陽平が首を傾げる。
「体で覚える以外にない。
剛を使い続け、体が『これは漏れていない』という状態を何度も経験する。
理屈より先に、体に叩き込む」
「根性論じゃねえか」
武虎が小さく呟いた。
「反復練習だ。
もちろん通常の場所っでもこの練習は可能だが、嵐渦の空が一番効率がよい」
「なるほどな」
* * *
「では、始めるぞ」
柳太郎の合図で、4人は一斉に身体強化:剛を展開した。
熱が噴き上がり、全身に力が漲る。
身体強化:剛は普段から使い慣れた技だ。
展開するのも、維持するのも、特に意識するようなことでもない。
だが武虎は、しばらくしてから自分の内側へ意識を向けてみた。
「……なんか、魔素の減りが遅い気がするな」
陽平が頷く。
「俺もだ。感覚は全然いつも通りなんだけど、消費がちょっと少ない、と思う」
最初の数十分は、誰も口を利かなかった。
維持することだけに、意識のすべてを注ぎ込む必要があった。
* * *
30分ほど経った頃、風の中に小さな影が現れた。
「来たか」
柳太郎が立ち上がり、翼界を展開した。
風の中へ踏み出す。
風蟲の群れが、浮島の縁から一斉に飛び込んでくる。
「よそ見をするな」
それだけ言い残し、柳太郎が動いた。
嵐渦の空の風速は、60メートルを超える。
ただ立っているだけで体を持っていかれそうになる風が、絶え間なく四方から叩き込んでくる。
柳太郎が、静かに息を吸った。
流転乱舞。
次の瞬間、柳太郎の周囲だけ——風が変わった。
暴風が消えたのではない。
荒れ狂う気流が柳太郎の体の周りだけ制御され、渦のように秩序立って回り始める。
そのまま、風に乗るように体が動く。
無理に風へ抗わず、流れを読んで、流れに従い、流れを利用する。
一切の無駄がない。
弾かれるように放たれた連撃が、風蟲の群れを薙ぎ払う。
だが群れは目の前の、魔素という餌に群がる。
弾き飛ばされた風蟲が、空中で向きを変えた。
今度は柳太郎の体へではなく——流転乱舞が生み出した気流へ向かって、群がってくる。
気流に触れた瞬間、風蟲が魔素を吸い始めた。
整然と回っていた流れが、ほつれていく。
魔素を喰われるたびに、気流の密度が薄れる。
柳太郎を包んでいた風の秩序が、じりじりと乱れ始める。
「……久方ぶりの5層だが、やはり魔素を喰らう敵は厄介だな」
言葉とはうらはらに、柳太郎の声に焦りはなかった。
ゆっくりと息を吐きながら、流転乱舞の制御に集中する。
次の瞬間——速度が変わった。
拳が飛ぶ。蹴りが飛ぶ。
速い、と思った瞬間には次の攻撃が来ていた。
「肘から……風が出てる?」
陽平が声を漏らした。
動くたびに肘と踵から細い風が噴き出し、攻撃の軌道を加速させていた。
流転乱舞で整えた周囲の気流を推力に変えている——その応用だとわかった。
だが速さだけではなかった。
柳太郎がまっすぐ拳を突き出し、風蟲の風蟲を貫く。
そのままの勢いで——親指側から風が吹き出した。
握った拳が手刀のように横へ流れ、側面の風蟲をまとめてなぎ倒す。
「……あんな動き、人間じゃ無理だろ」
武虎が低く呟いた。
突きながら横薙ぎへ変化する。
慣性の法則上、ありえない軌道だった。
続けて柳太郎が手のひらを群れへかざす。
気流が渦巻き、四方に散っていた風蟲が引き寄せられるように一点へ集まった。
待っていたかのように拳が突き込まれ、数匹を一気に貫く。
直哉は暴風に足を取られながら、目を凝らした。
砕陣の光が、拳全体を覆っていない。
拳頭だけだ。
4本の指の付け根が前に出る部分だけに、砕陣が絞り込まれている。
自分たちは拳全体を覆う。覆う面積が広い分、魔素も分散する。
だが柳太郎の砕陣は、ほんの一点に凝縮されていた。
その分だけ、威力が跳ねあがる。
身体強化:剛を使いながら、その戦い方から何かを盗もうと、意識を集中して見続けた。
数秒後、残った風蟲が散っていった。
直哉は見ていた。
柳太郎の翼界が乱れた瞬間を。
たった一瞬だったが、出力が揺れていた。
それでも立て直せるのは、翼界の制御が体に染み込んでいるからだ。
自分たちが同じ場面に立てば——翼界が崩れ、修正しようとすれば戦闘に集中できなくなる。
身体強化まで意識が届かなくなれば、その時点で終わりだ。
(こんな環境下で3つ同時には、まだ無理だ)
頭で考えるより先に、体がそう告げていた。
「魔素に余裕がある間は手を出すな」
柳太郎がこちらを見ずに言った。
「慣れてからだ。今は維持することだけ考えろ」
陽平が小さく頷く。武虎も黙ったまま拳を握り直した。
直哉も唇を結んだ。
早く慣れなければ、ではない。
慣れるしかない。
* * *
1時間が経過した。
「イチカ、今の魔素残量は」
『直哉、内在魔素は残り約2割です』
いつもならここで剛が切れる頃合いだった。
だが、体の奥にはまだ熱が残っている。
「まだ、いける……!」
武虎が歯を食いしばりながら呟いた。
「その感覚を忘れるな」
柳太郎が短く言った。
* * *
魔素が乏しくなり始めた頃、再び風の中に影が現れた。
今度の群れは、これまでより数が多い。
「今回は、お前たちだけでやれ」
「え、親父?」
武虎が驚いた顔を向ける。
「魔素が減った状態で、どこまで踏ん張れるか。それも修行のうちだ」
風蟲の群れが4人へ殺到する。
「ちっ、余裕ねえのに!」
武虎が砕陣を纏った拳を振るうが、いつもの速さが出ない。
「くそ、風が!! 思うように、体が動かない……!」
陽平の難陀も、明らかに勢いを欠いていた。
真弓の砕陣弾も、命中精度が落ちている。
「ちっ、こんな時に!」
直哉は歯を食いしばりながら識界を絞り込み、風蟲の動きを追った。
魔素が薄い分、一撃一撃に全神経を注ぎ込む必要があった。
「ぐぬぬぬ、いつもと感じが全然違う!」
数分間の乱戦の末、群れがようやく散っていく。
肩で息をする4人を、柳太郎が静かに見ていた。
「能力が発動しにくい環境下で強引に発動させる。
これを繰り返すことで出力が底上げされるはずだ。
今の感覚を忘れるなよ」
直哉は荒い息のまま、拳を握り直した。
「……なんとなく、分かった気がします」
「ふっ、今の戦でなんとなくでも掴めれば十分だ。
何事も反復練習だ」
風が、浮島の上を吹き抜けていった。




