【閑話】第30話 1人、ラグナで
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私にガソリンをください!!
教会の長椅子に腰かけたまま、田所修一郎は右腕を軽く握ったり開いたりしていた。
再生魔法で治療を受けたばかりの腕は、皮膚の色こそ元に戻っているが、まだ感覚のどこかが借り物めいている。
神経の繋がりが、完全には馴染みきっていないのだろう。
目を閉じると、あの日の光景が蘇る。
倉庫の壁が一撃で吹き飛び、転移門ごと持ち去られた瞬間。
名乗りもせず、ただ「神谷直哉はどこだ」とだけ低く尋ねてきた男の声。
答えられずにいた田所の右腕が、次の瞬間には消し飛んでいた。
痛みすら感じる暇がなかった。
気づいた時には、倉庫の床に片膝をついていた。
窓の外はすでに暗い。
ラグナの夜は、地球の夜よりも静かだった。
「――治療の具合はどうかね?」
声をかけてきたのは、教会の司祭だった。
歳を重ねた穏やかな顔に、心配の色が滲んでいる。
「大丈夫です、いろいろありがとうございました」
田所は答えながら、軽く腕を回してみせた。
実際のところ、力を入れるとまだ僅かな引きつりがある。
それを表には出さなかった。
* * *
翌朝、田所はいつも通りJPギルドの拠点に顔を出した。
倉庫の壁は応急処置の板で塞がれ、まだ本格的な修繕には至っていない。
それでも、拠点としての機能は最低限保たれていた。
「田所さん、無理しないでくださいよ」
声をかけてきたのはロベルトだった。
でっぷりとした体を揺らしながら、心配そうに眉を寄せている。
「教会ってすごいもんですね。
お金はかかりましたが、腕もほぼ元通りですよ」
田所は軽い調子で返した。
ロベルトは笑いながらも、その目はまだ心配の色を残していた。
「あの日から、この辺りの空気が変わりましたね。
みんな、何かを警戒している」
「結局、あの男はなんだったんですかね……」
「さてね……。
あの襲撃で結構な人が死んじまった。
ドナートさんがセントラルに人を送ってもらうよう言ってるみたいだけど、どうなることやら」
* * *
拠点の前で水を汲んでいると、近所の子どもたちが遠巻きに田所を見ていた。
いつもなら、探索者に懐く子どもたちが直哉たちにまとわりつくのを、田所は微笑ましく眺めていた。
だが今は、その視線に怯えの色が混じっている。
「腕、痛くないの」
一番年上らしい少年が、おずおずと声をかけてきた。
「もう平気だよ。
魔法で治してもらったからね」
田所はできるだけ普段通りの声を作って答えた。
少年は少し安心したように頷き、それでもすぐには離れていかなかった。
「あのおじさん、また来る?」
その問いに、田所は即答できなかった。
安易に「来ない」とは言えない。
かといって、子どもに不安をそのまま渡すわけにもいかない。
「来ても、大丈夫なようにしておくよ。
だから、心配しなくていい」
少年はしばらく田所を見つめ、やがて小さく頷いて走り去っていった。
その背中を見送りながら、田所は自分の言葉の軽さを噛みしめていた。
大丈夫なようにしておく。
その裏付けを、今の自分は何も持っていなかった。
* * *
神谷直哉と別れる際、こちらのことは気にしないでほしい、まずは日本に帰り安全を確保してほしいと伝えてある。
とは言え、彼らが戻って数日、まったく音沙汰がない。
転移門も男に奪われたため、田所には日本に帰る術も連絡を取る術もない。
田所自身、それを承知の上で残留を選んだ。
だが夜、一人になると、その決断の重さがふとした瞬間に押し寄せてくる。
倉庫の片隅、破壊された転移門があった場所を、田所は時折見に行く。
今はもうただの焦げた跡だけが残っている。
「なぜ神谷さんを狙ったんだ……」
誰に問うでもなく呟いた言葉が、静かな倉庫に吸い込まれていく。
名前も知らない相手。
ただ「神谷直哉はどこだ」とだけ尋ね、答えを得られないまま去っていった男。
その執着の理由を、田所はまだ掴めていなかった。
* * *
「おう、田所さん、大丈夫か?」
夜遅く、ギルドマスターのドナートが顔を出した。
灯りを落とした執務室に、ドナートの太い声が響く。
「見回りでな。
一応、持ち回りでチェックしているんだわ」
「ありがとうございます。
無理な巡回はしないでくださいね」
「あんたこそ。
腕、まだ本調子じゃないだろう」
田所は苦笑した。
この街の人々は、思っている以上に鋭い。
「私は大丈夫です。
それより、住民の皆さんが不安を抱えないよう、目を配ってあげてください」
ドナートは軽く頷き、それ以上は何も聞かずに部屋を出ていった。
1人になった田所は、窓の外の暗い街並みを見つめる。
男は転移門で日本に転移した可能性がある。
咄嗟に転移先をずらしたが、うまく機能しただろうか。
漠然とした不安を感じつつ、田所は椅子に深く座り直し、右腕を握る手に、そっと力を込めた。




