第201話 静かな凱旋
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私にガソリンをください!!
崩れ落ちた洋館の残骸から、四人は無言のまま夜空の下に出た。
赤かった月はもう昇っていない。
ただの、いつもの夜だった。
「終わった……のか?」
陽平が地面に座り込み、両手を見つめる。
まだ赤みの残る瞳が、月の明かりを受けて鈍く光っていた。
「臓器潰したし、館も絶賛崩壊中だ。
終わりだろ、たぶん」
武虎が瓦礫の一つに腰を下ろし、大きく伸びをする。
両腕にはまだ黒い魔素の残滓がちりちりと燻っていた。
「まあボスよろしくタフな奴だったが、あんなふんぞり返った奴にアタシらがヤられるものか」
真弓が銃をクルクル回しながらホルスターにしまう。
直哉はバットを地面に突き立て、その上に体重を預けた。
4層完全踏破。
その言葉が、今はまだ実感を伴わずに頭の中を素通りしていく。
崩れた館の跡に、地下に続く大きな階段が続いている。
「これが5層に続く階段か」
「なあ神谷。
転移の魔素、残ってるか?」
「残ってるわけないんじゃん。
もうからっけつだよ」
「少し休んで回復しようよ、もう駄目だ俺」
少しずつ目の色が落ち着いてきた陽平が字面にへたり込む。
* * *
しばらくして、転移に必要な分の魔素が戻った。
「帰ろう」
直哉が転移門を発動する。
一瞬で視界が変わった。
巨大な地下への階段と荒野が消え、木の床と白い壁が現れる。
ダンジョン課が用意してくれた部屋だ。
部屋を出ると、すぐ隣がダンジョン入口の休憩スペースだった。
備えつけのソファと自販機の並ぶ一角に、大画面のテレビが据えつけられている。
探索者たちが出入りするたびに自然と目に入る場所に、それはあった。
4人はそのままソファに崩れ込んだ。
「誰か飲み物……」
武虎が体を起こす気力もなさそうに呟く。
直哉が渋々立ち上がり、自販機でスポーツドリンクを4本買って戻ってきた。
「サンキュ」
武虎がペットボトルを受け取り、口をつけた。
陽平は「ありがと」と受け取り、ペットボトルをそのまま額に当てた。
真弓はひとこと「助かる」と言って、静かに一口飲んだ。
武虎の口は、止まらなかった。
ごくごくごくごく。
「……あれ、もうなくなった」
空のペットボトルを手に、武虎が直哉をちらりと見る。
(もう一本頼む)と目が言っていた。
直哉は無言で、自販機の方向へ目をやった。
(自分で行け)
武虎は一拍置いてから、ゆっくり立ち上がった。
「……まあ、ちょうど行こうと思ってたし」
自販機へ向かいかけた瞬間、後ろから声が揃った。
「俺のも」
「わたしのも」
「俺も俺も!」
武虎が振り返ると、3人が申し訳なさのかけらもない顔でそれぞれのペットボトルを掲げていた。
「……ちゃっかりしてんな、お前ら」
武虎が苦笑しながら3本まとめて自販機へ向かう。
戻ってきた頃には、誰も喋らなくなっていた。
直哉が何の気なしに目をやると、正面のテレビにニュース番組が流れていた。
『――現場付近では現在も規制線が張られており、警視庁は原因の特定を急いでいます』
ペットボトルを口に運ぼうとしていた直哉の手が、途中でぴたりと止まった。
画面の隅、粗い画質の投稿映像が一瞬だけ差し込まれる。
彫りの深い顔立ちの男が、崩れたビルを背に立っていた。
「――は?」
直哉は足を止め、テレビへと歩み寄った。
映像はすぐに切り替わり、スタジオのコメンテーターに戻ってしまう。
「今の……」
『直哉、心拍数が急上昇しています。
どうかしましたか?』
「イチカ、今の映像、もう一回出せるか?
録画とか、ネットに落ちてないか?」
『少々お待ちください』
数十秒後、脳内にイチカの声とともに、鮮明に補正された静止画が投影される。
胸元の妙な装置、粗野な佇まい、興味なさそうにこちらを一瞥する目つき。
忘れるはずがない。
「……あいつだ。
封印核の時の、あの男」
* * *
直哉は反射的にスマホを取り出した。
画面を開いた瞬間、息が止まった。
岸本、岸本、岸本。
着信履歴が、2日分埋まっていた。
ダンジョンに籠っていた間、まるごと受け取れていなかったのだ。
「……やっべえ」
テレビに映っていた男の顔と、大量の着信が頭の中で繋がった。
「どした」
武虎がソファから顔を上げる。
「岸本さんから、鬼電来てた。
2日分」
陽平が眉をひそめた。
「ずっとダンジョンに籠ってたもんな……」
直哉は即座に折り返した。
コールは1回で繋がった。
「神谷さん。
ようやく繋がってくれた!」
* * *
直哉は通話を切り、振り返った。
3人がこちらを見ていた。
「おい、見たか、今のテレビ」
武虎が顎でテレビを指した。
「ああ……」
直哉が答える。
「岸本さんとも今繋がった。
詳しい話は直接、って。
同じ建物にいるから、すぐに行こう!」
「柳太郎さんが、あんな相手に……」
真弓が静かに言いかけて、止まった。
誰も続きを口にしなかった。
* * *
休憩スペースから廊下をいくつか曲がった先に、ダンジョン課の執務エリアがある。
いつも通り、職員でごった返している。
岸本は会議室で待っていた。
「――ということは、あの映像の男に、心当たりがあると?」
会議室の椅子に腰かけた岸本が、静かにそう切り出した。
表情には焦りも驚きもない。
ただ、いつもより一段低い声だった。
「はい、そうです。
異世界で一度会ってます。
転移門の研究所にいたやつで、オクタヴィアと一緒にいた男です。
転移門の封印核を回収して、名乗りもせずに去っていきました」
直哉が言葉を選びながら答える。
岸本はしばらく黙り込んでいた。
やがて手元のタブレットを操作し、駅前の映像を静かに再生する。
「政府としては、この映像はまだ公表の範囲を絞っています。
ですが――正直に言えば、こちらも手がかりが足りていません」
「あの……親父は?」
武虎が身を乗り出す。
「藤堂さんは、無事です。
あの映像は昨日の出来事で、今朝お見舞いに伺いました」
岸本が続ける。
「驚いたことに、あの怪我からひと晩でかなり回復されていました。
魔素能力者は自然治癒力が強化されると聞いていましたが、あれほどとは……」
「ポーションも使ったんですか?」
直哉が尋ねる。
「はい。見舞品として異世界産のものをお持ちしたところ、使っていただけました。
今朝の時点では、ほぼ全快と言っていい状態でした」
「そっか、よかった」
武虎が、小さく息を吐いた。
「ただ、元気になったとたん、道場に籠ってしまわれて……。
ご本人いわく、自分の腕が足りなかった、と」
「……親父らしい」
武虎が小さく笑った。
岸本が珍しく、言葉を選ぶように間を置いた。
「練習を始めると鬼気迫る顔をされていて、少し声をかけるのを躊躇しました」
「あ——でしょうね」
武虎が深く頷く。
岸本が改めて姿勢を正した。
「それより、重要な話があります」
タブレットの画面を向ける。
例の映像が映っていた。
「動画にもあるように、あの男は神谷さんを狙っています。
今は組の事務所でおとなしくしているようですが」
「……把握してるんですか?」
直哉が聞き返す。
「監視はしています。
ただ、動いた際に止められるかどうかは……」
岸本は一度言葉を区切った。
「椎名さんたちには引き続き護衛についていただいていますが——正直に言えば、防げる自信がないと言っていました」
「椎名さんが、ですか」
陽平の眉が上がる。
「ええ。
そしてこちら側も、それ以上の護衛を用意するとなると……現状では難しい状況です」
武虎が腕を組んだ。
「なるほど、結構やべえですね」
岸本が直哉を見た。
「1つ、お願いがあります。
藤堂さんに、あの男のことを聞いてみてください。
実際に対峙された方の言葉は、どんな情報より参考になります。
もしまた直接ぶつかることになった時のために」
「そうですよね、わかりました。
このあとすぐ向かいます」
岸本が小さく頷いた。
「よろしくお願いします」




