閑話29話 鷲尾の正義②
是非、ブックマークか評価を。
私にガソリンをください!!
夜の11時を過ぎた議員室には、鷲尾以外に誰もいなかった。
秘書は2時間前に帰らせた。
こういう時間は、1人でなければならない。
他人の声が混じると、考えが鈍る。
モニターには数字が並んでいる。
先週アップした動画の再生数が、今日だけで12万を超えた。
コメント欄は賛否両論だが、どちらでもいい。
重要なのは、世界が反応しているという事実だ。
(……やはり、これは“日本の問題”ではない)
鷲尾は冷めたコーヒーを飲んだ。
味はしない。
だが胸の奥が熱くなる。
* * *
「神谷直哉」という名前を手に入れたのは、3ヶ月前だ。
高校生で18歳。
転移門を開ける能力を持つ唯一の人間。
国家がその少年を使って異世界との窓口にしている。
使っている、という表現が正しいかどうかは知らない。
本人が望んでいる可能性もある。
だが、そんなことは問題ではない。
(問題は、“世界”がその力を必要としているということだ)
転移技術。
キュアディジーズという病気を完治させるポーション。
どれも、世界を変える。
いや、世界を救う可能性すらある。
(……これを日本だけが抱え込むなど、あってはならない)
鷲尾の中では、そこに疑問の余地はなかった。
(日本が貧乏くじを引いても、致し方ない)
世界が救われるなら、日本が損をしても構わない。
むしろ、それが日本の役割だとすら思っている。
* * *
深夜の静寂を破るように、ノックの音がした。
「……なんだ?」
入ってきたのは秘書官の小山田だった。
帰宅したはずだが、何か気になって戻ってきたらしい。
「先生、まだお仕事を……?」
「当たり前だ。世界が動いているのに、私だけ止まるわけにはいかん」
小山田は一瞬だけ眉を寄せた。
だが、すぐに表情を整える。
「先生、先ほどの動画の件ですが……
国際的な反響が大きすぎるのでは、と懸念する声もあります」
「懸念? なぜだ」
鷲尾は本気でわからない、という顔をした。
「いえ……その……
転移技術や、キュアディジーズのような医療技術は、国家安全保障に関わる情報です。
それを“世界に公開すべきだ”と発信するのは……」
「当然だろう」
鷲尾は即答した。
「世界が救われる技術だ。
日本が抱え込む理由がどこにある?」
「……しかし、先生。
技術の公開には段階が必要です。
国際協議や安全性の検証、外交的な調整が——」
「遅い」
鷲尾は机を指で叩いた。
「世界は待ってくれない。
病気で苦しむ人間がいる。
資源が枯渇しつつある国がある。
異世界との接続があれば救える命がある」
小山田は、慎重に言葉を選んだ。
「……ですが、先生。
日本がその役割を担うことで、
国際的な負担を一身に背負う可能性もあります。
“貧乏くじ”を引くことになるかもしれません」
「致し方ない」
鷲尾は静かに言った。
「世界のためなら、日本が損をしても構わない。
むしろ、それが日本の役割だ」
小山田は、わずかに息を呑んだ。
「……先生。
そのお考えは、少し……極端では……」
「極端? 違うな」
鷲尾はゆっくりと椅子から立ち上がった。
「私は“正しいこと”をしているだけだ。
技術は共有されるべきだ。
知識は世界の財産だ。
国家機密? そんなものは、世界の前では些細な問題だ」
小山田は、言葉を失った。
(……この人は、本気で言っている)
「先生……
せめて、政府との調整を——」
「必要ない」
鷲尾はスマホを取り出し、画面を見せた。
そこには、国際記者クラブの担当者からの返信が表示されていた。
「3週間後の午後、会見の枠が取れた。
世界に向けて、日本が抱え込んでいる技術の存在を伝える」
「せ、先生……!
それは……あまりにも……!」
「小山田」
鷲尾は、穏やかな声で言った。
「私は、世界を良くしたいだけだ。
そのために、日本が少し損をしても致し方ない。
むしろ、それが日本の役割だ」
小山田は、何か言おうとしたが、鷲尾はすでにコートを手に取っていた。
「準備を頼む。
資料はすべて英語版にしておけ。
転移技術の概要、キュアディジーズの効果、異世界との接続がもたらす可能性——
全部だ」
「……全部、ですか?」
「全部だ」
鷲尾は迷いなく言った。
「世界に公開する。
世界が使えるようにする。
それが正しい」
小山田は、胸の奥に冷たいものを感じた。
(……この人は、止まらない)
「先生……本当に、それで……?」
「小山田」
鷲尾は振り返り、微笑んだ。
「世界を救える技術を隠す方が、罪だと思わないか?」
小山田は、返す言葉を失った。
鷲尾は満足げに頷き、議員室を出ていった。
その背中は、正義を信じて疑わない者の歩き方だった。
止まらない。
止まれない。
その先に何があろうとも。




