断章その5 突入
断章は魔素の結集の章と同時並行に進んでいるイメージで書いています。
魔素の結晶は主人公の話しで、断章はその裏で動いている話、という感じです。
*メインの話しも本日アップしています。
「神谷直哉、特定しました」
矢島が事務所のドアを開けた瞬間、そう言った。
ヴェルクスは長机に脚を乗せたまま、視線だけを向けた。
「どんなやつだ?」
矢島がスマートフォンを差し出す。
ヴェルクスはそれを一瞥した。
「……なるほどな、確かにこんな顔だった気がするな」
脚を下ろし、背もたれから身体を起こした。
「攫ってこい」
矢島が固まった。
「は……攫う、んですか?」
「なんだ、聞こえなかったのか?」
矢島は頷くしかなかった。
ヴェルクスはその背中を眺め、鼻を鳴らした。
(どうせ無理だろうがな)
それはわかっている。
あの程度の人間たちが、やつを攫えるはずがない。
見たのは数舜だったが、覚えている。
そこそこの腕を持っていそうだった。
おそらく、1人でこの事務所全員を倒すことも簡単にできるだろう。
だが、それでいい。
(まあ、まずは向こうの出方だ)
大勢が動けば、向こうも動く。
護衛が出れば、護衛の動き方で戦力の規模がわかる。
失敗してもいい。
ただ——どの程度の壁があるのかを、確かめたかった。
ヴェルクスは再び背もたれに体を預けた。
* * *
夕方。
コンビニから少し離れた路地。
矢島は3人の組員と、張り込んでいた。
「……来た」
コンビニのドアが開いた。
袋を提げた少年が1人、出てきた。
(あれが神谷直哉)
矢島は手のひらの汗を拭い、合図を送ろうとした瞬間、ただ、視界が傾いた。
そしてそのまま、意識が落ちた。
矢島が目を覚ました時、見知らぬ天井があった。
* * *
同じ時刻、別の場所。
帰宅ルートを先回りして潜んでいた4人が、路地で息をひそめていた。
動こうとした、その時、何かが来た。
どこからかも、何かも、わからなかった。
4人は揃って、道路に倒れていた。
気がついたのは、施設の中だった。
* * *
30分後、護衛チームの椎名から岸本に連絡が入った。
「組員と思われる複数名が、神谷直哉への接触を試みました。
全員制圧しました」
岸本が資料から顔を上げた。
「どういうことですか?」
「尾行と待ち伏せです。
取り押さえた組員の1人が話しました。
事務所にいる男から命令されたようです。
強力な能力者が、背後にいるとのことです」
岸本は少し黙った。
「神谷さんを、ヤクザを使って狙っていると?」
「そう判断しています」
「継続して警護をお願いします。神谷さんへの情報提供は——」
「慎重にすべきかと。いたずらに不安を煽ることになります」
「そうですね」
岸本は電話を置き、窓の外を見た。
何者かが、神谷直哉を狙っている。
(一体、誰だ)
答えは、まだない。
* * *
警察の特殊部隊が、捜査令状を手にビルへ踏み込んだ。
チームは6名。探索者犯罪への対応経験を持つ精鋭だった。
4階のドアを開いた瞬間、全員の足が止まる。
異様――その一言に尽きた。
広い事務所。
上座の大きなデスクに、男が1人、脚を組んで座っている。
壁際には、20名ほどの男たちが直立したまま並んでいた。
誰一人動かず、そして全員の顔色が悪い。
まるで一歩でも動いたら死ぬとわかっているような、そういう静けさだった。
チームリーダーが前に出た。
「警察だ。捜査令状を持っています。
組関係者への傷害および殺害の疑いで、任意同行を——」
ヴェルクスが口を開いた。
「罪状、ってやつか」
「そうだ。令状がある。抵抗すれば——」
「断ったらどうする」
チームリーダーが右手を動かした。
チーム全員が同時に構えた。
ヴェルクスはそれを眺め、口角をわずかに上げた。
「少し付き合ってもらうか」
ゆっくりと立ち上がった。
その瞬間、チームの3人が何かを感じ取った。
薄く、しかし確かに広がる何か——識界。
反射的に、体に魔素を巡らせた。
(気づいたか)
ヴェルクスは残り3人を確認した。
そちらは動いていない。
(半分か)
右手を、軽く持ち上げた。
「断罪」
2人が、弾けた。
身体強化を張り巡らせていない2人だった。
血と肉片が、壁と天井に散った。
「——っ!?」
誰かが声を上げた。
誰の声かわからなかった。
さっきまでそこにいた人間が、いなくなっていた。
壁に、天井に、自分の顔に——赤いものがついていた。
足が、動かなかった。
脳が追いつかなかった。
壁際の組員たちも同じだった。
音に体が反射しただけで、誰も動けない。
「——怯むな!!」
チームリーダーが怒鳴った。
短く、鋭く。
それだけで、4人は動いていた。
銃を捨て、間合いを詰める。
声もなく、指示もなく、それぞれが役割を把握して動く。
前の2人が正面から圧をかけ、後ろの2人が左右に割れた。
包囲する形だ。
隙がない。
ヴェルクスはわずかに眉を動かした。
(ほう)
「——なるほどな」
先頭の男が踏み込んだ。
速い。身体強化が乗っている。
拳が来る——顎を狙った、コンパクトで正確な一撃だ。
ヴェルクスはそれを首を傾けてかわした。
左から来た。
膝。こちらも速い、フォームが綺麗だ。
それもかわした。
背後から腕が来た——羽交い締めだ。
別の男が正面から追撃に入る。
前後を同時に挟む、連携の取れた動きだった。
(悪くない)
ヴェルクスは羽交い締めの腕を引きずりながら前へ出た。
正面の男が追撃の拳を止めきれず、仲間に突っ込む。
その隙間に、チームリーダーが入ってきた。
右の脇腹へ、体重を乗せた横蹴り。
当たった。
ヴェルクスの体が、わずかに動いた。
(ほう……)
チームリーダーの目が変わった。
「畳み込め!!」
3人が同時に仕掛けた。
角度を変えながら、交互に打ち込んでくる。
1人が攻めれば2人が固め、相手に返す時間を与えない。
手練れだ。
だが、ヴェルクスは流れを読んでいた。
3人の連携の中に、わずかな重心の移動のクセがある。
踏み込んでくる男の腕を掴んだ。
最初の断罪を魔素で弾いていた男だ。
「断罪」
触れた状態は別だった。
ぱしゅ、と小さな音。
男の右腕が、肩口から消えた。
男が崩れ落ちた。
残り3人の動きが、一瞬だけ乱れた。
「——引くな!」
2人が再び動いた。
乱れた連携を、瞬時に組み直していた。
1人が正面から踏み込んだ。
ヴェルクスは腕一本で受け流した。
男の体が斜めに吹き飛び、壁に叩きつけられた。
1人が背後から組みついた。
ヴェルクスは振り返らず、肘を後ろへ流した。
残りはチームリーダーだけだ。
構えたまま、動かない。
「お前は一体……」
低く、絞り出すような声だった。
「さてな」
ヴェルクスが一歩、距離を詰めた。
ゆっくりとした動き。
警戒を誘う、わざとらしい歩幅。
男は、それに合わせて身構えた。
視線を逸らさない。
――そのはずだった。
一瞬、視界が揺れた気がした。
足音が、消える。
「……え?」
次の瞬間には背後から、首に手がかかっていた。
反応すら間に合わない。
「なに――」
言い終わる前に、力がかかる。
ぐん、と。
自分の頭が、信じられない角度で動いた。
ゴキンッ
鈍く、しかしはっきりとした音が頭の中で響く。
痛みが来る前に、世界のほうが回転した。
視界が、ぐるりと一周する。
空、壁、床。
そして――
背後にいたはずのヴェルクスが、正面にいた。
(……なんで、俺の正面に――)
思考が追いつかない。
体が言うことを聞かない。
視界の端が暗くなる。
ぐらり、と傾いたまま、最後に見えたのは、何事もなかったような顔でこちらを見下ろしている男の姿だった。
ヴェルクスは袖についた赤を一瞥し、そのまま背もたれに体を預けた。
(……半分か)
断罪が通らなかった者が、確かにいた。
6人のうちの3人、いやもう1人も効きにくかった。
断罪は強力な能力だが、引き替えに制約も強い。
その制約の影響で、一定数の人間には効果が及ばない。
(アル・テラスじゃ、条件に合うのはそういなかったが……
こっちだと思った以上に多いのか……?)
戦い方を見る限り、特別な信仰を持つ者とは思えなかった。
それでも、弾かれた。
(この国に、何かあるのか)
食い物か、習慣か。
何かが、命の罪を薄めている。
答えは出ない。
だが——
(まあ、格闘で片がつくなら問題はない)
考えを打ち切った。
「掃除しとけ」
壁際の組員が、震えながら動き始めた。
* * *
しばらくして、岸本に護衛チームの椎名から2本目の連絡が入った。
「追加の情報です。
神谷さんへの接触を試みたヤクザの拠点に、警察の特殊部隊が突入したようです。
突入したのは数時間前です。ただ——」
椎名が一拍置いた。
「それ以降、帰還した者がいないという情報が入っています」
「……全員、ですか?」
「断定はできません。しかし、可能性は高いかと」
電話が切れた。
岸本は受話器を置き、しばらく動かなかった。
警察の特殊部隊。
探索者犯罪への対応経験を持つ精鋭が選ばれるはずだ。
それが、突入して——戻らない。
(何者だ……?)
神谷直哉をヤクザに探させ、警察の精鋭を相手に返り討ちにした。
他国の特殊工作員か。
まったく別の何かか。
岸本は窓の外を見た。
東京の夜景が広がっている。
いつもと変わらない光だった。
それが、かえって不気味だった。




