断章その7 公開宣戦
断章は魔素の結集の章と同時並行に進んでいるイメージで書いています。
魔素の結晶は主人公の話しで、断章はその裏で動いている話、という感じです。
本日も断章とメインの話しをアップしています。
「ここです」
矢島が立ち止まり、前方のビルを示した。
「調査の結果、神谷直哉が定期的に出入りしているダンジョンです。
出口と入口が同じで、待機スペースも広い。今日も来ている可能性があります」
ヴェルクスは答えなかった。
建物を一度見上げ、そのまま歩き続けた。
(ようやくか)
内心でそう思いながら、顔には出さない。
時間をかけた割に、たいしたことのない手がかりだと思った。だが——ないよりはましだ。
* * *
待機スペースは広かった。
壁沿いにベンチが並び、探索帰りらしき人間が思い思いに腰を下ろしている。
出入りする者も多い。掲示板を確認する者、連れと話し込む者。
ごく普通の昼の光景だった。
ヴェルクスは入口を抜け、そのまま中央のベンチへ向かった。
先客が3人いた。
ヴェルクスが近づくにつれて、彼らの視線がそちらへ向く。
何かを言いかけた者がいたが、言葉は出てこなかった。
3人が揃って立ち上がり、何も言わずに離れていった。
ヴェルクスはどかりと腰を下ろした。
脚を組み、壁に背中を預ける。
周囲がわずかに静まった気がした。
ベンチの近くにいた人間が、気づかないうちに距離を取っていた。
連れと話し込んでいた者が、いつの間にか口を閉じている。
スマートフォンを操作していた者が、画面から目を離せずにいる。
誰も言葉を交わしたわけではない。ただ——そういう場所になっていた。
「行け」
矢島たちが動いた。
* * *
ヴェルクスはベンチから、矢島たちの動きを眺めていた。
矢島が探索者に声をかける。
首を振られると、すぐに胸ぐらを掴む。
隣では別の組員が、返答を待たずに怒鳴りつけていた。
あちらでは受付カウンターに押しかけ、担当者を怯えさせている。
所かまわず、手当たり次第だ。
方法も順番もない。ただ恐怖に押されて、手足だけで動いている。
(みっともないな)
鼻で笑いたい気分だったが、やめた。
恐怖は人を動かす。思考を奪い、手足だけで突っ走らせる。
使いやすい状態だ——それでいい。
ヴェルクスは脚を組み直した。
矢島が胸ぐらを掴んだ男は、面倒そうに腕を払った。
それだけで矢島の体が吹き飛び、壁に叩きつけられた。
探索者だ。2層クラスだろう。
矢島では話にならない。
それでも矢島は立ち上がり、また別の人間に声をかけていた。
別の組員が絡んだ相手は、ため息をついて組員の首根っこを掴み、そのままゴミでも捨てるように床に転がした。
周りから少しの悲鳴が上がるが、構わず立ち上がりまた向かう。
(くっくっく、勤勉でいいコマだ)
だが止まらない。
止まれないのだ、あいつらは。
ヴェルクスは目を細めた。
自分への恐怖と、目の前の探索者への恐怖。
そのどちらが大きいかを、体で理解した上で、それでも動いている。
度胸もある、勤勉でもある。
いや、違うか。総じてバカなのだ。——だがしかしまあ、使えるコマだ。
* * *
「おい、そこ! いい加減にしろ!」
警備員の声が飛んだ。
矢島が振り返る。口元に血がにじんでいる。
「あ? なんだてめえ」
「今すぐやめてください。周りの方が怖がってるのが見えないんですか」
「うるせえ! こっちは急いでんだよ! 引っ込んでろ!」
「できません」
警備員の声が低くなった。
「このままだと拘束します」
「拘束しろよ! どうでもいい!」
矢島が唾を飛ばす。
「神谷直哉を出せ! それだけでいいんだよ!!」
「落ち着いて——」
「落ち着けるか!!」
矢島が飛びかかった瞬間、腕を取られていた。
「っ——なんで——!」
床に膝をつく。起き上がろうとする。押さえられる。
「矢島さん!」
組員が飛びかかった。
「離せっ——!」
「ぐっ——!」
「この——っ!」
次々と声が上がり、次々と止まる。
「……っ、離せ……離せよ……!」
矢島がそれでも体を捩る。
野次馬の一人が小声で言った。
「まだ動こうとしてる……」
「正気か、あいつら……」
受付カウンターの奥で、担当者が内線を取る手が見えた。
何かがおかしい——その感覚が、その場にいる全員の間に広がっていた。
警備員もそれを感じていた。
こいつら、勝てないとわかって向かってきた。
恐怖で動いている。
その「何か」が——まだここにいる。
視線が、ベンチへ向いた。
男が1人、座っていた。
脚を組んだまま、こちらを見ていた。
目が合った瞬間——警備員の体が、反射的に一歩引いた。
* * *
ヴェルクスは立ち上がった。
面倒そうに、ゆっくりと。
「おいおい、俺の仕事だ。邪魔すんなよ」
警備員が踏み込んだ。
拘束に入る動き——的確で、迷いのない動作だった。
次の瞬間、何が起きたか誰も見えなかった。
ただ——警備員の体が壁に叩きつけられていた。
ドゴン、と鈍く重い音が響く。
壁にひびが入った。
警備員がずるずると崩れ落ちる。
動かない。
誰も声を出さなかった。
3層クラスの探索者も、ベンチから腰を浮かせたまま固まっていた。
動けなかった。
動いていいのかどうか、体が判断できなかった。
(次元が、違う)
探索者の一人が、かろうじてそう思った。
スペース全体が静まり返っていた。
ヴェルクスは拘束されている矢島たちに歩み寄った。
「立て」
それだけ言って、またベンチに戻った。
どかりと腰を下ろし、何事もなかったように脚を組む。
矢島は口の中に血の味がした。
手で口元を拭い、ゆっくり立ち上がる。
「……続けるのか」
ヴェルクスは何も言わなかった。
ただベンチに座って、脚を組み直しただけだ。
それで十分だった。
矢島たちは動いた。
周囲の人間たちはその光景を見ていた。
血だらけの男たちが再び散っていく。
ベンチで脚を組んだまま動かない男。
誰かがスマートフォンを取り出した。
それを見て、また別の誰かも取り出した。
ヴェルクスはその動きを目の端で捉えていた。
(ちょうどいい)
口の端がわずかに上がった。
* * *
警察が来たのは、30分後だった。
10名。制服に混じって、私服の者も2人いる。
「全員動かないでください!」
「ちっ、また邪魔が入ったか」
ヴェルクスはベンチから立ち上がり、警察の中へ歩いていった。
何かが——掠めた。
残像のような動きが10人の間を一息に抜けた。
誰の目にも追えなかった。
気づいた時には、10人全員が地面に伏していた。
ヴェルクスはそのまま足を止めず、くるりと振り返った。
乱れた様子は何一つない。
矢島が震える手でスマートフォンを構えていた。
「撮れてるか」
矢島を見ずに言った。
「は、はい……!」
壁に叩きつけられ、崩れ落ちた警備員。
床に伏したまま動かない警官10人。
ひびの入った壁。
ヴェルクスは無言でそれらをひとつずつ顎でしゃくった。
「全部映せ」
矢島が手を震わせながらカメラを向ける。
警備員。警官。壁のひび。
それを一通り撮り終えたところで、ヴェルクスはカメラに正面を向けた。
「あー、神谷。
神谷直哉」
低い声が落ちた。
「見えてるか。これが毎日続くぞ。
お前が出てくるまでな。——明日は駅前だ」
踵を返して、出口へ向かった。
* * *
外に出たところで、矢島が追いついた。
「あの……動画を出すと俺たちの顔も映ってます。
かなり目立ちますけど、大丈夫なんスか」
「問題ない」
「でも——」
「顔を出すのもな、目的の一つだ」
矢島は黙った。
何かを聞き返そうとして、やめた。
この男に「なぜ」を聞いても、返ってくるのはそれだけだ。
聞いた自分が馬鹿を見るだけだ。それだけはわかっていた。




