断章その2 断罪《ジャッジメント》
断章は魔素の結集の章と同時並行に進んでいるイメージで書いています。
魔素の結晶は主人公の話しで、断章はその裏で動いている話、という感じです。
*メインの話しも本日アップしています。
事務所は、繁華街から路地を3つほど入った、古びた雑居ビルの4階にあった。
夜でも人の気配が残る通りとは違い、この辺りは妙に静かで、湿った空気だけがじわりとまとわりつく。
薄暗い廊下を、ヴェルクスは無言で歩く。
その半歩前を、先ほどまで地面に這いつくばっていた若者たちが、大人しく先導していた。
「……こ、こっちです」
1人が振り返り、ぎこちなく笑おうとして失敗する。
顔にはまだ腫れが残り、頬がわずかに引きつっていた。
ヴェルクスは何も返さない。
ただ歩調を変えず、その背中を追わせる。
やがて、若者たちは鉄扉の前で足を止めた。
扉の向こうから、複数の気配が伝わってくる。
扉を開け、若者のうち2人が先に中へ入った。
残った者たちは扉を押さえたまま、身体を横にずらし、ヴェルクスへ道を開ける。
「へ、へへ……ここです。どうぞ」
無理に作った笑い声。
完全にへりくだった態度だった。
その視線の奥にあるのは、敬意ではなく恐怖だ。
ヴェルクスは一瞥だけくれて、何も言わずに中へ足を踏み入れる。
瞬間、室内の空気がわずかに変わった。
煙草の煙が薄く漂い、視界がわずかに霞んでいる。
無造作に置かれたデスクが5つ、ソファが2組。
そして、その空間に男たちが10人ほど。
それぞれが壁やソファに寄りかかりながらも、視線だけは一斉にヴェルクスへ向けられる。
「……おい、シゲオ、誰だそいつは」
奥の壁を背にした男が声を上げた。腕に入れ墨を入れた、体格のいい男だ。
目は、先に入ってきた若者2人に向いている。
案内してきた若者が、慌てて頭を下げた。
「こいつは、いえ、あのですね……!」
若者のひとりがヴェルクスを一瞥し、また組の男を見た。
何か言おうとした。口が動きかけた。
だが出てこなかった。
代わりに、曖昧な笑みだけが浮かんだ。
ヴェルクスはその問答を無視した。
室内をゆっくりと見渡しながら歩を進める。デスクの向こう。奥の椅子に座った男。
腕の入れ墨、肩に引っかけた上着、足を組んだ姿勢。
(あれだな)
「おい、待て」
横から声が飛んだ。
男がひとり、ヴェルクスの前に立ちふさがった。
「へへへ、政さんはな、第2階層の奥で活躍する探索者だぞ。いかにてめえでも——」
ヴェルクスは足を止めなかった。
口元に笑みを乗せたまま、すれ違いざまに男の肩へ手を置いた。
ばき、と鳴った。
「ぎゃあっ——!」
骨が砕ける音と男の絶叫が、室内に響き渡った。
ヴェルクスは立ち止まりもしない。
ただ、折れた肩を2度ほどぽんぽんと叩いてやった。
まるで労うような、穏やかな手つきだった。
そのまま奥へ歩いていく。
室内がざわめいた。
倒れた仲間を見て、数人が立ち上がった。
だが、誰も前に出ない。
たった今起きたことの意味を、言葉より先に体が理解していた。
その隙間を縫うように、ヴェルクスは組長の前に立った。
「なあ、お前がボスだよな。ちょいと手、貸してくれや」
口元には、薄く笑み。
だが組長の目は、それが“脅し”であることを正確に読み取っていた。
逃げ場のない圧だけが、その場を満たす。
組長の顎に、わずかに力が入る。
奥歯を噛み締め、こめかみに筋が浮かぶ。
視線は動かない。ヴェルクスを、まっすぐに射抜いたまま。
飲み込むしかない侮辱を、無理やり喉の奥に押し込む――
そんな顔だった。
長い息が、鼻から漏れる。
「――いいだろう」
だがその声の底には、消えきらないものが含まれていた。
今は飲み込む。
だが――忘れはしない。
その目が、はっきりとそう語っていた。
ヴェルクスは向かいのソファに、どかりと腰を下ろした。
足を組み、室内全員を流し見る。
「おい、飯と魔石だ。さっさと持ってこい」
* * *
しばらくして、ドアがノックされた。
UberEATSと書かれた保温バッグを持った男が、廊下に立っていた。
構成員のひとりが受け取り、室内に持ち込んだ。
ヴェルクスはソファから動かない。
ただ、それを眺めていた。
(……妙だな)
違和感は小さいが、バッグを持ってきた男――
その重心の置き方。脚の運び。
“配達員”にしては、露骨に違っていた。
(まあ、いい)
興味を失ったように、視線を外す。
食事が卓上に並べられた――その刹那、男が動いた。
保温バッグが振り抜かれる。
容器が宙を舞い、弁当が床へと叩きつけられ、ガシャンと音を立てる。
男が跳んだ。
速い。
常人のそれを、はっきりと逸脱した速度だった。
ヴェルクスは体をわずかに傾け、拳をかわした。
「——!」
男が続ける。膝、肘、掌底。
ヴェルクスはそのたびに半歩退く、受け流す。
「どうだ! ケンジさんはな、なにも探索者の肩書きだけじゃねえんだよ。もとは格闘技の——」
ヴェルクスは動かない。
ポケットに手を突っ込んだまま、ただ立っている。
余裕――その一言で足りる姿だった。
すっと、右手だけが外に出る。
力みなく指先を、軽く折る。
それだけ。
「――断罪」
ブチャ――
音が、遅れて響いた。
爆発ではない、膨張でもない。
ただ、
男が――いなくなっていた。
血しぶきが、室内に広がった。
壁に、ソファに、並べられた食事に。
ヴェルクスの顔にも、細かな飛沫がかかった。
静寂が落ちた。
誰も動かない、声も出ない。
若者たちは、壁に縫いとめられたように立っている。
――ぽた。
小さな音が、やけに大きく響いた。
一人の若者の足元。
ズボンを伝って、床に染みが広がっていく。
さらに別の誰かの喉がごくりと動く。
ヴェルクスは、滅茶苦茶になった食事を一瞥した。
「おい」
静かな声だった。
「飯がだめになっちまったじゃねーか。さっさと代わり頼めよ」
若者のひとりが、震える手でスマートフォンを取り出した。
組の人間もひとりとして動けなかった。
目の前にいるのが何者なのか。
この事務所の全員が、今この瞬間に理解した。




