第206話 3,000
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私にガソリンをください!!
霧魚との戦闘を終えてから、一行はさらに2時間ほど蒼霧の淵を走り続けた。
霧は相変わらず深い。
足元の水は膝下まで達する場所もあり、歩くだけで体力が削られていく。
魔素の薄い環境にもまだ完全には慣れていなかった。
身体強化を維持するだけでも普段より神経を使う。
武虎でさえ口数が減り、陽平も精霊の具合を確認する回数が増えていた。
そんな中、不意に柳太郎が足を止めた。
「よし、今日はここまでにする」
全員が顔を上げる。
霧の切れ間に、小さな岩場が見えていた。
周囲より一段高くなっているらしく、水面から黒い岩肌が露出している。
広さは学校の教室ほどだろうか。
野営するには十分だった。
「助かった……」
陽平が心底ほっとしたように息を吐いた。
さすがに疲労が隠し切れていない。
柳太郎は岩場へ上がると周囲を見渡した。
「まずは寝る場所を作るぞ」
「テント張るんすか?」
直哉が聞く。
「張らん」
「え?」
「もっと楽な方法があるだろう」
そう言うと、柳太郎は懐から透き通った青色の魔石を取り出した。
それを見た直哉が声を上げる。
「あ、それさっきの」
「ああ。六等級の魔石だな」
柳太郎が軽く頷く。
先ほど倒した霧魚から得られた魔石だ。
4階層とは比べ物にならない純度を持っている。
柳太郎は周囲の岩場を見渡した。
「この広さならば、これ1つで十分だろう」
そう言うと、魔石を手のひらに乗せる。
「床を平らにして乾燥させろ」
魔石が淡く輝いた。
直後、岩場全体に微かな振動が走る。
凸凹だった岩肌が徐々に均されていき、溝に溜まっていた水が外へ押し出される。
さらに濡れていた表面から水分が消え、黒く光っていた岩がさらりとした質感へ変わっていった。
数十秒後には、さっきまでの岩場とは思えないほど整った地面が出来上がっていた。
「うおぉ……」
陽平が感嘆の声を漏らす。
「見るたびに思うけど便利だよなあ」
「文明の力だからな」
「ダンジョン文明だけどね」
真弓が小さく呟いた。
柳太郎は魔石の残滓が消えるのを確認すると、小さく頷いた。
「よし、次は風除けだ」
続いて武虎も魔石を取り出す。
「じゃあ俺は壁作るか」
願う。
風除けになる高さ一メートルほどの石壁。
魔石が砕けると同時に、周囲の岩がせり上がり、簡単な囲いが形成された。
完全な建物ではない。
それでも蒼い霧を防ぐには十分だった。
「おお、ちょっと秘密基地っぽい!」
直哉が感心する。
「お前、その歳で秘密基地好きなのかよ」
「好きだけど?」
「即答かよ」
「だって秘密基地だよ?」
「小学生か!」
「男子なんてみんなそんなもんでしょ」
「まあ否定できねえな」
陽平も少し笑った。
さらに魔石を使い、4人分のマットレスや簡易ベッドを用意する。
柳太郎も感心したように周囲を見渡した。
「便利な時代になったものだ」
野営地の準備が終わる頃には、水浸しだった岩場は驚くほど快適な空間へ変わっていた。
収納バッグから食料を取り出そうとして、直哉は手を止めた。
「あ、そうだ」
腰のホルダーへ手を伸ばす。
ベルトに装着されたホルダーには、いくつもの発明品が差し込まれていた。
その中から摘まみ上げたのは、飴玉ほどのサイズしかない小さなかつ丼のストラップ。
ヤス特製の変換装置だった。
「お、それ持ってきてたのか」
武虎が嬉しそうに言う。
それを見た柳太郎が眉をひそめる。
「それはなんだ?」
「ああ、ヤスの発明品です」
直哉がストラップを軽く揺らした。
「変換装置。飯が出ます」
「飯が出る? その大きさでか?」
柳太郎の眉がさらに寄る。
「百聞は一見にしかず。
親父、たぶん驚くぜ」
武虎が笑う
「やっぱ保存食よりこれっしょ」
直哉はホルダーの残量を確認した。
探索前に魔石をチャージしてあるため、まだ十分な余裕がある。
「さて、何食う?」
「焼肉定食!」
武虎が即答した。
「から揚げ定食!」
陽平も負けじと声を上げる。
「マーボー定食」
真弓も続く。
「俺は親子丼かな」
直哉が変換装置を軽く掲げた。
「親子丼」
淡い光が溢れる。
ホルダーに蓄積されていた魔石のエネルギーが消費され、次の瞬間には湯気を立てる親子丼が現れた。
続いて武虎の焼肉定食。
陽平のから揚げ定食。
真弓のマーボー定食。
次々と料理が出現する。
蒼い霧の中に香ばしい匂いが広がった。
「ほう……」
柳太郎がわずかに目を見開く。
珍しく感情が表に出ていた。
「魔石で物を作ること自体は珍しくないが……調理済みの料理を即座に生成するとは」
親子丼を覗き込みながら呟く。
「便利なものだな」
「でしょ?」
直哉が少し得意げに笑った。
「しかも熱々です」
「ヤスの発明品の中でも傑作ですぞ」
陽平がなぜか胸を張る。
「お前が作ったみたいな顔すんな」
「してないよ」
武虎が焼肉定食を受け取りながら笑った。
「親父、食ってみろよ」
柳太郎はしばらく丼を眺めた後、小さく頷く。
「では遠慮なくいただこう」
そう言って箸を取った。
「いただきます!」
誰よりも先に武虎が焼肉へ箸を伸ばいた。
一口食べた瞬間、目を見開く。
「うまっ!」
「毎回同じ反応してない?」
直哉が笑う。
「仕方ねえだろ。修行中に焼肉定食なんて普通は食えねえんだぞ」
「まあ、それはそう」
陽平もから揚げを頬張る。
衣がさくりと音を立てた。
「うん、やっぱりこれ美味しいなあ」
魔石さえあれば、どこでも出来立ての料理が食べられる。
ある意味反則だった。
* * *
しばらく食事が進んだところで、陽平が柳太郎へ視線を向けた。
「そういえば師範」
「なんだ?」
「五層を修行場所に選んだ理由って、やっぱり環境なんですか?」
「そうだ」
柳太郎は湯呑みを置いた。
「格上の敵に勝つにはどうすればいい?」
「レベルを上げる」
武虎が即答する。
「魔素量を増やす」
真弓も続いた。
「どちらも正解だ」
柳太郎は頷いた。
「だが、どちらも短期間では叶わん。そうだろう?」
全員が黙る。
レベルも魔素量も、1日や2日でどうにかなるものではない。
第4層の踏破だけでも、どれほど戦ってきたか思い出せば分かる話だった。
「そこで重要になるのが、技の発動速度と威力だ」
柳太郎の視線が直哉へ向く。
「神谷君。君の魔素量はいくつだ?」
「今は900弱っす。イチカを合わせると1,400ぐらいっすね」
「君が必殺技を使った時、どのくらい魔素を消費している?」
「えっと……『直哉。アクセルバーストは凡そ200使用しています』……です」
「そうだろうな」
柳太郎は当然のように頷く。
「通常、人が技を使う場合、体は急激な魔素消費を嫌う」
「嫌う?」
陽平が首を傾げた。
「体が壊れないように無意識で制御しているのだ。
結果として、1度の技で使える魔素も2割程度に抑えられる」
「なるほど?」
武虎が眉を上げる。
「本来ならまだ使える余力が残っていても、体が勝手に上限を決めてしまう」
「リミッターみたいなもんか」
「その認識で構わん」
直哉は少し考えた。
たしかにアクセルバーストを使う時、自分で200に調整している感覚はない。
ただ自然とそのくらいの出力になっている気がする。
「じゃあ、そのリミッターを外すんですか?」
「外すのではない、経絡を広げるのだ」
「経絡?」
「魔素の通り道だ」
柳太郎は自分の腕を軽く叩いた。
「大量の魔素を流せる太い経絡を持つ人間は、それだけ高出力の技を扱える」
「筋トレみたいなもんか」
武虎が言う。
「最初は10キロしか持てなくても、鍛えれば20キロ持てるようになる、みたいな」
「まあ近いな。
では、その経絡をどうやって広げると思う?」
今度は全員が考え込む。
しばらくして陽平がおそるおそる答えた。
「いっぱい魔素を流す、とか?」
「その通りだ」
柳太郎は満足そうに頷く。
「経絡を広げるには、普段から大量の魔素を体内で循環させる必要がある。
そして第五層は、魔素を体外へ放出しづらい環境だ」
「そういや識界も翼界も使いずらいよな。
いつもより魔素を外に出すのが難しいっていうか」
「私もそう感じる」
真弓が続く。
柳太郎は頷いた。
「体内で発生した魔素が外へ逃げにくいからだ」
陽平が少し考え込み、それから顔を上げた。
「それって、溜まった魔素がずっと体の中を回り続けるってことですか?」
「その通りだ、そして経絡を通り続ける」
真弓が小さく呟く。
「結果として経絡が広がる」
「理解が早いな」
柳太郎が感心したように言った。
直哉もようやく話が繋がった。
「だから修行場所に5層を選んだんですね」
「そういうことだ」
柳太郎は湯呑みに口を付けた。
「経絡が広がれば、結果として、1度に消費できる魔素量も増える」
「どれくらい増えるんです?」
「理論値としては5割ほどだな」
一瞬、全員が固まった。
「ご、5割?」
陽平が声を裏返らせる。
「俺のアクセルバーストなら700近く使えるってことですか?」
「理論上はな」
「それ、ほぼ別の技じゃないか?」
武虎も驚いていた。
「もし5割まで上げられれば、単純計算で威力は2.5倍になる」
2.5倍。
あまりにも分かりやすい。
今の自分でも、その価値が理解できる。
そこで武虎がふと思い出したように言った。
「あれ、でも真弓の魔砲って、とんでもねえ量使ってなかったか?」
柳太郎が真弓を見る。
「あれは誓約を課している。そうではないのか?」
「ええ、あれは使ったら必ず残りの9割の魔素を使う」
真弓はあっさり頷いた。
「うええぇぇぇぇ!? 九割!?」
陽平が思わず叫んだ。
武虎も顔を引きつらせる。
「ほぼ全部じゃねえか!」
「だから最後の切り札」
真弓は平然としていた。
柳太郎も頷く。
「必殺技に誓約を課し、消費魔素を大きくして威力を上げることは可能だ」
「でも、何か欠点がある?」
「そうだ」
柳太郎は即答した。
「ゼロヒャクになる」
「ゼロヒャク?」
「出力調整ができん」
その説明で直哉は納得した。
瞬閃七連撃は全力で使う時もあれば、少し抑えることもある。
状況によって変えている。
だが真弓の魔砲は違う。
撃てば全力、撃たなければゼロ。
その中間がない。
「神谷君」
「はい」
「君のアクセルバーストは、自分の意思である程度威力を増減できるだろう?」
「できます」
「それが誓約型との違いだ」
柳太郎はゆっくりと言った。
「そして今回の修行の目的は、その増減できる幅を広げることだ」
直哉は思わず頷いた。
今まで200しか流せなかった場所に700流せるようになる。
考えただけで強くなった気がする。
* * *
「なあ親父」
「なんだ?」
「親父の魔素量っていくつあるんだ?」
その瞬間、全員が柳太郎を見た。
柳太郎は少し考えるような顔をする。
「ふむ、そろそろ教えてもよいか。
約3,000だな」
「さ、さんぜん!?」
陽平の悲鳴が響いた。
「まじかよ!?」
武虎も目を剥く。
「俺、1,000くらいだぞ!? 姉ちゃんは?」
「私も1,100ぐらい、筋肉は?」
「俺は1,200ぐらいだな」
「俺もイチカ入れると1,400だけど、イチカ入れないと900ぐらいだよ!」
改めて並べてみると、とんでもない差だった。
柳太郎だけ桁が違う。
「おそらく、あの男も私と同程度の魔素量を持っているだろうな」
直哉は思わず顔をしかめた。
「そしたら、俺たちが魔素量で追い付こうと思ったら……」
『レベルを20近く上げる必要があります』
イチカが冷静に答えた。
「レベル40にしないといけないのか……」
さっきまでの希望が一気に遠のく。
武虎も苦笑した。
「いや無理だろ、それ」
「だから言ったのだ、レベルと魔素量は短期間では伸びん」
柳太郎は肩を竦める。
「ってことは親父のレベルは?」
「さてな、そこまでは言わんよ」
柳太郎の口元が僅かに上がる。
「教えろよ!」
「そこまで手の内は明かさん」
即答だった。
全員が少し笑う。
重くなりかけた空気が少しだけ和らいだ。
柳太郎は湯呑みを置きながら言う。
「まあ、あまり先ばかり見ても仕方あるまい。
まずは経絡を広げることを考えなさい」
全員が頷く。
直哉は親子丼の残りを口へ運びながら考えた。
レベルを上げる、魔素量を増やす。
強くなる方法なんて、それくらいしかないと思っていた。
だが違う。
同じ魔素量でも、使い方次第で威力は大きく変わる。
200だったものを700まで引き上げられるなら、それはもう別人みたいなものだ。
ふと顔を上げる。
蒼い霧の向こうで風が鳴っていた。
風エリアはもう近い。
そして明日から、本当の修行が始まる。
そんな予感がしていた。




