第162話 歪み
コル・フェルム高地に入ったのは、ゴルタを出て3日目の朝だった。
街道が途切れ、地図に記された分岐路を北東に折れると、地形が徐々に変わっていく。
草が減り、岩が増え、そして空気が乾燥してくる。
進むんデスを走らせながら、直哉は周囲を見回した。
「なんか、空気が違う気がするな」
『魔素の分布が乱れています。
ところどころで魔素濃度が高くなっており、そしてそこに引き寄せられる様に、周囲の魔素が緩やかに流れています。
通常、龍脈の魔素は一定の濃度で地表に排出されるのですが、これは初めて観測する現象です』
「珍しい、んだよな?」
直哉は前を向いたまま、その言葉を頭の中で転がした。
陽平が横を走りながら言う。
「なんか、水の精霊がソワソワしている気がする」
『精霊はその体の大部分を魔素で操作しています。
そのため、外在魔素の影響を受けやすい存在と言えます。
陽平様も臭気の強いところ、弱いところ、籠ったところ、など連続で環境が変わった場合、不快に感じると思います。
おそらく水の精霊は、そういった現象の数十倍ものストレスを感じていると予想できます』
「うげえ、臭いのはやだなあ」
「なあ、イチカ。
こういうのって自然に起こるのか?」
『私の記録にはないため、わかりません。
自然現象な可能性も、人為的な可能性も否定できません』
* * *
最初の異変に気づいたのは、昼前だった。
岩の斜面を迂回しながら進んでいると、前方の谷筋が騒がしくなった。
何か、何かが移動している音というか、気配がする。
それも1つ2つの足音ではなく、数えきれない数の何かが動く音だった。
岩の縁に近づいて、下を見た。
「……何だ、あれ」
武虎が言った。
谷の底を、ムカデの群れが移動していた。
数百はいそうだ。
黒く長いものがウゾウゾと、折り重なりねじくれながら、同じ方向へ向かって歩いている。
「……ムリ、死ぬ」
真弓が今にも倒れそうな顔で呟く。
ムカデは群れとして行動しているわけではない。
整然と列を成しているわけでもない。
ただ、全員が同じ方向——高地の外縁に向かって——ひたすら蠢いていた。
「あれだけの数が……」
陽平が呟く。
「さすがにキモイな……」
直哉が続けた。
武虎が腕を組む。
「なんか、ところどころ避けて動いてないか?」
武虎が指摘するように、まるでムカデがさけているように、ところどころの空間がぽっかりと空いている。
『魔素の乱れを、体で感知しているものと思われます。
魔素が濃い部分を意図的に避けているようです。
おそらくムカデがいたところは、ここよりも更に魔素が高いのだと思います』
「なんか、災害が発生する前っぽくない?」
『否定できません。
これら魔素の乱れは、コル・フェルム高地を進むほど強くなっています。
中央部で何か起きている可能性があります』
「転移門と関係あったり。。。?」
『現時点では、それは不明です』
そうこう話している間も、谷底の群れは止まらなかった。
どこからどこまでが一匹の個体かもわからないほどの密度で、高地を下っていく。
誰も何も言わなかった。
やがて最後の個体が谷の曲がり角の先へ消えていった。
足音が遠くなり、谷が静かになった。
その静けさが、かえって不気味だった。
* * *
2つ目の異変は、午後の岩場で見つけた。
岩陰を回り込もうとした瞬間、陽平が唐突に足を止めた。
「あ……」
声を落としたまま、先を指さす。
岩の裂け目のそば、灰色の地面に、黒い影がうずくまっていた。
最初は岩屑か、焼け焦げた木の根に見えた。
近づいて、直哉はようやくそれが生き物だと理解した。
ダイア・ウルフの幼体。
だが、直哉が知っているそれとは、どこかがはっきりと違っていた。
前脚が、3本ある。
正確には、左の前脚が途中から二股に分かれていた。
付け根までは1本の骨格で、肘のあたりから2本に裂け、それぞれが独立した関節を持っている。
蹄は3つ。
だが、それらは無秩序に生えているわけではなかった。
幼体は、3本の前脚をずらすように地面へ置き、体を支えていた。
2本で踏ん張り、残る1本で方向を取る。
不安定に見えるはずの姿は、妙に安定していた。
「……何、あれ」
真弓が低く呟く。
幼体は、直哉たちに気づくと、身を翻そうとした。
ぎこちなさはある。
だが、転びはしない。
3本の脚を互い違いに使い、岩の陰へと体を寄せる。
「逃げ方……変じゃない?」
陽平の言葉に、直哉も同意せざるを得なかった。
「……他にもいる」
真弓が視線を移す。
岩場の奥、陰になった斜面に、数頭のダイア・ウルフが横たわっていた。
幼体ばかりではない。
やや育った個体も混じっている。
だが、どの個体も、どこかが“普通”ではなかった。
首が不自然に太いもの。
顎が左右でずれて噛み合わないもの。
背骨が湾曲し、常に斜めに歩く個体。
「数、多くないか……」
陽平の声が硬くなる。
『魔素汚染による環境性の形成異常の症状です。
だとすると、周辺の魔素異常は、年単位で発生している可能性があります』
「……生まれたときから、こうなの?」
『個体差はありますが、可能性は高いです』
イチカは続ける。
『かつて――エルド・フェルミナ様が研究所に在籍していた頃、この地域でこの規模の形成異常は確認されていませんでした。
発生頻度、および多様性の両面で、現在は明確に異常です』
「一体何が起きているんだ……」
それから何も言わず、その場を離れた。
* * *
3つ目の異変は、夕方近くに聞こえた「音」から始まった。
岩場の向こう側。
風に紛れて、だがはっきりと――激しい争いの音が届いてくる。
唸り声。
肉を打つ鈍い衝撃音。
そして、何かを引き裂く、生々しい音。
武虎が先に回り込んだ。
すぐに戻ってきたその顔は、珍しく険しい。
「……見ない方がいいかもな」
冗談めいた調子ではなかった。
武虎が、こんな言い方をするのは珍しい。
開けた岩場に、6頭のワイバーンの群れがいた。
縄張りを持ち、群れで行動する種族だ。
外敵に対しては結束して向かうはず――それが、ワイバーンという生き物だ。
だが、今目の前にある光景は、それとは真逆だった。
3頭が、1頭に噛みついている。
噛みつかれている1頭は、すでに弱り切っていて、満足に抵抗もできていない。
最初は、縄張り争いかと思った。
――でも、違う。
「……共食い、してる?」
ぽつりと、陽平が言った。
弱った1頭を、仲間が食べている。
噛みついている3頭の目は、どこか虚ろで、生気が薄い。
『おそらく、過剰な魔素の影響です』
イチカの分析が、淡々と告げられる。
『魔素の過多により、正常な判断能力が低下しています。
極度のストレス状態に追い込まれた動物は、仲間への攻撃抑制が外れることがあります。
飢餓や密集による追い詰められた状況でも起き得ますが――』
わずかに間を置いて、続ける。
『今回は、龍脈の魔素が神経系に直接作用していると考えられます。
彼らは、自らの意思で行動しているのではありません。
――“やめられない”状態です』
「なあ……」
直哉が、思わず声を落とす。
「まじで、この高地なんなんだよ。
やばくないか……?」
『魔素は、即座に心身を蝕むものではありません。
年単位で、じわじわと影響が蓄積したのでしょう。
ただし、この異常現象は看過できません』
それ以上、誰も言葉を発さなかった。
* * *
夕暮れ時。
5人は岩陰に腰を下ろしていた。
最初に口を開く者はいなかった。
沈黙が、重くなっていく。
しばらくして、ヤスが切り替えるように声を出す。
「ナオヤ氏、そろそろ夜になりますし、一度、ラグナに帰りませんか?
ちょっと共有したいこともありますし」
「……そうだな」
直哉は短く頷いた。
「正直、ちょっと落ち着きたい。
まずは帰ろう」
転移門を抜け、JPギルドの共有スペースへ。
腰を下ろすると、思わず息が漏れた。
「ふぅ……ようやく落ち着いた」
「いろいろ見すぎたせいか、ずっとソワソワしててさ」
「神谷君も?」
陽平が苦笑する。
「俺もだよ。
精霊もちょっと興奮してて、抑えるのが大変だった」
「なあ、イチカ。
結局、何が起きてるんだ?」
『現時点では、断定できません。
ただし、魔素が不規則に動いていることが、多くの異常現象の原因である可能性は高いです』
「拙者、高地に入ってから魔素の動きを記録していたのですが」
ヤスが前置きして続ける。
「どうだった?」
「流れの速さに差はありますが……。
龍脈の魔素が、少しずつ高台のほうに向かっているようなのです」
「それって、変なのか?」
「はっきりとは言えません。
ただ、違和感がありますな」
端末を操作し、説明を続ける。
「通常、外在魔素と龍脈魔素の流れは一致するのです。
しかし、このコル・フェルム高地では――、
龍脈の魔素は高台の方角、つまり北へ、そして外在魔素は東側に向っています。
完全に方角がバラバラです」
「……じゃあ、どっちかが狂ってる?」
「はい。
おそらく、龍脈のほうでしょう」
「なあイチカ。
もしヤスの予想どおりだと、何が起きてる?」
『安田様の言う通り、龍脈と外在魔素の流れが乖離することは、本来ありません。
龍脈が人為的に操作されているとした場合、高密度魔素の発生が説明できます』
「人為的、って……」
『高密度魔素を避けるための生物の大量移動。
過剰魔素による奇形。
そして、ストレス起因の異常行動。
確かに、すべての事例と整合します』
「……誰が、そんなことを」
「さあな」
武虎が肩をすくめる。
「考えても仕方ねえだろ。
ただ、気を付ける必要はあるな」
「自然をあんなにしてまでやってるんだ、後ろめたいことやっててもおかしくないだろ」
「だな」
直哉は頷いた。
「そうだね、明日はしっかり準備して行こう」
「拙者、秘密道具も用意しますぞ」
静かな決意が、共有スペースに落ちていた。




