断章その3 張り巡られた網
断章は魔素の結集の章と同時並行に進んでいるイメージで書いています。
魔素の結晶は主人公の話しで、断章はその裏で動いている話、という感じです。
*メインの話しも本日アップしています。
翌朝。
昨夜まで使っていた狭い部屋ではない。
場所は、組織の中でも“武闘派”と呼ばれる連中の事務所に変わっていた。
中央には、分厚い木の長机があり、その天板に、ヴェルクスは無造作に脚を投げ出して座っている。
壁際には、およそ20名の男たちが並んでいた。
誰1人、座っていない。
直立のまま、微動だにしない。
そして顔色が、異様に悪い。
部屋の隅には、まだ乾ききっていない血が飛び散っている。
だが、それよりもひどいのは廊下だった。
そこには、大量の血痕と、肉の欠片。
人の形は、もう残っていない。
組員が2人、バケツとブラシを手にしていた。
床を掃除しながら、その手は小刻みに震えている。
言葉を発する者はいない。
ただ、水音だけが、不規則に響いていた。
* * *
昨夜のことだ。
UberEATSを装った男、ケンジを始末した直後、組長の携帯が鳴った。
画面を見た瞬間、組長の顔色が変わる。
――武闘派の中核。
自分で呼び寄せた、増援の元締めだ。
着信を受ける手が、わずかに震える。
「……あ、ああ」
かろうじて声を出す。
だが、その声は明らかに普段と違っていた。
電話の向こうは、状況を確認しているだが――
(……言えねえ)
組長の視線が、横に逸れる。
すぐそばに立っている男、ヴェルクス。
そして、事務所に散らばるケンジだったもの。
腕が立つはずだった。
いままでいくつもの荒事を解決してきた、時には人も殺して。
しかし、その身体はもう人の形を、いや物体でもなくなっていた。
(こんなこと……どう説明すりゃいい……)
「い、いや……問題は……」
言葉を探すが、うまく繋がらない。
電話の向こうが怪訝な声色に変わる。
当然だ。
だが、余計に喉が詰まる。
「……ちょっと、トラブルがあってな……」
曖昧に濁す。
はっきり言えばいい。
だが、それができない。
――ここにいる。
――この男が。
そう思った瞬間、心臓が跳ねる。
その様子を見ていたヴェルクスが、軽く顎をしゃくる。
ほんのそれだけの仕草。
組長の肩がびくりと跳ねた。
「……そのまま話せ」
静かに言われた。
怒気はない。
むしろ、淡々としている。
「正直にな。
今、どうなってるか。
それと――こっちから“遊びに行く”って、伝えろ」
ヴェルクスが野獣のような笑みを浮かべる。
組長の喉が鳴る。
電話の向こうでは、まだ呼びかけている。
「おい、どうした?状況を報告しろ」
逃げ場はない。
「……ああ」
震える声で、組長は答えた。
「ケンジは……」
一瞬、言葉が潰れる。
それでも、絞り出す。
「やられた。
……相手は一人だ」
唇が乾く。
「その男が、その、つまり、そっちに行くと」
そこまで言ったとき、ヴェルクスが満足そうに目を細めた。
* * *
着いた瞬間から、空気が変わった。
向こうは、既に構えていた。
次々と現れる男たち。
抜かれる銃。
こちらに向けられる銃口。
発砲、発砲、そして発砲。
弾は、確かにヴェルクスの体へ当たった。
だが何も起きない。
足も止まらない。
ヴェルクスは、そのまま距離を詰めた。
前に出た者から順に処理する。
反撃してくる者だけを、確実に。
――数分もかからなかった。
床に転がる者が増え、やがて武器を手放す音が重なり始める。
それが終わりの合図だった。
* * *
現実に引き戻されるように、ヴェルクスの声が響く。
「……なあ」
壁際の男たちが、一斉に肩を強張らせる。
その中の一人が、恐る恐る顔を上げた。
「は、はい……!」
ヴェルクスは視線だけでその男を捉える。
「神谷は、どうなってる」
男の喉が、ごくりと動いた。
「い、今……全力で探しております……。
ですが、まだ、確かな情報は――」
言葉が続かなかった。
ヴェルクスが、脚を組み直しただけで、男は無意識に半歩下がる。
わずかな間。
それが、異様に長く感じられる。
「そうか。
まあ急がせるつもりはない」
ヴェルクスは、ふと天井に視線を向けた。
静かな声だった。
「ただ、期限は決める」
そして、ゆっくり視線を戻す。
「明日の夜だ」
淡々と告げる。
「それまでに、何か一つでもいい。
持ってこい」
男は、息を詰めたまま頷く。
まだ終わらない。
その予感が、全員に伝わっていた。
「それと――」
ヴェルクスがわずかに笑った。
だが、目は笑っていない。
「間に合わなかったとき、どうなるかは……想像できてるよな?」
男は、顔を伏せるしかなかった。
「……はい」
掠れた声。
それで十分だった。
廊下から、ゴシゴシと擦る音だけが響いている。
* * *
同じ夜。
警察署のコールセンターに、1本の電話が入った。
「警察です。どうされましたか」
応対した警官は、いつも通りの口調でそう告げた。
だが返ってきたのは、言葉にならない音だった。
荒い呼吸。
歯が鳴るような震え。
「……もしもし? 聞こえますか。どうされました」
しばしの間。
それから、ようやく声が割り込んできた。
「……おい……頼む……頼むから、聞いてくれ……」
何かに追われているような声だった。
「落ち着いてください。
何があったのか、順番に話してもらえますか?」
呼吸が乱れている。
言葉が、うまく繋がらない。
「男が……来たんだ……一人で……突然……」
警官はキーボードに手を置いたまま、静かに促す。
「場所はどこですか?
何があったのか、具体的に」
だが、相手はそれに答えない。
「まずい……全部……全部、やられた……」
「“やられた”とは?」
間を詰めすぎないよう、声のトーンを落とす。
沈黙。
「……死んだ」
かすれた声。
「みんな……死んだ……」
警官の指が止まる。
「状況を説明してください。事故ですか、それとも――」
「違う……違う……!」
急に声が荒れる。
「普通じゃない!あれは……!」
呼吸がさらに乱れる。
「触っただけで――」
そこで言葉が詰まり、無理やり吐き出すように続いた。
「触っただけで、人が……弾けたんだ……!」
警官の顔から表情が消える。
「……確認します。
加害者は何名ですか?」
「1人だ……1人で……あんな……」
声が震える。
「嘘じゃない……俺は見た……すぐそ――」
――ぷつ。
通話が途切れた。
ヘッドセット越しに何も聞こえなくなる。
警官はゆっくり息を吐き、通話ログを見つめた。
そして入力フォームを開く。
指がわずかに止まる。
記述内容を考えあぐねる。
(触るだけで、人が破裂)
あり得ない。
だが――
「……報告案件だな」
小さく呟き、記録を開始した。




